風に舞う塵を掴む


は松永の城に到着した。
長旅のために疲れてはいたが、
疲れたなどとは口にできる立場ではない。

城にはすでにの居室が用意され、
何か足りぬ物があれば言ってくれ、と松永は言った。
彼はを見るたびなにやら値踏みするような目で見るが、
気づかぬふりをして「ありがとうございます」と言っておいた。

は旅塵を落とし、用意してもらった着替えを手にとって驚いた。
何気なく用意されていた小袖は申し訳ないほどに上等なものだったが、
ほかに選択肢はなく、
とりあえずありがたくお借りして廊下へ出てみた。

(静か過ぎる……?)

城は違和感を感じるほどの静けさに包まれていた。
無駄口どころか、必要な会話すらあるのかどうか疑う静けさである。
渡り廊下の向こうに控えている男が何事かと顔を上げたので、
は慌てて部屋に引っ込んだ。

ここにきて、
漸くは己が人質になっているという事実に気がついた。

のためにと用意された部屋は小さな離れのようになっており、
渡り廊下を通らねば他の棟からは移って来られない。
離れの二辺は池に面している。
鯉の姿が見られるようにとの趣向だが、
そちらからの接近は難しい。

最後の一辺には砂庭が配されており、
見事に整えられた庭をつっきる勇気がなければそちらも通れない。
たとえ通れたところで、
石を踏む音で廊下の向こうの誰かが気づくだろう。

は早くも不用意に返事をしたことを後悔した。
風情のある離れだな、などと喜ぶ気分には到底なれない。

日が落ち、が灯りを消してしばらくして、
うとうとしていたは揺り起こされた。
まぶたを持ち上げると、目の前に風魔が居る。

「小太郎……ごめん……よくわからないけど、ごめん」

口をついて出たのは謝罪だった。
風魔は頭を撫でてくれた。
励ましたりするときはいつもそうしてくれる。
はつい浮かんだ涙を手の甲でこすってごまかした。

それで目が覚めたので、布団の上に正座する。
風魔はすぐ傍で片膝をついてしゃがんでいるので、
目線がだいたい同じになる。

灯りはつけない。
わざわざこんな刻限に彼が来たということは、
人目を忍んでのことであるだろうし、
それくらいの配慮は氏政の所で学んでいる。

「今から他所へ行く?」

風魔は首を横に振る。

「ここで暫く待つ?」

今度は縦に振る。

「じゃあ、大人しくしてるね。
 ごめんね、折角外へ出してくれたのに」

風魔は俯いた。

「前のお城の城下町なら伝手が……って、
 もう松永さんの領地なんだっけ。
 あんまり変わらないのかな」

が苦笑すると、
風魔は頷いての頬をひねった。
心配するな、ということなのだろうか。

「いひゃい」

風魔は手を離して、外へ出た。
彼が開けると障子は物音をたてない。
とじるときのごく小さな音だけが残った。
足音など何も無い。
しかし、風魔はもうそこに居ないだろう。

(とにかく、私はただの侍女なんだから、
 ただの侍女らしくしていないと)

は己に喝を入れて、大人しく布団に戻った。






「……ふうむ」

松永は報告を聞き、そうして腕を組んだ。

「では、という女に不審な点は無いというのかね」

「は、はい。
 城主と遠い血縁にあるとかで城に上がったという話ですが、
 詳しい話を聞こうにも既に城の者はおおかた死亡しており……」

面倒だからと全て燃やしたのは早計だったか。
まさか風魔が女を助けるとも思っていなかったし、
城としてもあまり価値は無かった。

「引き続き調べたまえ」

「はっ!」

返事だけは威勢よく、部下は部屋を出て行った。
彼が無能であるとは思わないが、有能でもない。
それ以上の成果は期待できないが、
命を賭ければ彼は何か探し当ててくるだろう。
とりあえずはそれに期待することとする。
つまり今は棚上げにする、ということである。

を見張らせてはいるものの、
彼女自身はそれほど怪しい動きはしていない。
風魔が彼女の部屋を訪ねるかとも思ったが、
その報告も受けていない。
そもそも、姿を補足できていないだけかもしれないが。

(小娘のご機嫌伺いか……くだらんな)

ため息が出る。
風魔が彼女について何か言うとも思えない。
残された有効な手段は、
久秀が直接彼女に尋ねることであるが、
彼女はどうにも久秀を警戒しているようである。

暇を見て何度か足を運ぶしかないだろう。
警戒心を解いてくれればこちらのものである。

風魔の内に残る情やら思い出などというものを、
彼女を手がかりに全て掌握する。

その目的のためだけに、
久秀は小娘のご機嫌伺いをすることに決めた。
風魔を完全なる不足とするために必要なものだと思えば、
億劫なご機嫌伺いにも精が出るというものである。

「住み心地はどうかね」

翌日、久秀は八つ時にの部屋を訪ねた。
は元々城で働いていた娘らしく上座に久秀の座布団を用意し、
自分は一番の下座でちょこんと正座している。
見立て通り、小袖の寸法は丁度良さそうである。

「過分なおもてなしで、申し訳ないぐらいでございます」

部屋を訪れる口実に持ってきた団子は久秀の前に並んでいる。
正直なところ甘味は好まないので、手をつける予定では無かった。
が、毒でも入っていると思われるのも癪なので、
一本手にとって口に入れた。

「卿に持ってきたのだ。
 食べなさい」

「お心遣い、ありがとうございます」

はぺたりと額づく。

「そう畏まらないでくれたまえ。
 卿は侍女の一人ではなく、客人なのだから」

そう言いながら、これは時間がかかりそうだと久秀は思った。