風に舞う塵を掴む
松永が見立ててくれた上等な小袖を纏いながら、
は非常な居心地の悪さを感じていた。
「卿によく似合っている」
松永はいつもの笑みを浮かべている。
「ありがとうございます」
「風魔ではなく、私の見立てで申し訳ないがね」
その風魔は時折しか訪れない。
松永との方がよっぽど顔を突き合わせている。
「ところで、卿はこの小さな部屋からあまり出てこないが、
言ってくれれば馬でも道場でも、
何でも使えるようにさせてもらうよ」
は首を横に振った。
「そんな、心得もございませんので」
「そうかね、それは失礼した」
嘘である。
嘘であるが、
は己の情報も開示したくは無かった。
があまりに頑ななので、
久秀は多少の犠牲を払って彼女の信頼を得ることにした。
「彼女が間者なのではないかと思ってね」
兵士の一人を呼び出して、久秀はそう言った。
勿論嘘である。
彼女にそんな能力は無い。
「・・・・・・と、申されますと?」
兵士は久秀の頭の中など覗くことはできないので、
言われたことを額面通りに受け取ったらしい。
「風魔を他所へやっておくから、卿が彼女を襲ってくれたまえ。
窮地に陥れば馬脚を表すだろう。
何、罪悪感を感じる必要は無い。
良いところでやめてくれたまえ。
部屋の外に待機しておくし、誤りであれば弁明は私からしよう」
彼とて“風魔が助けた”女に手を出したくもないだろうけれども、
久秀が直々に頼んでいるし、弁明をするとも言っている。
断れるわけもなく「わかりました」と答えていた。
それから数日後の夜、久秀は廊下の柱にもたれながら、
頃合を見計らっていた。
風魔は距離のある任務に出てもらっている。
兵士が部屋に入った。
悲鳴と、暴れる物音が聞こえる。
「それは・・・・・・薙刀でも使えるんだろう!
心得などないと殿に言ったのは嘘だったのだな!?」
兵士の声が聞こえた。
ご苦労、と久秀は心の中でつぶやきながら走った。
勢い良く障子を開ける。
は燭台を構え、兵士に対峙していた。
「遅くなってすまなかった。
不埒者がいるという情報は掴んでいたのだが、
尻尾を捕まえきれていなくてね」
久秀は
を背に庇いながら、兵士の前に立った。
兵士の顔が驚きに歪む。
「とっ・・・・・・殿・・・・・・!?」
「始末は私に任せていただこう」
久秀はゆっくりと兵士に歩みより、頭を掴んだ。
もがく彼を廊下に引きずり出し、
戦場でするのと同じくそのまま爆破した。
ぷすぷすと煙を立てる死体を池に放り込み、
久秀は部屋に戻る。
「恐ろしい目に遭わせてすまない。
大丈夫かね?」
はその場にへたりこみ、震え始めた。
傍へ寄ると、久秀の腕にすがり付いた。
泣くのをこらえているのか、唇を噛んでいる。
久秀は震える彼女を何とかなだめて、別室へと移らせた。
侍女に声をかけて布団を用意させる。
その侍女に傍についているよう命じ、
自分は部屋に戻る。
兵士の言から、彼女は薙刀の心得があるらしい。
教養がある上に、武芸も身につけている。
ということは武家の、それもかなり大きな家の娘であろうか。
北条に娘など居たか、と記憶を探るが思い当たる節は無い。
(それにしてもあの怯えようは・・・・・・)
生娘か。
風魔の女である、という仮説は完全に否定しなければならない。
翌日、彼女の部屋を訪れると平身低頭お礼を言われた。
首謀者は久秀であるので見当違いも甚だしいが、
「恐ろしい目にあわせてしまって申し訳ない」と言っておいた。
その一件以来、
の態度は改善された。
表情の種類が多くなった。
「卿は長柄の物、薙刀なんかを使うのかね?」
これくらいは良いだろうと尋ねてみたが、
「あのときは咄嗟のことで、
手近な武器になりそうなものを掴んだだけです」
はぐらかされた。
普通の娘はそんなことはしないのだが。
という言葉を久秀は飲み込んだ。
「卿に夜這いをかけるときには気をつけよう」
「ご冗談を」
くすくす、と
が笑う。
笑いはするが、
風魔に関することについても、
彼女自身に関することについても口を割らないことに違いは無い。
関係は改善されたが、十分ではない。
部下の報告では、
北条には
と同じような年の娘は居ないとのことである。
では目の前の女は何なのか。
誰なのか。
小太郎は昔の、誰も記憶していないような伝手をたどって、
今度も小さな城の城主と面会していた。
かの城主は小太郎の来訪に驚きはしたが、歓迎はしなかった。
野望を持たぬ者にとって、
“風魔小太郎”という名は重過ぎるものらしい。
の預け先を探すのが難航している。
以前も散々苦慮を重ねて、
北条と繋がらず、
“風魔小太郎”という名を信じて預かることを受ける、
そんな場所を漸く確保したというのに。
ふと、なぜこんないらぬ苦労をしているのだろうと思う。
彼女を見捨ててしまえば、
北条のことなど忘れてしまえば、
今現在の小太郎を苦しめる楔は消える。
それを理解してもなお、
命じられた仕事の片手間にこうして手間をかける理由は、
小太郎の中に情があるからだろう。
氏政が生きて、穏やかに余生を過ごしてもらえれば。
が幸せに暮らしてくれれば。
小太郎が願うのはそれだけだった。
自分はそこに居る必要は無い。
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