haze
それから、
は縫い物をしなくてもよくなった。
掃除もしなくてよくなった。
ただ、カイオウに近寄る仕事は、
全て
の担当になった。
(何故こんなことに……)
は頭を抱えた。
約束の一ヶ月の期限まで、まだまだ時間がある。
職場でいじめに遭っています、
とセンに手紙を書こうかと思ったが、
あの兄ならば「がんばれ、俺の出世のために」とか言いかねない。
誰の不祥事のために頑張ってると思っているのか。
の仕事は、皆で全力サポートしてくれるらしい。
やったことのない着替えの準備も、
この順番で渡すのだ、
と懇切丁寧に説明してくれた。
明日の機嫌がどうなるのか知らないが、
今日のような状態であれば、別に怖くは無かった。
センも外では敵を殺しまくる修羅ではあるが、
家では普通の駄目な兄である。
カイオウも城では普通の人……なのかもしれなかった。
次の日、
が部屋に入ると、
カイオウはまだ眠っていた。
眠るのだな、と人として当然の行動に驚きつつ、
着替えの鎧の準備をした。
準備が整ったのでベッドに近づくと、
センと同じく気配で目を覚ましたようだった。
「お時間です」
が声をかけると、カイオウは「ああ」とか、
よく聞き取れない声でうなった。
(近づいただけで起きるところとか、
楽で良いんだけど、怖いわよねー)
見た目の審査でもあるのかと思うほど整った容姿の女官ばかりだが、
その中でも少し小柄で、
少し肉付きの良い一人がそう言っていた。
(センもそうなんだけどなあ……)
カーテンは着替えが終わるまで開けない。
カイオウはむくり、と体を起こした。
「!?」
裸だった。
驚いたのはそこではなく、
体中に夥しい傷痕がついていた。
薄暗い部屋の中でも分かる程度に、
痛々しい痕だった。
センの話では、
カイオウは敵に触れられることなく圧殺していくという。
ヒョウの懸念は本物だったのだ。
「ああ……傷跡のことは誰にも言うな。
言ったら殺す」
寝起きの、少しかすれた声だったが、
それでも殺気は本物だった。
初日と同じく、脂汗が滲む。
は「はい」と返事するのが精一杯だった。
下は穿いてくれていたので、
安堵しつつ予定通り水盤の用意をする。
顔を洗い終わるのを見計らって、タオルを手渡す。
その後、服と鎧を渡していく。
鎧は一つのパーツだけでも随分重い。
渡し終えると、カーテンを開けて朝食の準備だ。
食堂の前では、カートがセッティングされていた。
リューナに押し出されるようにして、
カイオウがいる食堂に入る。
がちょこまか動いていると、
カイオウはさすがに気がついたようだった。
「これもお前の仕事なのか?」
できれば話しかけないでほしい。
恐怖で手順が頭から飛んでいく。
「はい。
……縫い物があまりに下手だったので」
仕事を代わってもらうことになった。
そう説明することになっていた。
「そうか」
別に興味は無いようで、
それきり会話は途絶えた。
はつつがなく朝食の支度を終え、
食堂から脱出することに成功した。
その後の片付けや、昼間の作業諸々から
は外れている。
やっぱりセンに職場でのいじめを直訴してやろうと、手紙を書いた。
傷痕の秘密を守るためか、検閲があり、
のやんわりとした恨み節はそれを通過して送られていった。
部屋でむしむしと刺繍の練習をしていると時間になり、
は夕方のラウンドの準備を始めなければならなかった。
まず、夕食の準備である。
戻ってきたカイオウが、
すぐ食事できるようにスタンバイはできている。
カイオウが席についたので、
はカートと一緒に送り出された。
慌てて配膳している途中、
カイオウがにやにや笑っていることに気がついた。
怖い。
肉食獣めいた笑みは、
和やかな気配よりも恐怖を喚起する。
(どれもこれも、センが悪い!)
こんなに怖い目に合わなければならないのは、
修羅なのに、センが妹に本気で激怒したりするから!
荒波にもまれてこんな太い神経の女になってしまった!
カイオウに話しかけられても平気で、
別に命の危機を感じない鈍感な人間に……!
(馬鹿野郎!)
「慌てんでも良い。
できる速さでやれ」
突然話しかけられたので、
心でも読まれて返答されたのかと思った。
が、内容がぜんぜん違ったので安心した。
それとは別に、内容に驚いた。
焦っていると勘違いしてくれて良かった。
気持ちを落ち着けて、できる速さで配膳を続ける。
それがひと段落すると、食堂を出て着替えの準備に向かう。
部屋から呼ばれたら、
鎧を脱ぐのを手伝って部屋着と、
体を拭くための水盤とタオルを準備する。
その準備も整っていた。
皆準備は熱心だが、
カイオウに接する仕事だけをしたがらない。
職務怠慢と叫びたいが、いまいち微妙である。
サポートの仕事は万全なのだから。
暫くしてからお呼びがかかり、
予習したとおりにカイオウの世話をする。
その間に、別の誰かが夕食の片付けをしているはずだった。
もそちらに参加したかった。
鎧をカートに乗せ、
水盤で絞ったタオルを渡す。
見るたびに、痛々しい傷痕である。
そういえば、あの日
が縫った、
センの友人の傷はもうふさがったのだろうか?
誰か抜糸してくれたのだろうか?
兄と、友人達の顔を思い浮かべた。
なんだか、ずっと遠い過去のようだった。
「もう良い、下がれ」
カイオウがそう言ったので、それで終わりとなった。
は一礼して、部屋を出た。
酷く疲れていた。
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