優先順位
が逃げ出したのは、
が外に思いを馳せたからに違いない。
カイオウはそう断じて、
の無聊を慰める計画を立てた。
彼女の願いならば大抵のことは叶えるつもりでいたが、
そもそも彼女は何かが欲しいと主張することも稀である。
だから彼女が何かを欲しがるように仕向けるため、
商人の出入りを許すことにした。
カイオウに甘えさえすれば、
何もかも満たされるのだと理解してもらわねばならない。
それには不安が伴う。
カイオウの命を狙う輩からの攻撃の、
そのとばっちりを
が被る可能性を否定しきれないからである。
しかし、何かを得るためには何かを犠牲にせねばならない。
そう決断した。
幸いカイオウが手にした富みを目当てに、商売人が数人名乗りを上げた。
というか、以前から
との面会を申し出ていた。
カイオウはそれらの商売人が出入りすることを許可した。
「今日は機嫌が良いな」
それから暫くして、
は珍しく楽しげな顔をしていた。
「そうでしょうか?」
はそう言ったが、カイオウはその原因を知っていた。
彼女から、甘い香水の香りがしたからである。
「香水は好きか」
「いえ、あの、手に入れたいと思うほどでは……」
カイオウの言葉は、
の顔を翳らせた。
それでも来客は彼女の気を紛らわせるには十分な働きをしているし、
様子を見ておこうという気にさせてくれた。
それから暫くして
は来客の話をするようになった。
墓の掃除ばかりしていた頃に比べると、随分表情も明るい。
「珍しい蜂蜜を下さったんです」
と、
は小さな壜を机の上においた。
「甘い物はお嫌いでしたでしょうか」
「そうだな」
「そうでしたね」と
はその壜から一滴、蜂蜜をカップに垂らした。
紅茶の湯気に乗って、蜂蜜の香りと、それ以外の香りが漂う。
が微笑む。
「――…気が変わった」
カイオウは
のカップを奪って、机に置いた。
代わりに彼女を引き寄せて口付ける。
「カイオウ様!」
は拒否する姿勢を見せたが、すぐに大人しくなった。
抵抗することが無駄であることは理解しているらしい。
ひとしきり
を堪能したところで眠らせて、
侍女を呼びつけてカップを片付けさせた。
の護衛の一人には、
その蜂蜜を持ってきた輩を確保するよう命じた。
準備が万端整うまで、
を抱えて少しだけ眠った。
彼女のどこまでも柔らかで、白い体を抱いていると、
カイオウはいつになく安堵する。
今は、
は腕の中に居る。
「言えば楽になるぞ?」
縛り上げられた女と、同様に縛り上げられた雇い主が床に転がっている。
自白させることは破孔を突けば簡単であるが、
を巻き込んだ罪は重い。
彼らには苦痛と、自白するという苦渋の決断をした後、
後悔に苛まれながら死んでもらう。
が持っていた蜂蜜は、それ自体はそれなりに貴重な品である。
しかし、毒が混ざっていた。
「誰が……!」
雇い主の男がカイオウを睨む。
健気なものである。
女の方は虫の息で、辛うじて呼吸をしている程度である。
こちらはもう使い道が無い。
「今すぐこの壜の中身を飲み干すか、
貴様を雇った主の名前を言うか、選ばせてやろう」
カイオウは男の頭髪を掴んで持ち上げた。
彼はカイオウを睨む。
気骨のある男を評価する尺度は持ち合わせているが、
それが敵であった場合は面倒だという感想以外ない。
カイオウは自白を強要することを諦めて、破孔を突いた。
「―――…」
男は己の意思に関わらず、自白した。
言いたく無いと顔を歪めていた。
全てを吐き出し終えると、今度は命乞いを始めた。
全て聞いただろう、と。
だから助けてくれ、と。
どんな輩であろうとも、命乞いする姿は本当に見苦しい。
「俺がいつ、助けてやると言った?」
そう言ってやると、男は目を見開き、瞬きもせず、
口をぱくぱくと動かした。
陸に上がった魚のようだと思った。
「――…そう、ですか。
お忙しいのですね」
に残念そうな顔をさせたのは、
先ほど息絶えた女で、理由は結婚のための引退である。
「すまんな、折角親しくしてたようだったのに。
貰った蜂蜜も壜を落として割ってしまったそうだ」
カイオウと
の前にはカップがあり、
先日と同じように温かな紅茶が注がれている。
「謝っていただくようなことは何も」
は首を横に振った。
「何のお役にも立てませんのに、過分な生活を与えて頂いております」
「そんなことは無い」
の首には相変わらず贈ったネックレスが輝いている。
己の物だ、という証である。
はそこに居てくれるだけで良い。
今回の件で身中の虫とも言うべき造反者を炙りだすことができた。
彼女のおかげだ。
「――…何か贈られたときは教えてくれ。
こちらも相応の見返りを用意する必要があるからな」
は驚いたような顔をして「はい」と答えた。
以前毒を盛られたことを思い出したり、
今回の真相に何やら感づいたのかもしれない。
伝えられるまで己の身上について深く考えていなかったのだろうか。
それとも、他人の悪意に不慣れなのだろうか。
――…どちらでも良い。
生活は保障する。
危険は全て排除する。
カイオウの手の内に居てくれればそれで良い。
が困ったような笑みを浮かべた。
カイオウは笑みを浮かべた。
この目の前の女もろともにカイオウを狙う輩など、
たとえ使い道があったとしても消え去れば良いのだと思った。
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