haze
それから数日経って、ようやく
も仕事に慣れた。
一日の中で、緩急がつきすぎていた。
忙しい時間帯は激しく緊張し、
何も無い時間帯は昼寝できるほど穏やかである。
懸念されたカイオウの機嫌はおおむね良好で、
やはりずっと恐ろしい人間というのは居ないのだ、と確信した。
はそう思って油断しきっていたが、
カイオウの機嫌が極限まで悪化する日が来てしまった。
朝は普通だったのに、
戻ってきたときには炎が出ていた。
食事の用意を終えると、
片付けは明日でよいから、と、
全ての準備を一時にさせた。
何かあったのだろうな、と思いつつ、
は何も言わず従った。
なんとなく、寝酒の準備をしてベッド脇のテーブルに置いた。
次の日、
はいつもより早めに部屋に入った。
水盤を新しいものに取替え、
放ってある鎧を拾い集める。
いつもは磨きに出しているが、
今日は時間が無いので、
一度部屋の外で目立った汚れが無いことを確認して、
乾拭きしてから着替えの準備をする。
寝酒の準備をしていたが、
酒の壜が空になっていた。
強めの蒸留酒だったように思うが、
カイオウの体型を考えると、
あまり効かなかったのかもしれない。
時間になったので、
はベッドに近づいた。
カイオウはいつもどおり目をさまし、
むくり、と起き上がった。
肩から血が出ていた。
「カイオウ様、お怪我が」
「大事無い」
カイオウはそう言って、普段どおり顔を洗い始めた。
ヒョウの心配は杞憂ではなかった。
カイオウは怪我をしていた。
タオルを要求するように手を出したので、
持っていたタオルを渡す。
「カイオウ様」
「なんだ」
「傷の消毒だけでも、させていただけますか?」
見たところ、命に関わる大怪我とは思えない。
しかし、放っておいて化膿することもある。
その程度には深い傷だった。
「大事無いと言ったろう」
「確かに命には関係無さそうですが、
傷としては浅くないかと……」
がそう言うと、カイオウは驚いた顔になった。
少なくとも、驚いたと思われる顔になった。
「手当ての心得でもあるのか?」
「兄がおりますので」
「センか、そうか、まあ、必要か」
カイオウは少しうなって、言った。
「消毒すれば気が済むか?」
「良いですか?」
「良い。
だが、次から口を出すな」
「……はい」
はやっと、ヒョウから依頼されていた本当の目的を達成した。
やはり、カイオウは怪我をしていた。
理由は分からないが。
部屋から応急セットを取ってきて、
まず蒸留水で傷口を洗い、消毒液をぬりたくった。
その上からガーゼを当てて、終わりである。
本来なら縫っても良いところだが、
消毒だけ、という話だったのでやめておく。
応急セットを片付けて、着替えを手伝う。
カイオウは何も言わなかった。
朝食の準備も滞りなく済んだ。
食堂から出たときの、他の女官の視線が痛い。
彼女達との間の、埋めがたい溝の深さを感じた。
昼間の弛緩しきった時間帯に、
宛に荷物が届いたという連絡が来たので受け取りに行った。
センから返事が来ていた。
「俺のために頑張ってくれ」と書かれていた。
それと一緒に小箱も届いていた。
中身は解熱剤や鎮痛剤と共にぬいぐるみが入っていて、
センとは違う字で「頑張ってくれ」と手紙が入っていた。
ヒョウかもしれなかった。
薬を応急セットにつめこんで、
再び刺繍に取り組んだ。
続けているが、一向に上達しない。
傷口を縫合するのにはなれたので、
二枚の布を縫い合わせることはできる。
その割に、刺繍はさっぱりだった。
その日の夕食の世話を終えて、
着替えの際にカイオウのガーゼをはがした。
交換するためである。
しかし、問題の傷口は既にふさがりかけていた。
脅威の回復力である。
「大事ないと言ったろう?」
どうだ、と言わんばかりの顔でカイオウが言う。
「本当ですね。
信じられない」
次の日にはかさぶたが傷口を覆っていた。
彼にとってはかすり傷程度のものらしい。
この回復力をもってしても、
ヒョウが気づく程度に分かる怪我。
そうなると、よほどの大怪我である。
そんな怪我に、自分に対応できるだろうか?
はぼんやりとした不安を感じた。
十日が過ぎた。
は周囲から浮いているが仕事になれたし、
ヒョウから頼まれていたカイオウの手当ても、
一度きりだがした。
自分は一ヶ月で終わりだと思っているが、
周囲の誰かからその話を出されたことはない。
騙されているんじゃなかろうか、
と
は漸く疑い始めた。
二十日後家に帰れるのか、と手紙に書いてセンに送った。
返事までタイムラグがあることを考えると、
もしかしたらこのまま「返事を忘れてました」とか言って、
一ヶ月以上放り込まれたままになるかもしれない。
嫌な予感だけがもやもやと
の中で渦巻いていたが、
周囲に相談できる人間は誰もいなかった。
業務にあまり関係ないことを一番話すのが、
カイオウだというのだから悲しくなってくる。
不安で仕方なかったが、
仕事を続けるしかなかった。
仮病でも使おうものなら皆で
を糾弾しそうな雰囲気だったし、
仕事でもしなければ、
本当に何もやることが無かった。
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