haze


暫くして、カイオウの寝息が規則的になった。
を締め上げる腕の力も弱くなった。
その頃には、も落ち着いてきていた。

落ち着くと、朝の支度をしなければと思った。
身じろぎするとカイオウが目を覚ました。

「おはようございます」

「……何をしている」

「何もしてませんよ」

カイオウはまた目を瞑った。
瞑ってから、見開いた。

漸く離してくれたので、
はベッドから降りた。

「傷、消毒して良いですか?」

「傷?
 ああ、いや、必要ない」

カイオウは混乱した様子で起き上がり、
顔を顰めつつ片手でこめかみを押さえている。
は応急セットをカートから出して、
勝手に傷口の消毒をした。

ガーゼを張り終える頃にはカイオウも落ち着きを取り戻し、
が応急セットを仕舞う頃には不機嫌な顔になっていた。

「必要ないと言ったはずだ」

「願掛けなんです。
 大目に見てください」

願掛けと聞いてカイオウは思い至ったのか、
口ごもった。

水盤を用意すると、無言でカイオウは顔を洗い、
着替えを渡すと、無言で着替え、
食事の用意をすると、無言で食べた。

食べ終えるといつもどおり出て行った。
は服を染み抜きに出さなければならなくなったが、
それを伝えるのが面倒だった。

の周りには、もう誰も居なかった。

それから数日間、カイオウは無言だった。
も話す言葉を持たなかった。
カイオウは魔闘気を毎日噴出し、
新しい傷は毎日増えて、
は無言で、それを消毒した。

カイオウは止めなかった。

センの容態を伝える連絡は入らなかった。
死ねば、さすがにヒョウが連絡をくれるだろう。
連絡が無いのは、回復も悪化もしないからだろうか。
は一人でそんなことを考えていた。

休みか暇を請うて、センのところへ行こう。
そう決めた。

そう決めたとたんに、連絡が来た。
ヒョウからの手紙だった。
は封筒を乱暴に開いて、中の手紙を読んだ。

「嘘でしょう?」

口から、漏れた言葉はそれだけだった。
もう一度手紙を読んでみたが、
は一つだけの意味を読み取れなかった。

嘘だ。
嘘であってほしい。

は何度も手紙を読み返し、
センの死以外の内容を読み取ることができないことを確認し、
泣いた。

しばらく泣いて、
やっぱりもう辞めてしまおうと思った。
センの不祥事を隠すにも、センは死んでしまったし、
カイオウは怖いし、
こんな所に長居する理由は無かった。

手紙をもう一度読み返すと、
ヒョウが雑事を片付けてから迎えに来てくれるらしかった。

辞めてしまおう。

は兵士に、
カイオウが広間に居ることを聞いた。
勿論辞めることを伝えるためである。

辞めたい。
ヒョウが来たら、ここから出たい。
兄が死んでしまったので。
そう伝えるつもりだった。

は自分が歩ける最速の速さで広間に行き、
扉を開け、そこで瞑想するカイオウを見つけた。
声をかけようかと思ったが、
の目の前で、カイオウは己の体に指を刺した。

「何してるんですか!?」

悲鳴のような声が出た。
カイオウが目をあけ、を確認すると首をかしげた。
既に、カイオウは己の血で血まみれである。

「ここで何をしている」

「何って、
 私よりカイオウ様でしょう!?」

は混乱した。
カイオウの傷は、カイオウが付けたもの。
最強のカイオウが。
何故?

「……最近、貴様を見ると母を思い出す。
 捨てたと思っていた母の記憶が浮かんでくる。
 何故だ。
 俺は貴様が憎い」

カイオウの体から魔闘気が噴出した。
はめまいがした。
そんなこと知らない。

「傷が」

手当てをしないと。
血が流れている。

「そう、傷がある。
 貴様がそれを手当てする。
 だから思い出したのか。
 思いを捨てるたび、貴様がそれを拾う!」

カイオウが吼えた。
壁がびりびりと震えている。

「……安心してください。
 もう辞めます。
 兄も死にました。
 私は、暫く休みたいんです」

ヒョウも迎えに来てくれる、と言うと、
カイオウを覆う魔闘気の量が突然増えた。

「ヒョウが来るだと!」

カイオウは泣いているように見えた。
その顔がくしゃりと歪んだ。
燃え上がるように魔闘気があふれている。
憤りつつ、悲しんでいる。
めまいがひどくなった。

やはり、カイオウは神様なんかではない。
ただ、何事かに耐え、
苦しみ、もがいている一人の人間だ。

はそう確信しながら、
意識が遠のいていった。
次に目が覚めたら、
全ての面倒ごとから解放されていたら良いのに。
無理だと分かっていても、はそう思いながら意識を手放した。