おまじない


カイオウは大抵とほぼ同時に目覚めるか、
よりも先に目覚めている。
先に向こうが目が覚めた場合は時間が来るまで横になっている。
その日は珍しくの方が先に目が覚めた。
カイオウはまだ眠っているようで、目を閉じたまま動く気配が無い。

何故目が覚めたのかというと、
カイオウがを抱く力が強すぎるせいである。
最近そんなことが続いている。
締め上げられているの方が苦しいはずなのに、
カイオウの方が苦しげな寝息を立てている。

が目覚めると大抵カイオウも覚醒して腕の力を弱めてくれるが、
今日はそうもいかないようだった。
身をよじってみたが、
カイオウが覚醒する気配は無い。

の首筋に顔をうずめ、きっと眉間に皺を寄せている。
その皺が無くなる場面に出くわしたことは無く、
疲れるのではないだろうかと思うくらいにずっとある。

思えば、眠っているカイオウを見るのは久しぶりのことである。
起すと同時に首をつかまれたこともあったし、
の腹に顔を押し当てていたこともあった。
特に後者は気を失っていたこともあり前後の記憶が不確かではあるが、
あのときのカイオウは常に無く不安定な様子だった。

反逆者には死を与え、
弱者にも死を与え、
敵対する者にも死を与え、
無数の屍の上に立つカイオウが何を不安に思うことがあるのだろうか。
病気や寿命以外でカイオウに死を与えられる存在など無いように思える。

そのカイオウが、を逃すまいと手を尽くしている。

逃げ出そうとしたあの日の後もの待遇は変わらなかった。
城の中もの目から見たところでは変化は無い。
あの日監視についていた修羅の姿が見えないような気がしたが、
彼らの顔をはっきりと記憶するほど眺めたこともなく、
居るのか居ないのかを判断することもできなかった。

(……きっとただの配置換え)

はそう自分に言い聞かせている。
彼がのせいで人生を中断した可能性もある。
誰かがあの修羅を殺し、その誰かにはカイオウが命令し、
そのカイオウに決断させた原因はにあるとしたら。
考えると罪悪感に押しつぶされそうになる。

この件に関して、カイオウはにやりと笑うだけで何も答えない。
これをネタに脅しをかけるという手段に出るわけではないので、
それが優しさなのか、逆にプレッシャーをかけたいのか、
にはよく分からなかった。

この城で暮らし始めてから、既に何人かが姿を消している。
姿を消した女官は、誰かに与えられたのだという噂を聞く。
それは以前からそういう話であった。
毒を盛ったという料理人は、拷問を受けたらしいという噂を聞いた。
監視の修羅はぽつぽつと入れ替わるような気がするが、
はっきりと真実を知ることの方が恐ろしいのではないかとも思う。

理由はさっぱり分からないが、
彼にはに縋るように抱きしめる以外の道は無いらしい。
身寄りの無い、カイオウの庇護の下で生きる、
何の力も無い割に逃げ出そうとしたなのに、である。

カイオウの額の皺は、いつもよりも深いような気がする。
よほど嫌な夢でも見ているのか。
時間でもないのに起すのもためらわれるが、
このままで居るのも苦しい。

ふと、まだ両親が生きていた頃にしてくれたお呪いを思い出した。
ぐずるを寝かしつけるために、
「ここに居るから」と言いながらかけてくれたお呪い。
気休めでもそのお呪いをかけてやろうと思った。
カイオウが何をそんなに苦しんでいるのか、
にはさっぱり理解できないままではあったが。

「――……ここに居ますよ」

はカイオウの額に唇を押し当てた。

カイオウがびくりと震え、を抱く腕に瞬間的に力が入った。
一瞬息ができなくなり、咽る。

「……驚かすな」

漸く覚醒したらしいカイオウはそう言って、
の背中を撫でてくれた。
落ち着くまでそうして、
の呼吸が整うとすぐにもとの体勢に戻った。
腕の力は緩く、を締め上げようとする気配は無い。

「何故先に起さん」

少し眠たげな、かすれた声でカイオウが言った。

「お疲れのようでしたから」

「そうでもない」

カイオウがの首筋に唇をつける。
そのままのど笛を噛み千切られるのではないだろうか、
と思ったがそんなことは無かった。
ただ、強い口付けの痛みがした。

「よく眠れるおまじないなんです」

きっと首筋には痕が残るだろう。

「ほう?」

そう言ってを見上げた顔は、
嘲るでもなく、訝るでもなく、
表情が無かった。

「……お気に障りましたか」

「いや……違う。
 なんでもない」

カイオウは顔を隠すように、
また首筋に顔をうずめた。
深いため息をついて、の体を抱き寄せる。

それ以上話すことも無いのでは目を瞑ってみたが、
カイオウは眠りにつく様子は無い。
もとよりカイオウの方が先に眠ることも皆無ではあるが。

がもぞもぞと動くと、
カイオウはほんの僅かだけ腕を緩めた。

「カイオウ様」

「何だ」

気怠げな、すこし不機嫌そうな声が返ってくる。
は自由な方の腕でカイオウ頬に触れた。

「もう一度おまじないをさせてください」

がそう言うと、カイオウはまた顔を上げた。

「それでお前の気が済むのか」

不愉快そうな、それ以外の感情が分からない顔。

「はい。
 目を瞑ってください」

そう返事すると、カイオウはおとなしくまぶたを閉じた。
はその額にもう一度唇をつけた。

からカイオウに触れるときは、
何かしら願掛けをしている気がする。
手当てをしていたときは、兄が回復しますように、と。
今回はカイオウの心が休まりますように、と。

前回はその祈りも届かなかった。
当たり前である。
祈ったところで事態が改善することなどあるはずも無く、
単にの自己満足に過ぎなかった。

「満足したか?」

カイオウが目を開いた。
「はい」とは返事をした。
すると、カイオウはくつくつと笑った。

「何か可笑しいでしょうか?」

「お前はいつも妙なものばかり俺にねだる。
 金も、宝石も、何も望まんというのにな」

カイオウがの胸元のネックレスに触れた。

「……」

自由以外はカイオウが全て手に入れてくれる。
これ以上ない贅沢であるとも言えるが、
これ以上ない不幸であるとも言える。
返すべき言葉が思い浮かばない。

「俺にはお前がさっぱり分からん」

そういって、カイオウは目を瞑った。
も目を瞑った。

カイオウに穏やかな眠りが訪れますように、
はうとうととしながらまた祈った。