悪夢呼ばい
「こ、ここは……」
は目の前にそびえる巨大な要塞を見上げた。
「大阪城だよ。
さあ、行こうか」
久秀は友人の家に向かうがごとき気軽さで歩いていく。
しかし門番以外の兵がわらわらと集まり始め、
明らかに警戒されているのが分かる。
「松永殿。
貴殿にはここでお待ちいただこう!」
城門の上から声が降ってきた。
見上げると、青白い顔の男が刀を片手に立っている。
「あれが石田三成だ。
豊臣の左腕と呼び声の高い将来有望な若者だよ」
久秀が面白そうに笑う。
彼が笑う局面は相手を馬鹿にしているときなのではないか、
と
は薄々思っている。
「将軍直々のお願いで保護者をしているのでね。
何かあってからでは困る。
聞けない相談だなあ」
「貴っ様ぁぁぁ……っ!」
今にも飛び掛ってくるのではないか、と
は身構えたが、
門をくぐって別な青白い顔の男が出てきた。
「彼女の身の安全は僕が保障しよう。
何なら、首をかけても良い。
それで納得してくれないかな?」
その男の顔を見て門の上の男は押し黙り、
久秀は薄ら笑いを少し引っ込めた。
「……卿がそう言うならば、納得しよう。
彼は豊臣の右腕、竹中半兵衛だ」
「どうも、こんにちは」
にこり、と半兵衛が微笑む。
は慌てて「お初にお目にかかります」と会釈した。
華奢な体型は毛利元就と近しいものを感じるが、
彼の方が随分と穏やかな印象を受ける。
「日の本一の軍をその目で見たいというご要望だけれど、
応えられる限りはお応えしたい。
豊臣の軍こそ最強と、将軍に伝えてくれるならね」
彼もまた、特異な神経を持ち合わせているらしい。
は曖昧に微笑んだ。
「では、私はここで待たせてもらおうか」
久秀はどこから出したのか椅子に座った。
風魔が用意したのだろうか。
「……では、ついておいで」
半兵衛は一瞬、その仮面の下から絶対零度の視線を久秀に向けた。
よほど久秀は嫌われているらしい。
義輝は何を思って彼を友と呼ぶのだろうか。
そんな疑問を持ってみたが、答えは本人に聞くしかないだろう。
そんなことを考えながら、
は半兵衛について城内に進んだ。
三成がついてきているが、
先ほどのような威勢は無く随分と大人しい。
城門の内にはもう一つ深い堀があり、
その中に巨大な天守閣がそびえていた。
「全ての説明をしてはいられないけれど、
よほどの軍が出てこないかぎりこの城は落とせないはずさ」
先ほどとは異なり、半兵衛の声は楽しげですらある。
彼がまぶしそうに見上げる天主は、確かに高い。
「ぅぁぁぁああっ!?」
その目の前に、人が落ちてきた。
ぐしゃり、と無様に地面に這いづくばり、
のそりと起き上がる。
「……左近君、器用な登場だね」
「賢人よ、その阿呆を責めてくれるな。
輿に乗せてやった故、責の一旦は我にある」
ふわり、とその上に輿に乗った包帯の男が下りてきた。
彼は宙に浮いている。
どういうからくりなのか、間近で見てもさっぱり分からない。
「刑部さん、阿呆って何っすか!」
「貴様、客人の前で醜態をさらすなど……!」
それまで押し黙っていた三成が、急に口を開いた。
「いや、その」と、左近はしどろもどろと言い訳を始めた。
「大谷君がそういう行動に出るなんて珍しいじゃないか」
輿に乗った男、大谷はいひひ、と笑った。
「野次馬よ。
趣味が悪いは承知しておる」
半兵衛は「困ったね」と口に出しはしたものの、
それほど困っている様子は無かった。
心の広い兄と、その弟達という風情である。
はつい笑みを浮かべた。
それを見て半兵衛が苦笑する。
「お恥ずかしいところをお見せしているね。
これでも、彼らも一騎当千の猛者なんだ。
将の力量、兵の質共にどこよりも高いはずだよ。
加えてそれぞれが軍略を判断し、動ける組織なんだ」
半兵衛はわあわあと言いあっている三成と左近を無視し、
説明を再開した。
「幕府の軍はただ一人の頂点以外は無いに等しい。
攻められるなら攻めてみるといい、と将軍にお伝え願えるかな?」
その華奢な容姿や、柔らかな物腰に関わらず、
半兵衛はかなり熱い人間のようだった。
義輝はきっと彼のことを気に入るだろうけれども、
彼が豊臣秀吉という男に心酔しているのが分かる。
はもう一度天守閣を見上げた。
先ほどは無かった人影があった。
遠目にも分かるほど大きな男が立っている。
彼はこちらなど一瞥もくれず、遠くを眺めているようだった。
「戻りました際には」
「よろしく頼むよ」
半兵衛が品の良い笑みを浮かべた。
「どうだったかね」
城門を出ると、
先ほどからぴくりとも動いていなかったのではないか、
と疑うほど同じ姿勢の久秀が言った。
「ここの皆様にとって、
兄様は越えるべき壁のような存在のようです」
「その通りだね。
では、次に行こうか」
久秀は立ち上がった。
椅子のことは埒外らしく、まったく気にせず歩き始める。
「……兄様は嫌われておいでなのですか?」
が尋ねると、
久秀は立ち止まって振り返った。
「乱世を収拾するつもりのない権力者を、
力のある者がどう思っているか卿は本当に分からないのかね?」
はびくり、と立ち止まった。
久秀の目がいつも以上に冷たかったからである。
路傍の石ころのような無害なものならいざ知らず、
目の前に現れた害虫を見るような目である。
「……それは、邪魔かとお考えなのでしょうけれど」
「その通りだよ。
くだらない質問は控えてくれんかね?」
「でも、兄様を支えて差し上げたいと思う方は、
どこにもいらっしゃらないのですか?
松永様は違うのですか?」
「……卿は何か思い違いをしているな。
私は卿の嫁ぎ先が決まれば情報を手に入れられるし、
類稀な名刀も賜る約束になっている。
その場に卿も居ただろう」
否定するところが無い。
確かに、
はその場に居合わせた。
「友では無いのですか?」
「卿の言う友がどういう存在なのか、私には興味が無い」
そう言って久秀はさっさと歩き始めた。
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