悪夢呼ばい



は久秀に対する不審を抱えたまま、次の城に到着した。
そして、一目で分かる禍々しさには足がすくんだ。

「卿はここまで来て引き返すのかね?」

「ここって、まさか」

「織田の城だ」

悲鳴が出そうになったが、声にならなかった。
魔王織田信長。
その名前くらいは知っている。

「心配せずともとって食ったりするような輩じゃないよ。
 それに、今日用があるのは彼じゃない」

久秀は大阪城のときと同じく、
迷いなく階段を上っていく。
彼の肝の太さは尋常ではない。
は彼の背後にできるだけ隠れるようにして進んだ。

「……松永殿。
 本当にいらっしゃるとは」

「丁度良かった。
 卿ならばきっと門番を押し付けられているだろうと思ってね!」

久秀の影から、はその向こうに立つ人影を盗み見た。
陰気な、無表情な男である。
久秀の嫌味に対しても無反応で、
大阪城の門の上で抜刀しようとしていた三成とは大違いである。

「彼は柴田勝家だ。
 信長公に反旗を翻したこともあるが、今は至って忠実な家臣だよ。
 命令に絶対服従という点では見所があると思うのだが」

なぜそう嫌味を交えて紹介するのだろうか。
そして、その嫌味を完全に無視する勝家は何なのか。
は色々と思うところがあったが、
戦闘には発展しそうに無いので久秀の後ろからすこし横にずれた。

「……公方が何をお考えなのかは分かりはしないが、
 私に造反を促したところで無意味なことだとお伝えいただこう」

彼がしゃべるだけで湿度が上がりそうだ。

「彼はお市殿が浅井家に嫁いでから、ずっとあの調子なのだ」

「聞こえると思いますよ」

は一応、釘を刺しておいた。

「何、聞こえているから言っているのだよ」

久秀はそう言って笑っている。
何を言えば彼の失礼な物言いを止めさせられるのだろう、
と考えていると、門の影からひょこりと銀色の頭がのぞいた。

「楽しそうですねえ」

「おっと、これはいけない。
 彼は明智光秀だ。
 適当なところで……」

久秀は言葉の途中で素早く剣を抜いた。
がつん、と金属同士がぶつかり合う音がする。
光秀がいつの間にか久秀の前に立ち、
鎌をぎりぎりと押し付けていた。

「信長公が目障りだと仰るのでね」

その鎌を押し返すように久秀も剣に力を込めている。

「そうかね。
 そろそろ退散しようとしていたところなのだが」

よほど力を込めているのか、声も力んでいる。
鎌は光秀が全体重を乗せているようで、かなり重そうだ。

「ならば結構です。
 こちらも暇ではないので、
 今すぐ消えるならば見逃して差し上げましょう」

光秀は鎌をひいた。
「すまないね」と久秀は剣を納め、踵を返した。
このまま嫌味を言い合ったり、
もしくは不意打ちに出たりするのかと思いきや、
そういったやり取りは無くすんなり終わった。

もこの撤退に関しては文句は無い。
光秀の粘着質な、恐ろしい視線に背中を晒しながら城を離れた。
意外なことに背中から襲われるということは無かった。





安土を離れたその足で向かったのは三河だった。
としては命からがら逃げ出した、という印象であったが、
久秀はそうは思っていないようで、
いたって普通の足取りで前を歩いている。

「松永殿。
 今日はどういった用件で参られたのだ」

門の前には精悍な顔立ちの青年と、
その後ろには巨大な鉄の塊があった。

「公方の妹君に日の本最強の武人を一目拝んでもらおうと思ってね」

「義輝公の書状にもあったが、真とは」

は軽く会釈した。
今まで会った誰よりも、彼のさっぱりとした口調には好感が持てる。

「ワシは徳川家康だ。
 そして、こっちが本田忠勝だ」

ぽん、と家康は鉄の塊を叩いた。
ぴーーー、と音がして鉄の塊が動いた。
はそれが人なのか、物なのか、よく分からなかった。

「戦国最強とは忠勝のことだ。
 ワシは今までも随分と助けられてきた」

「……とても、強そうな方ですね」

なんと謙虚な主なのだろう。
見たところ彼自身もかなり鍛えているようだったが、
確かに頑丈な鎧を纏った人(?)に比べればもろいのかもしれない。

「本多殿は空を飛ぶこともできるのだ。
 もしよろしければ姫も乗せていただけないかな?」

久秀は笑いをこらえるのに必死らしい。
確かにそうだろう。
が探しているのは日の本一の武人である。
この場合、家康ではなく忠勝の方が条件に合うのだから。

「調整も上手くいっているし、問題ない。
 良いな、忠勝?」

忠勝からぷしゅう、と空気が抜けるような音がした。
それから片膝を付き、手を伸ばしてくれる。

「手に乗ると良い」

家康が勧めてくれるので、
は申し訳なくなって忠勝の手に足を乗せ、
肩に手を添えた。

ばちっ

の手が何かに弾かれた。
すると突然、ぴーぴーと忠勝から妙な音がし始めた。
煙が上がり、目がぴかぴかと光っている。

「忠勝?忠勝っ!?」

家康が慌てて駆け寄り、背中を開いて中を確認している。

「すまない、どうも調子が悪いようだ。
 空を飛ぶのはまた後日でも良いか?」

「どうも姫は忠勝殿と相性が悪いようだね。
 今日はこの辺で失礼するよ」

「あまり歓待できずに申し訳ない」

家康はそう言って、弁当と茶を持たせてくれた。
忠勝の状況は予断を許さないらしく、
台車に乗せられて城門の内へと消えていった。

「松永様、絶対馬鹿にしてますよね?」

が言うと、

「いや?
 戦国最強の紹介をさせてもらったまでだよ」

と久秀はしれっと言ったのだった。