愉快な武田軍ライフ
戦から一番最初に帰ってきたのは武田軍だった。
おかげさまで、
の平和な時間は引き続き安泰である。
自ずから
の平穏を一番害している人間が誰か分かる。
「ぅおらぅおらぅおらぁああっ!!」
「やるねぇ!」
幸村と慶次は、仲良く庭で手合わせしている。
この寒くなってきた時期に何故外で、という疑問の声が聞こえてくるが、
何のことはない。
建物を破壊しないようにとの佐助の配慮である。
確かに手入れが行き届いていた筈の庭が荒れ始めているので、
彼の判断は正しかったと言える。
「飽きないねぇ…真田の旦那も。
ついさっき戦から帰ってきた所なのに。」
やれやれ、と溜息をつきながら佐助が言う。
「そうですね。
元気いっぱい、って感じですね。」
も相づちを打つ。
「で、何か言っておきたいこととか、ある?」
「何か遺言とか、ある?」とでも言いたそうな、
佐助の笑顔が眩しい。
いや、別に連れ込んだ訳じゃないですよ?
奴が勝手に訪ねてきたんです。
幸村の相手を快く引き受けてくれる人なんて、
稀にみる聖人じゃないですか!
「あの人が…」
「訪ねてきたんでしょ?
それで?」
なんていうか、もう、それ笑顔じゃないです。
ごめんなさい。
ごめんなさい。
ごめんなさい。
「勘助ももうちょっとやってくれると思ってたんだけどなぁ。
俺様、ショックで泣いちゃう。」
くない突きつけてる男が何を言う。
付け加えるなら、
何故か最近勘介の姿が見えない。
「え、だって、え……えへへっ★」
「……。」
佐助の視線が痛い。
笑顔の視線が凄く痛い。
どれくらい痛いかというと、
包丁を使ってる最中に指も少し切ってしまうくらい、痛い。
「…まぁ、真田の旦那も楽しそうだから良いんだけどね。」
と、佐助はそこで言葉を止めた。
良いなら八つ当たらないでほしい。
くないが引っ込められ、
は溜めていた息を吐き出した。
毎回手合せしている人間を見ていて思うが、
武器はどうしたのだろうか。
何故、素手で殴り合っている。
前田慶次も幸村のカウンターを狙って左ストレートを繰り出した。
意味がわからない。
それがスタンダードなのだろうか。
「でも、俺様の仕事増やしてくれたんだから、
それ相応の覚悟があるって事で、良いよね?」
表面だけ無邪気な笑顔を浮かべて、
佐助は姿を消した。
目先の利益のために大局を見誤った気が激しくする。
幸村が得意のドロップキックを決めた。
お館様もよろめいた威力のキックに、
さすがの前田慶次も後ろ向きに転がった。
うわぁ…痛そう。
しかし、これからどうやって佐助の魔の手から逃れるべきか。
お館様は軍神様が領地に帰ってしまって相手が無く、
詰め将棋などをされている。
をひっぱりこんだ張本人なんだから、
何とかして頂きたいところだ。
しかし、彼が関わるとろくでもないことになるのは実証済みだ。
ジレンマである。
さて、どうしたものかと庭を眺めると、
塀の向こうに妙な物が見えた。
大きな魚がびちびちはねている。
うん、疲れてる★
なんだかつい先日のデジャブーのような光景に、
は部屋に引きこもることに決めた。
伊達政宗がまだ帰っていない上、
幸村の相手を前田慶次が一手に引き受けているので、
部屋でじっとしているとそれほど災厄は降りかからない。
そう思いたい。
そうこうしている間にも、魚は門の方に近づいていく。
早く部屋に戻らないと。
佐助様の機嫌が悪い今、出来るだけ問題に関わりたくない。
「たのもーーーーうっ!!!」
門の方から、これぞ道場破り!という叫びが聞こえてきた。
まだ、まだだ!
今から全力で部屋に駆け込めば!
は部屋に向かって全力で走ったが、
部屋の前に
表面だけ慈愛に満ちた笑顔の佐助が立っていた。
明らかに不気味だ。
戦場で出遭えば、間違いなく殺される類の笑顔だ。
「え、えーっと、お腹が痛いので部屋に帰りたく…」
不登校ぎみの中学生の言い訳のような言葉を口走ろうとした。
全力でここまで走ってきたことは棚に上げている。
「よろしくー。」
佐助は親指を立てて、くいっと玄関を指した。
で、ですよねー。
佐助様の仕事を増やした私の言葉なんて、
聴いてくださいませんよね。
ごめんなさい、思いあがってました。
は佐助の圧力に負けて、
よろよろと門の方に向かった。
「某、前田慶次の叔父で前田利家と申す!」
「妻のまつでございます。
こちらに慶次がお世話になっていると耳にしましたので、
是非ご挨拶にと参りました。」
裸の大将だ。
は「はぁ」とすっとぼけた生返事を返した。
あれ、軍神様はどうしたんだろう。
彼の相手をするのが軍神様の役目じゃなかったっけ?
「慶次ー、出てこーい!!
今ならまだ、まつだって許してくれるぞー!!」
びちびちはねる魚を鷲掴みにしながら、
裸の大将は屋敷の奥に向かって叫んだ。
「つまらないものですが。」
「あ、有難うございます。」
まつが涼やかな笑顔で菓子折りを差し出した。
やたら高そうなその見た目に、
入れものだけで一年分の年貢が納められそうな気がした。
「慶次ー!!」
裸(略)はまだ叫んでいる。
いや、彼はまだ手合せの最中なんですよ。
出て来られませんよ。
「痛っててて…って、ま、まつ姉ちゃんに利!?」
あ、あれ、出てきた?
が慶次の方を見ると、
その背後に微笑む佐助様がいらっしゃる。
「はいどーぞ。」
良い笑顔で佐助は慶次を突き出した。
連れて帰れ。
そう仰りたいんですね。
佐助様の至上命題=仕事の軽量化ですもんね。
「慶次!!
どれだけ余所様のおうちでお世話になるつもりですか!」
まつは綺麗な顔をきりり、と引き締めた。
「是非って言ってくれたんだから、良いじゃんか。
それに、まだ伊達政宗にも会ってねぇし…」
「そこに正座なさい!
慶次を見逃した犬千代様もですよ!」
突然矛先を向けられた裸(略)は悲しそうな顔をした。
どうやら、この人も犬属性らしい。
全身から幸村と同属の臭いがぷんぷんする。
別に汗が輝いている訳でも、
成分不明のきらきらが飛び散っている訳でもない。
まつの説教が始まった。
地面に正座した大の男が二人、小さくなっている。
そんな光景を見ながら、ふと思った。
慶次の手合せをしていた幸村はどうしたのだろう?
佐助の方を見ると、
の背後頭の後ろで指を組んでいた彼は微笑んだ。
「眠ってるよ。
……別に、毒盛ったなんて冗談は無しだぜ?
俺様だって其処まで酷く無いしぃ。
前田の旦那が丁度良く足払いかけて、倒れたから。」
何度も、何度でも言ってやろう。
別に粘着質な訳ではない、と信じたいが。
心 を 読 む な !
「前田殿ぉぉおおおおおおおっ!!!」
遠くから幸村の声がする。
やはり、倒れたくらいでは足止めにはならないらしい。
どうやら近道とは反対周りに慶次を探して走っているらしい。
ぐるりと一周して幸村が門に辿り着いたときには、
まだ慶次は利家と二人項垂れていた。
「だ、大丈夫ですか…?」
はとりあえず、幸村に尋ねた。
常日頃お館様の鉄拳をくらっている幸村が気絶。
よほどの事があったのだろうか。
「うむ、転んだときに後頭に庭石が当たったのだ。
大事無い。」
普通の人間はそれでお陀仏です。
「何事じゃ。」
と、騒ぎを聞きつけてお館様がお出ましになった。
こんな簡単にお客さんに顔を見せて良いんですか?
っていうか、そんな簡単に出てくるなら、
何で私が最初に出る必要があるんですか?
さすがのお館様もまつに締められる二人を見て、
お言葉に窮したようである。
暫くして、まつの説教が終わった。
「お騒がせ致しました。
後日改めてお詫びに参ります。」
振り帰ったまつは、申し訳無さそうな顔をしていた。
が、
人前で説教を始めて騒ぎを大きくしたのは彼女だ。
常識人だとばかり思っていたのに。
「慶次殿、帰られるのでござるか!?」
幸村が悲しそうな声を出した。
ちらりとみると、
捨てられた子犬のような目で前田家を見ている。
はこの視線に弱いので、そっと視線を外した。
佐助は不満を
隠そうともしないで幸村を見ている。
「まつ姉ちゃん…俺、もう暫く此処に残るよ。
まだ伊達政宗にだって会っちゃいないし。」
「ここに奥州の伊達様がいらっしゃる訳ないでしょう!」
「そうだぞ!」
まつと裸の忠犬は慶次を連れ帰ろうと必死だ。
しかし、本当に彼はこの躑躅ヶ崎館に帰ってくる予定である。
残念なことに。
「もうすぐ帰ってくるって言ってたんだ、なぁ?」
慶次が
を見たので、一斉に全員の視線が
に集まった。
「そ…その通りです。」
佐助の視線がぐっさり背中に刺さっている。
痛い。
きっと、目からビームは習得済みだったのだろう。
「だってさ。
だからお願い、まつ姉ちゃん!」
ぱん、と胸の前で両手を合わせて、慶次は頭を下げた。
彼の熱意が伝わったのか、まつは溜息をついて裸の(略)を見た。
裸(略)はぼりぼり、と頭を掻いた。
「武田殿、慶次を預かるのは迷惑では?」
「ワシは一向かまわぬが。」
お館様はしっかりと頷いた。
いつもの事だが、度量が広すぎやしませんかお館様。
たぶん、
建物の許容量は超過してます。
「慶次、武田殿もああ仰ってるが、
迷惑をかけるんじゃないぞ。」
そう聞いて、慶次は顔を上げた。
「有難う、利!まつ姉ちゃん!」
「用事が済んだらすぐに帰るのですよ。」
まつはにっこり、と微笑んだ。
ああ、裏が無い微笑みって、
こんなに清々しいんですね。
素敵ですね、前田家。
感動で涙がちょちょ切れそうです。
「それでは」と言って、
裸(略)とまつは手を取り合って走っていった。
この場に政宗が居なくて良かった。
それにしても、彼らは
あの格好で此処まで走ってきたのか。
「そういや、
ちゃんは幸村と手合せしないの?」
慶次の問いに幸村はしゅん、としょげた。
心なしか尻尾のような長い髪がしおれた気がする。
「今はまだ
殿は某を認められておらぬ故…。
しかし、鍛錬を積んでいつか…!」
あ、尻尾が戻った。
尻尾と共にきらきらも戻った。
「へぇ」と呟きながら、慶次がこちらを見た。
「恋だねぇ。」
ふ ざ け る な 。
何が恋だ、何が。
目の前の幸村をよく見てくれ。
そんな力いっぱい拳を握り締めて、
恋なんか語って欲しくない。
今は居ないから良いが、
あの変た…げふんっ…伊達政宗が聞いたら…。
「ははは、破廉恥な!
某、
殿の事は純粋に…!」
「恋」という言葉に反応したのか、
幸村は服と同じくらい顔を紅くした。
「
ちゃんも大変だねー。
こんな純粋に想われちゃって!」
「慶次殿!
そ、某はそういう意味で言ったのでは無い!!」
慶次は幸村を完全無視でへらっと笑った。
彼にとってはそりゃ他人事だろうが。
そこまで自由なのも如何なものか?
誰か助けて、と佐助が居た方を見ても彼は居なくなっていた。
お館様の方を見ると、既に姿が見えない。
お願いだから、とめてください。
っていうか、主を放置するってどんな忍だ。
とめてくれよ。
それもあんたの給料の内だろう、佐助っ……さん。
心の中とは言え暴言を吐きかけたので、
きょろきょろと周囲を見渡したが佐助の姿は無い。
良かった。
ある程度距離があれば心を読む能力も効かないらしい。
は安堵の溜息をつきながら、
じゃれつく幸村と受け流す慶次を眺めた。
なんていうか、人が増えすぎだ。
その分佐助からの圧力が分散するかと思いきや、
何故か
に一点集中してきている気がする。
もう是以上人が増えてもどうにもできない。
助けて、勘介さん。
空を見上げたが、
幸薄そうな笑いを浮かべた勘介は「自業自得★」と言った。
策なんかもう弄しません…。
そう心に決めた哀れな農民に愛の手を。
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