風に舞う塵を掴む
その日、
は松永の案内で城内を散策した。
庭の手入れであるとか、
活けてある花であるとか、
そういった細かなところまで神経が行き届いている。
「戦をするにあたっては完全に無駄なのだがね。
道楽の一つだよ」
小田原の城ほども壮大では無いが、
そこに居る兵士達の顔つきは全く異なる。
どこにも緩みがなく、張り詰めた空気。
美しくはあるが、居心地は悪そうだった。
案内してもらって分かったことだったが、
が起居する離れだけが静かなのではなく、
城全体が葬式でもしているかのような静けさを保っていた。
誰も無駄口をたたかない。
それは久秀の前だからなのか、
それとも常時そうなのかは分からなかったが。
久秀は
を案じてくれているようだった。
城内を散策することになったのも、
部屋に閉じこもっていては気が塞ぐだろうとの配慮である。
相変わらず視線は冷たく鋭いが、
そういう目つきなのかもしれない、とも思い始めた。
思い返せば、彼は最初から一貫して優しい。
(疑り深すぎたのかも……)
はそんな風にも思いはじめた。
先日の事件について、風魔には伝えていない。
彼は暫く姿を見せていないからである。
久秀が来てくれたおかげで無事であったし、
いらぬ心配をかけたくは無かったので丁度良かった。
次に風魔が現れたとき、
彼はいつになく上機嫌なようだった。
「良いことがあったの?」
と聞くと、風魔は頷いて、三本指を立てた。
「三日で出るの?」
首を横に振る。
「三月?」
首を横に振る。
「三十日?」
今度は縦に振る。
そうして、人差し指を口の前で一本だけ立てた。
「内緒、ね。
分かった。
ありがとう、小太郎」
は小太郎の手を取った。
小太郎は
の頭を撫でてくれた。
北条氏政が可愛がっていた娘ではないか、という結論が出た。
確証は無い。
北条の人間も四散して久しく、確たる情報は出なかった。
だが、久秀はそれがおおよそ正しい推論だろうと思った。
(風魔の不足を乱すは、やはり北条か)
であるならば、完全に
を風魔から取り上げなければならない。
色々手はあるが、さてどれにしたものか。
と、ずっと風魔にかまけているのも悪くなかったが、
他に仕掛けていた罠が発動したらしい。
今から軍をまとめて攻め寄せれば、
簡単に落とせるだろう。
忙しいものである。
風魔の様子は変わらない。
命令を出せば素早く達成するし、
行動に謎が多いところも全く変わらない。
先日けしかけた兵士のことも、
その場で始末したのが功を奏したのか知らないようだった。
末端の兵の一人が消えたとしても、
彼の意識の端に上るほどのことでもないのだろう。
「――…ということで、暫く城を空けることになる。
風魔も供につれて行くつもりだから、
卿には少し寂しい思いをさせてしまうかもしれない」
戦に行く話を
にすると、
「子どもじゃありませんから、駄々をこねたりしませんよ」
と言った。
「以前居りました城では、
厄払いにと出立前に火打石を打っていたのですが……」
「私は爆発炎上するだろうね」
「……では、言葉だけお伝えしておきます。
どうぞ、お気をつけて。
お帰りをお待ちしております」
は頭を下げた。
美しい所作だった。
その姿が脳裏に焼きついている。
戦場に出て指示を出しながらも、
彼女が帰りを真に待っているのは風魔だけなのだな、と思った。
久秀などついでに過ぎないし、お愛想で言っているだけである。
こんなに手を尽くしているというのに。
そう思うと風魔が無性に羨ましく、腹立たしかった。
人がその感情を嫉妬と呼ぶことぐらい、久秀は知っている。
つい先日まではただの道具だと思っていたのに、
それが随分飛躍したものである。
を手に入れたところで、久秀にメリットは何も無い。
風魔を完全な不足に近づける一手になる可能性は僅かばかりあるが、
余計なものを与えることにもなりかねない。
そんな危険を冒す意味がどこにあるだろうか。
目の前にあるのに手に入らぬと分かっているからだろうか。
女というのは大抵感情に流されて理性的な判断ができないので、
要所さえ押さえていれば簡単に手に入るものだったのに、
彼女はいっかな靡く気配が無いからだろうか。
(……これが恋か?)
理性的な判断を奪うもの。
相手を己一人で独占したいと思う気持ち。
世間一般ではごくありふれた話ではあるが、
久秀が己の身に降ってくる話であるとは考えていなかった。
彼女ほど無駄な物を手に入れようとしたことは、未だかつてない。
風魔がどこへ彼女を連れて行くつもりなのかは知らないが、
そう受け入れ先があるとは思えない。
まだ時間はあるはずだ。
その前に彼女の全てを手に入れる。
そう決めると、自ずからすべきことは決まってくる。
無理矢理に手に入れることも不可能ではないが、
それをすると体は手に入っても心は手に入らない。
あの笑みは永久に失われる。
全てを手に入れるには、もっと時間をかけねばならないだろう。
彼女が久秀を選ぶように。
家柄などは少々込み入っているものの、彼女自身は普通の娘である。
筋書きはできている。
というか、以前からの計画を充実し、延長するだけだ。
戦局は思った以上につまらない。
もう人手など必要ない状況である。
扇子の一つでも見繕ってやるかな、という気になり、
部下の一人を先に戻らせ、
商人にとびきりの品を揃えさせるよう命じた。
その行動がいかにも自分らしくなく、
愚かしい男の行動に思え、
久秀は一人にやにやと笑った。
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