風に舞う塵を掴む


風魔が帰ってきた。 瓊佳が無事で変わりなく待っていたことを確認すると、 そこで初めて緊張を解いた。 ように見えた。 「お帰りなさい。  待ちくたびれたよ」 瓊佳がそう言うと、風魔は頷いた。 彼が提示した期限まであと数日。 どのような形で城を出ることになるのか謎であるが、 他の人間がその日を知っている様子は無い。 「怪我は無い?」 尋ねると、風魔は頷いた。 「良かった」 瓊佳は微笑んだ。 「ちょっと整理したのよ。  前と同じで風呂敷に一つにまとまるように。  松永様が下さるものはどれもすごく良い品なんだけれど、  全部置いていこうと思って」 瓊佳が愚痴っぽく言っても、風魔は無言で頷くばかりである。 部屋の中には瓊佳の物が増えてきている。 ここに来たときは身一つの状態であったので、 滞在すればするほど物が増えるのは道理であるのだが。 それだけ心を砕いてくれている松永のもとを挨拶も無しに去るのは、 申し訳なく感じてしまう。 「もうすぐだもんね」 彼の計画はきっと、綻びなど無い。 瓊佳の様子を確認しただけで風魔は姿を消した。 その翌日、今度は松永が瓊佳の部屋を訪ねた。 なぜか上機嫌で、 その上機嫌な理由が分からないだけに不気味だった。 「扇子を新調しようと思ってね。  卿にも一つ贈らせてもらおうと思っているのだが」 「いつも過分な物を頂いております。  お気持ちだけで」 「私が贈りたいのだ」 松永はそう言って、弄んでいた扇子をぴしり、と閉じた。 衣も何着か誂えてもらっているのに、これを断るのは下策である。 逃亡を勘付かれかねない。 「……では、お言葉に甘えて」 「商人を呼んである。  2,3日後に来る予定であるから、こちらの部屋へ来させよう」 もうすぐここを出る予定である。 これ以上荷物を増やすことはできないのに、 きっと松永は上等な物を寄越してくれるのだろう。 わざわざ商人を呼び寄せてまで。 瓊佳の良心が痛んだ。 それでなくとも、生活にかかる費用は全て彼が持ち、 一度は身を守ってくれた恩人でもある。 「……松永様、やはり私の身に余るお気遣いにございます」 瓊佳はそれを受け取ることを良しとはできなかった。 「何故だね」 「内密に、お願いできますか?」 瓊佳はじっと、松永の顔を眺めた。 彼はいつもと同じ笑みを浮かべているようにも見えたが、 どことなく気配が違うようにも思えた。 「約束しよう」 「私は数日の内にこちらを去る予定にございます」 沈黙。 ぱたぱた、と松永が扇子を開く音がした。 「そう――…か。  それは初耳だな」 「風魔様にも口止めをされております。  しかし……松永様にはご恩もございます。  斯様に低き身分にございますれば、  これ以上お手を煩わせるわけには」 瓊佳は平伏した。 松永は扇子を勢い良く閉じ、 「卿の行く先が決まったということか。  それは重畳、重畳。  風魔の奴め、私に内緒でそれほど働いていたとはな」 松永はそう言って、扇子の話は反故になった。 瓊佳は安堵した。 瓊佳が去る。 久秀は風魔の動向を探らせるように部下に指示を出した。 数日とは、どれだけの期間なのか。 期限は想定していたよりも随分短いようだ。 その間に彼女を手中に収められるのか? 嬉しいことに、 彼女は“内密に”脱出の刻限が迫っていることを久秀に伝えた。 それはおそらく風魔のあずかり知らぬことであり、 まだ若干の猶予が残されているはずだ。 ただし、風魔が彼女に正確な情報を伝えているかは分からない。 行動に出るならば、今日。 久秀はそう決めた。 この件に関しては先延ばして事態が好転することは無い。 その日に予定していた仕事をさっさと終わらせ、 夕餉をとり、 一人で酒を飲んで時間を潰した。 風魔に漏れては困る。 どうやら瓊佳に関して、 彼は久秀と情報共有するつもりは無いらしいからである。 そんな彼に情報をくれてやる義理は無い。 彼女が久秀を受け入れるならば、それで良い。 もし受け入れないならば、無理矢理に己の物とする。 全てを手に入れることが最上であるが、 それが不可能なのであれば、体だけでも手に入れる。 他の誰かに譲るくらいならば、この手で壊す。 人々が眠りにつく頃合で、久秀は部屋を出た。 見張りの兵士には暫く席を外しても良いと言ってやる。 それから渡り廊下を歩いて瓊佳の居る部屋の前に立った。 中からは物音がする。 どうやら彼女は起きているようだ。 「起きているかね」 声をかける。 「ま、松永様!?」 慌てたような声が返ってきた。 「入れてもらえまいか?」 「今ですか?」 警戒よりは、驚きに満ちた声。 「ああ、今だ。  私は愚かな男でね。  卿が近々ここを発つと聞いて、  居ても立っても居られなくなったのだよ」 愚かな男であるという自覚がある。 だから口に出した。 風魔はきっと、自分が手を出せぬような場所に瓊佳を移すだろう。 久秀がそこに瓊佳が居ると知る術などないような所へ。 そういう確信があった。 その風魔は今のところ所在不明である。 城の警備に回っているはずだ、という程度である。 瓊佳は何と答えるだろう。 久秀は戦場に赴くのとはまた別種の緊張を感じた。 理由は分かっている。 戦場に向かうのとは異なり、 瓊佳がどういう返事をするのかという所が明確に予測できないからだ。