風に舞う塵を掴む


松永の陣は燃え落ちた城の跡地にあった。
既に幕舎が複数立ち、総大将の帰還に陣内の空気が張り詰めた。

「この娘は風魔の客人だ。
 もてなして差し上げなさい」

松永は部下の一人にそう命じ、
そのままどこかへ歩いていった。
命じられた人間はへどもどしつつもに椅子を用意し、
幕舎をもう一つ用意するまでしばしお待ちを、と言った。

(大変なことになった……)

は陣の様子を眺めながら、ため息をついた。
燃え残った部材を隅に移動させ、
灰の中にある焦げた塊も同様に運んでいる。
それが焼死体であることに気が付くまでしばらくかかった。

吐きそうになるのを必死でこらえ、
ただひたすらに風魔の帰りを待った。
彼は、彼ならば、をどこかへ連れて行ってくれる。
そう期待していたからである。

その風魔の帰還よりも先に、
松永が戻ってきての隣に席を用意させた。

「お相手をする者が居らず、すまないな。
 戦場ゆえご寛恕願いたい。
 さて……卿が何者か教えてくれる気になったかね?」

「……と申します」

殿。
 卿は風魔の何なのだ」

「……申し上げられることは何もございません」

「調べれば分かると思わんかね?」

「そうだとしても、私の口からは」

松永はじろじろとを値踏みするように眺めた。

「失礼だが、ただの侍女にしか見えぬが」

「相違ございません」

「ただの侍女を風魔が助けたというのかね」

またである。
松永は口元は笑っているが、目は笑っていない。
その冷たい双眸がを見据えている。

「その通りです」

「分からんなあ……。
 しかし……風魔を磨く不足の一つとしては十分か?」

「不足、ですか?」

が繰り返すと、松永は笑った。

「失敬、失敬。
 こちらの話だ。
 行くあてが無いのならば、暫く置いて差し上げよう。
 風魔も知人を捨て置くよりは気も休まろう」

松永はそう笑顔のまま言ったが、薄ら寒い笑みだと思った。
は彼の本心が見えなかった。
風魔は彼の元ではなく、
どこか別の場所へを連れて行こうとしていた。
ならばお断りするのが得策だろうと思われる。
しかし。

「遠慮する必要は無い。
 これは私が風魔を思っての、言わば親心での申し出だ」

その表面だけは優しいものの、
底冷えする声音には冷や汗をかいていた。
喉がカラカラに乾く。
断るとどうなるのだろう。
この場で殺されるのだろうか?
風魔の立場が悪くなる?

分からない。
分からないが、松永に対する恐怖からは「はい」と答えた。

「では早速用意をさせておこう。
 此度の戦はここで一応帰還の予定だったのでね」

松永は満足そうに頷いた。
ふわ、と風が吹いて風魔が現れた。
の方をちらと見たが、相変わらず言葉は無い。

「早い帰還だな、ご苦労。
 彼女を城に客人としてお招きする話をしていたのだ。
 卿が助けるほどの女性であろう?
 他へ移すにしても準備を整えてからの方が良かろう」

松永は立ち上がり、風魔の肩をぽん、と叩いた。
風魔も随分長身であると思っていたが、
並んでみると松永もまた遜色の無い体格であることが分かる。
山で風魔が無理に突破しなかったのは、
周囲を取り囲んでいた人間ではなく、
おそらく目の前のこの松永久秀一人を警戒したためなのだろう。

風魔はを再びちら、と見た。
今度は何か不満があるような気がしたが、
には細かいことは分からない。

そこへ先ほどの世話を任された男が戻り、
幕舎の用意が整ったからそちらへ、と言う。
は言われるがままにそちらへと移った。






城跡からの移動は駕籠だった。
乗りなれないが、歩けと言われるよりは楽であり、
文句を言える立場ではないので素直に従った。
隊列の中でも松永に程近く、
時折彼が指示を出す声が聞こえる。

風魔は来ない。

その一点だけが不安だった。
は幕舎に案内されてから、
今朝駕籠に乗るまで一人きりで過ごした。
てっきり風魔が顔を見せてくれるものと思っていたので、
すっかり気落ちしていた。

が気落ちしている理由はもう一つある。
松永の人柄である。

(……氏政様のようには見えないしなあ)

風魔の以前の主、氏政はにも優しかった。
世間ではボンクラのように言われているのが気に食わないが、
身内には優しく、にとっては父のような存在である。
その氏政を風魔は慕っていたようであるし、
今度の主もそのような人間であると勝手に思っていた。

が、どうやら違うらしい。
貼り付けたような笑みや、
鋭すぎる視線、
駕籠の中に届く、彼が部下に向ける言葉は過分に毒を含んでいる。

(少しだけの我慢)

は自分に言い聞かせる。
風魔はきっとをどこかに出してくれるつもりにしているし、
松永ものような小娘を引き止めたりしないだろう。
それまでの我慢。






久秀は指示を出しながら、前をゆく駕籠を眺めた。
中にいるのは高貴な姫ではなく、ただの侍女である――…らしい。
彼女のためにわざわざ駕籠を仕立てたのは他でもない、
風魔が助けた女だからである。

見たところ忍のようには見えないので、
駕籠にでも押し込めておけば逃げられることも無いだろう。
彼女を手がかりに風魔の情報を集められればそれで良いし、
風魔が執着を見せるほどの女である。
彼を完全なる不足とする道具の一つくらいにはなるだろう。

風魔には周囲を警戒するよう指示を出してある。
彼は指示に忠実なので、働いているはずである。
実際のところそれほど警戒すべき物は無いが、
彼をに近づけさせるわけにはいかない。
いつ、どこで、彼がを他所へ移すのかわからないからである。

(さて、風魔がどう出るか。
 見ものだな)

そんなことを考えながら、久秀は笑みを浮かべた。
その笑みが他者から見るとどれほど恐怖を感じるのか、
久秀本人はまったく自覚していない。