花腐し


信長はの目に狂乱が宿ったのを見た。

初陣を生き残った人間は、二度目も三度目も生き残る。
は生き残り、狂乱を獲得した。
おそらく今後も使えるだろう。

光秀は城には居ない。
次の戦の準備や、偵察に忙しいという。
信長が命じたことはクリアしているので、
残りの時間は好きに時間を使えば良い。
然程興味が無い。

三日に一度の状態の報告が上がってくる。
別にそんな報告はいらない。
日々の成長を知るとそれなりに愉快ではあるが、
その真偽は次の戦場で確認するだけである。
死んだならば、所詮はそれまでの物だったということだろう。

光秀は次の戦の準備の他に、もう一件任せている仕事がある。
濃姫、蘭丸の捜索である。
手がかりは無く、別の人間に任せていたが、
お手上げだったために光秀にまわされた。
その光秀も有益な情報を入手している訳ではなさそうだ。

戦の準備を優先しているのだろうか。
まあ、日の本全て掌中に収めれば見つかるだろう。
急かすほどのことでもない。

濃姫も蘭丸も、遠距離からの攻撃を得意としていた。
連れ歩くのに面倒が少なくて良い。
は逆に、超近接攻撃である。
敵が命を奪われる恐怖に顔が引きつるのが見えた。

回避不能な恐怖と死を与える

刀を使う自分よりも尚近い。
なんと楽しい余興であることか。






はくるくると手の中で銃を回していた。
動きに慣れるためである。

防御はなんとかできるようになってきた。
あとはスムーズに攻撃に移行するだけである。
ホルスターから抜き、相手の顎に向ける。
この動作が難しい。

それと同時に、銃が本来得手とする遠距離の攻撃の訓練を再開した。
的から距離を取り、狙い、引き金を引く。

だんっ

「……やっぱり駄目か」

こちらは難しいどころの話ではない。
毎回的の中央を狙っているはずなのだが、
右へ左へ、ふらふらと逸れる。

ため息をつきながら弾を込めていると、
隣に立っていた兵士が青い顔で耳栓を取れという動作をしている。
は何事かと綿の塊を引っこ抜いた。

「貸してみよ」

低い声が聞こえた。
振り返ると信長が立っていた。
いつから居たのだろうか。
そんな疑問が浮かんだが、悠長に質問している場合ではない。

「どうぞ」

は銃を差し出した。
信長は無造作にそれを掴むと、
ひょい、と構えて発砲した。

だんっ

火薬が爆ぜる音がして、的の中央に穴が開いた。
銃ではなくの腕前に問題があることが証明された訳である。

「ふん……」

ぽい、と信長が銃を投げて寄越したので、
は慌ててそれを受け取った。

「脇を締めて狙わねば狙いも定まらぬわ」

「はい……肝に銘じます」

信長はそのままどこかへ去るのかと思いきや、を睨んでいる。
撃って見せろということだろうか。
は渋々銃を構えた。
言われた通りに脇を締める。
引き金を引く。

だんっ

反動で腕が跳ね上がる。
弾は――…的の中央ではなかったが、左の方に穴を穿った。

「続けて見せい」

信長の命令に否、と答える人間がどこに居るだろうか。
は「はい」と返事をして弾を込めた。






「信長公が、ね」

光秀は目を細めた。
目の前の勝家は木偶の坊のごとく突っ立っている。
に不審な動きがあれば伝えるようにと命じていたので、
彼は命令どおりが信長から射撃の指導を受けたと報告に来た。

光秀の予想を裏切り、は順調に育っているようである。
それに加えて、元々濃姫の側近をしていたせいか、
頼んでおいた雑用もきっちりとこなしている。
更に、戦が無いせいで暇を持て余した信長がを贔屓する。
他の家臣に完全に見くびられている勝家よりも、
のほうがよっぽど信頼を勝ち得ている。

光秀が予定していた戦の準備は遅滞なく進んでいたし、
が雑用をきっちり片付けてくれているので楽である。
彼女の存在は目障りであるが、
だからといって消すには勿体無いようにも思われた。

帰蝶とは違い、は今のところただの兵士である。
妻ではない。
そう自分に言い聞かせて気持ちを落ち着ける。

彼女の目に己と同じ狂気がちらと見えたが、
そうであるうちは何ら問題ないだろう。
ただの信長の走狗であるならば。

「勝家。
 はそのうち信長公の邪魔となる存在になるかもしれません。
 くれぐれも、しっかり見張っておくのですよ」

「光秀様の命とあらば」

勝家は頭を垂れた。

彼は殊勝な態度を崩すことは無いが、時折目に野心が戻る。
ただの傀儡ではない証拠である。
しかし、の成長と同じくらいに瑣末な不安である。
この小さな不安の芽を暫く放置する。
光秀はそう決めた。