悪夢呼ばい



三河を出て、次に到着したのは城ではなかった。
そこにはでかでかと「武田道場」と掲げられており、
誰の領地の何という建物なのかが一目瞭然であった。

「む!
 佐助、佐助ぇっ!」

その入り口に立っていた青年は、
驚いた様子で誰かを呼んでいるが返事は無い。

「彼が武田の若虎、真田幸村だよ。
 私は少々苦手でね……」

珍しく久秀は眉をひそめた。

「松永殿。
 貴殿がこの道場に用があるとは思えないが、何用か!?」

えらく力のこもったしゃべり方をする青年である。

「公方から書状が届いているはずだが、
 いやはや、卿の所には話が下りておらんようだね」

青年は「暫し待たれよ!」と叫んで中に走っていった。

「信玄公が出てきてくれれば話が早くて助かるのだが」

やれやれ、とでも言う風に久秀は肩をすくめた。
確かにこの嫌味な御仁にとって、
万事熱血らしき幸村は鬱陶しいのかもしれない。
その久秀の期待を裏切って、
中に入ったときと同じ勢いで幸村が戻ってきた。

「お館様は道場で力を試してから結論を出すと仰せである!
 どうぞ、中へ入られよ!」

義輝はどんな書状を送ったのだろうか。
しり込みする以上に嫌そうな顔をした久秀は、
間髪入れず「遠慮するよ」と言った。

「こちらは公方の妹君をお連れしているんだ。
 怪我でもしたらどうしてくれるつもりだね」

先ほどの言葉から考えるに、それは建前であり、
彼は単純に面倒に思っているのだろう。

「しかし……ぬっ!?」

「武田め、覚悟!!」

わき道から白い影が突進し、道場の前に立つ幸村に襲い掛かった。
がち、と硬い何かがぶつかり合う音が響いた。

「直虎殿!?」

「ちっ!」

細身の女性が、
身の丈ほどの剣を振り回して着地する。
「死ね!」と彼女は再び幸村に突進した。

「……あれでは公方を守るどころの話ではないなあ。
 次へ行くので良いね?」

久秀の言葉に、は「そうですね」と素直に頷いた。
幸村と直虎の激しい剣戟の音が響き渡っている。

「風魔!」

久秀が声をかけると、風魔はすぐに姿を見せた。

「行くぞ。
 長居は無用だ」

「ちょっと待てって。
 俺様との勝負はこれで終わり?」

黒い羽がひらひらと舞い落ちる中に、人影が現れた。
頬と鼻に何やら色をつけた茶髪の青年である。
どうやら風魔はどこかで彼の相手をしていたらしい。

「我らのことより、主の心配をしてやったらどうかね」

久秀の言葉に青年は幸村と直虎の方を見て、「あちゃー」と言った。

「直虎さん助けないで良いんですか?」

が聞くと、青年はへらっと笑った。
久秀がにやにや笑っているのも気になるが。

「俺様の主はあっちの槍持ってる方ね。
 ほっとくと道場の入り口滅茶苦茶になるから目が離せらんないの。
 はいはい、もうどっか行ってくれたら良いよ。
 邪魔しなかったら何もしないからさあ」

「お言葉に甘えて退散させてもらうよ」

久秀はこれまた珍しく早々に退散を決めたようだった。





次に向かったのは、随分と涼しい所だった。
両腕を手でこすっていると、
風魔が上に羽織る物を用意してくれた。
久秀の方はさっさと着込んでいたようで、そ知らぬ顔で歩いている。

「次も武田とは違った意味で血気盛んな土地柄でね。
 歓迎の度合いは大阪に近いんじゃないかな。
 気をつけてくれたまえ」

大阪といえば、兵士がわらわら集まり、
門の所では抜刀寸前の三成に熱烈歓迎を受けた場所である。
珍しく風魔が姿を現し、の後ろにぴたりとついている。

門に近付くと、兵士達が明らかに久秀をにらみつけてきた。
武器を構えて陣を組む。
そして次から次へと集まり、
と久秀、風魔を取り囲んだ。

「ここの主は独眼竜伊達政宗だ。
 その右目の片倉小十郎も居るはずなのだが」

久秀は腕を組んで突っ立っている。
周囲から次々と罵声が飛んでいるが、
一向に意に介する様子は無い。

「本当に来るとはなあ、松永」

その人垣が割れ、馬に乗った片目の男が現れた。
彼が伊達政宗なのだろう。

「公方たっての依頼だ。
 手を抜くわけにはいかないからね」

政宗は口元は笑みを浮かべているが、
その目は明らかに敵意にあふれていた。
それも並々ならぬもので、殺意に近い。
その片方だけの目がちら、とを見た。
同じ片目の元親よりも、随分と鋭く、刺す様な視線である。

「義輝の野郎に伝えておいてくれ。
 どんな上玉連れてきたってお前に付くことはねえ、とな」

「確かにお伝えしよう。
 ときに、片倉小十郎は元気にしているかね?」

「ahn?
 貴様には関係ねえだろう」

「そう言ってくれるな」

久秀が手を上げようとすると、政宗とは別の方向の人垣が割れ、
茶色の陣羽織の男が刀の切っ先を久秀の喉元につきつけた。

「手を下ろせ。
 ゆっくりだ。
 その爆薬を全て捨てろ」

頬には大きな傷痕がある。
政宗は獲物を狙う猛獣のような鋭さがあるが、
彼は刃そのもののような、また別種の鋭さがある。

「手を下ろせと言っている」

「小十郎、今日は一応は将軍様の使いなんだ。
 あんまりいじめてやるなよ」

「……歓迎痛み入る」

小十郎の命令に従い、久秀は黒い粉を地面に撒いた。

「返事は分かったな?
 そこのお嬢さんには何の罪も無いが、悪いな。
 さっさと京へ帰りやがれ」

政宗の言葉に、否と唱えられる空気ではない。
喉につきつけられた刀を押し返しながら、
久秀は「そうさせてもらおう」と応えた。

今更ではあるが、
義輝はなぜこの男をの供につけたのか、さっぱり理解できない。