hero


あの試合のときに、はジュウケイの姿を見つけた。
彼が、カイオウが愛してやまない弟二人を連れているのを。
そして、カイオウは負けるはずの無い戦いで負けた。

カイオウに背負われて帰った後、
泣きつかれて眠ってしまっただったが、
意識の覚醒と共に怒りがまた湧き上がってきた。

掛けられていた布団を蹴飛ばして、
は部屋を出て猛然とジュウケイの居室へ向かった。
ノックもせずにドアを開けると、
本を読んでいたらしいジュウケイが驚いて顔を上げた。

「どうした、

「なんでカイオウに負けさせたのよ!?」

は詰め寄って、ぽかぽかとジュウケイを殴った。
殴ったが、一向に効いている様子は無いし、
椅子に座ったままジュウケイはを見たまま顔を顰めている。

「血筋によらぬ継承は、わし一人で十分だ。
 幸いなことに、宗家の子を一人預かることができた。
 カイオウは分家の子。
 あれはヒョウの従者となるべき男だ」

「強いのはカイオウじゃない!」

「強ければよい、という話ではない」

は気が済むまでジュウケイを殴った。
ジュウケイはされるがままになっていたし、
反撃したり、はじき返すことも無かった。

「カイオウは強い。
 だが、伝承者となるべき男はヒョウなのだ」

諭すように、繰り返しそう言っていた。
そんなもので納得できる訳が無かった。

その一戦のせいで、カイオウの取り巻きが去った。
ヒョウは何も考えていないのか、
それとも本当に馬鹿なのか、
それともそう装っているのか分からないが、
とにかく以前と変わらなかった。
だから、カイオウの周りにはとヒョウしか居なかった。

はヒョウに対して腹を立てていた。
そしてジュウケイに対しても嫌悪感を抱いていた。
ヒーローだったカイオウは、二人のせいで地に落ちた。
知っていて、何故以前と同じように接することができようか。

カイオウには首輪がつけられたも同然だった。
彼が可愛がっている弟達も人質同然の扱いであったし、
おとなしくする以外の選択肢を与えられていなかった。

それでも、強いのは確実にカイオウだった。

あまりにも理不尽で、腹が立った。
だが、カイオウを詰るのもお門違いであるし、
何も考えて居なさそうなヒョウを叩いても意味が無い。
ジュウケイは思う様殴ったが、なんら変化は無かった。

だから、は一人で泣くことにした。
見晴らしが良く、それでいて近付く人間の少ない場所を探して。
ぐずぐず泣いていると、
大抵の場合カイオウに見つかった。

「師父にお前を連れ戻せといわれた」

「嫌」

カイオウを見るとまた泣けてきた。
は断固動き出そうとしなかったので、
仕方なしにカイオウはと並んで座った。

「何があった?」

「……だって」

カイオウの方が絶対に強いのに、
ジュウケイはカイオウではなくヒョウばかりを贔屓する。
ということを、つっかえながらも伝えた。

「……俺のためか?」

「……」

カイオウは「ありがとうな」と言って、
の気が済むまでそうしていてくれた。
なので、はぐずぐずとずっと泣き続けた。






自分よりもよっぽどカイオウに懐いているのを見て取ってか、
ジュウケイはの世話もカイオウに押し付けるようになった。
ヒョウの相手をして、の世話を焼いて、
身の程知らずにも挑んでくるハンの相手をする。
師父は自分を何だと思っているのか、と問いただしたくなったが、
尋ねるタイミングも勇気もカイオウには無かった。
意識を失うまで殴られるに決まっている。

は時折、思い出したように機嫌を損ねる。
それを探しに行くと、
大抵屋根の上やら木の上など、高く見晴らしの良い場所に居る。
それも人のあまり近寄らない場所である。

大抵泣いていて、それは悔しいからだそうだ。
血がどうのと小うるさいジュウケイと、
カイオウの忍耐の上に胡坐をかくヒョウが憎く、
悲しくなってくるのだと。
何度も根気強く聞いて、そうであるらしいということが分かった。

がそうやってぼろぼろ泣いてくれるので、
カイオウは人前で悔しくて涙をこぼすなどということは無かった。
だが、それでよかった。
情だの愛だのというものはカイオウには必要ない。
そんなものがあるから、苦しい思いをせねばならない。
ならば、そんなものはいらない。

そんな中、ラオウとトキが宗家の子、
ケンシロウを連れて海を渡ることになった。
その決定を聞いたとき、
カイオウはこの世の終わりのような気分になった。

宗家のために、母は死んだ。
残された弟妹を守るために耐えていたというのに、
彼らはカイオウを置いて海を渡っていくという。
赤子のケンシロウの従者として。
そしてその先に待つのは、カイオウと同じ苦痛なのではないか。

宗家の血ではないからと、ラオウも辛酸を舐めるのではないか。

身を引き裂かれるような思いだった。
何のために耐えてきたのか。
ラオウはそれを知ってか知らずか黙って受けたし、
ケンシロウやトキは何か意見を発するには幼すぎた。

ヒョウは幼い弟を見送りに海辺まで行ったという。
カイオウにそんな元気は無かった。

ふと、なんとなくがいつも居る場所に出てみた。
いつもはの機嫌を取るので精一杯で見たことが無かったが、
随分景色の良い特等席らしかった。
遠くに海も見える。

無性に泣きそうになったので、
己の体に傷でも付けにいこうかと思ったら、
もう一段下の階層にの頭が見えた。
両手で顔を多い、ぐずぐずと泣いていた。

それを見ると、すうっと気持ちが落ち着いた。
が居るとくだらない苦痛を感じずに済む。
泣きじゃくるの機嫌をとってやらねばなと思いつつ、
カイオウはしばらくその背中を眺めていた。
がそうやっていてくれるから、カイオウはまだ耐えられた。