愉快な武田軍ライフ


板間にずらりと並んだ武田の家臣の前で、
お館様がふんぞり返って座っている。
は初めて、心の底からお館様が素敵な人だと思った。

「――…以上じゃ。」

素晴らしいお館様。
素敵過ぎる館様。
ブラヴォーお館様!

お館様に後光が見えた。
別に、頭が輝いているという訳ではない。

「ぅお館様!!
 今度こそ、今度こそこの幸村、
 殿に見合う武将になってご覧に入れまする!」

きらきら、と輝き…という名の汗を撒き散らしながら、幸村が立ち上がった。
お願いだから、激しい動きは勘弁願いたい。
飛んできた汗を拭いながら、は幸村から視線をそっと外した。

「Stop, stop!!
 の相手はこの、俺だ!」

武田軍の軍議にさも当然のような顔をして座っている政宗が、
そう喚きながら立ち上がった。
彼の後ろにはいつもながら背後霊のように小十郎が立っている。

嗚呼、そうだった。
幸村って、重要な部分を省いて言うんですよね。
たぶん、手合せの相手として見合う相手、だと思うんですよね。

「かいのとら、われらもきょうりょくはおしみませんよ。」

麗しの軍神様は微笑ながらそう言ったが、
その頭上からはただならぬ殺気が降り注いでいるので、
一応忍んでいるらしいかすががそこに居るのが丸分りだった。

いや、でも、この際どうでも良い。(酷)
自分だけ戦に出なくて良いなんて、素敵すぎるじゃないか!

お館様が発表したのは、
織田軍を攻めるに当たって色々邪魔になりそうな北条と今川を潰すという、
なんとも当たり前の行動目標である。
そして、その面子にが含まれていないという、
当たり前ながら最高の発表であった。

伊達が北条を、武田が今川を攻め、
上杉は徳川や前田を牽制しつつ、後方支援するという役割分担である。

放っておくとニヤニヤと笑いたくなってくるのを必死で抑え、
はお館様に熱い視線を送った。
お館様はふんぞり返りながら、の方に顔を向けた。

よ、守るのは攻める事よりも難しい。
 勘介を置いていく故、しっかり守るのじゃ。」



え?



えーっと、それってどういう事なんでしょうか?
そんな重要で難しそうなこと、
農民なんかに任せて出陣しちゃって良いんですか?

の疑問を余所に、お館様は部屋を出て行ってしまわれた。
それを合図に皆それぞれ部屋を出て行く。
ただ一人、勘介だけはに同情をたっぷり含んだ視線を送ってくれていた。

同情するなら…金をくれなくてもいいけど、
とりあえず安息を下さい。
勿論、誰もの心の呟きになど反応する者はいない。





名残惜しそうなかすがと政宗を見送り、
尋常ではない意気込み(それが常態)の武田軍ご一行を見送り、
は勘介とともに躑躅ヶ崎館に取り残された。

取り残されたと言うと響きは悪いが、
日頃の喧騒から離れられるというだけで充分な開放感である。
静かな躑躅ヶ崎館生活をは満喫した。

いやー、本当に楽しいです。
小半時くらい走り回ったりしないで良いし、
色々、本当に、普通の生活って楽しいです。

うっかり任されてみた小十郎の畑の雑草を抜いて、
は額に浮かんだ汗を拭った。
久しぶりの農作業は、自分が農民だったと思い出させてくれる。

このまま暫く皆帰ってこなくても良いかな、なんて。
こんなゆくりした時間がずっと流れたら良いな、なんて。

叶うはずの無い希望を抱いてみたり。

溜息をついて壁を見ると、
壁の丈を遥かに越える大きな刀が見えた。




…うん、そうですよね。
武田軍に居る限り、私に平和なんて無いんでしたね!




は急いで忍び足で部屋に戻り、
いつでも逃げ出せるように用意していた旅装に着替え、
裏口でそっと草履を履いた。

殿。」

いや、これ、幻聴ですよね。
だって、こんなすぐ見つかる訳ないじゃないですか。

「…殿。」

私、これからちょっとの間実家に帰ります。

殿、客人が来ております。
 今この館を任されておるのは殿。
 出てもらいますぞ。」

むんず、と勘介がの肩を掴んでいた。
心なしか指が肩に食い込んでいる気がする。

「えーっと…私、実家に…」

は勘介の目を見ながら、言った。
だって、私だって、ちょっとくらい休暇を楽しみたい…んですよ?

「佐助殿からきつく言い含められております故。」



目 が 真 剣 だ !



真剣と書いてマジと読む…みたいな。
そりゃ、指も食い込みますよね。
なんていうか、背負ってる物が違いますよね。

引きつった笑みを浮かべるだったが、
勘介は容赦なくを引きずって客間まで連れて行った。





「あんたが、ここで一番偉いのかい?」

そんな訳無ぇだろ。

そう心からつっこみながら、はちょっと泣きたくなった。
まさか、ここが躑躅ヶ崎館だと知らない訳ではないだろう。
だとしたらこの男、
誰を誰と間違えているのかはっきり根底から説明させてみたい。

胡散臭そうな男が、胡散臭そうにを見ている。
お願いだから、そんな目で見ないで下さい。
質問とか、その他ご意見はお館様に言って下さい。

「仮ですけど…。
 ええと、何かご用でしょうか?」

「え、ああ、ここに真田幸村と伊達政宗が居るって聞いたんだけど、
 居ないのかい?」

うわー、ここに勇者が居るよ!

よりによって、一番凄いところ二人も押さえちゃってるよ。
は何となく、哀れみの視線を男に投げつけた。
勘介も微妙な顔をしていたらしく、男はちょっと困った顔をした。

「はい。
 数日前から戦に出ておりまして…。」

「数日?入れ違っちまったかー…。」

ぼりぼり、と男は頭を掻いた。
頭には派手な飾りがぐっさり刺さっており、
肩の上には猿が座っている。
お世辞にも頭が良いとは思えないいでたちである。

「ええと、お名前を伺っても?」

「ああ、俺は前田慶次ってんだ。
 さっきの二人と是非とも一回手合せしてもらおうと思ったんだけど…」

へー、前田慶次。
もしかして、傾奇者で有名なあの前田慶次?
しかも手合せって…。

「手合せ!?」

はうっかりそう叫んだ。

「え、ああ、ちょっと強い奴と戦ってみたくて旅してんだ。」



素 敵 ★



もうこれは、神様とか仏様とか、
そんな存在を認めざるを得ませんね!
今まで存在を疑っていてごめん、神様仏様!
あなた達の力とご加護に感謝します!!
この御縁を有難う…!

「是非、是非此処でお待ちになってください!
 良いですよね、勘介さん!」

ぐるり、とは首を捻って勘介を見た。
見た、と言うよりは睨みつけた。
勿論、慶次に幸村を押し付ける気満々である。

「う…え…その……」

そのとき、勘介は反対したいなぁ、なんて思っていた。
だって、是以上面倒ごとを起こす人を増やしたくなかったし、
後で佐助になんて言われるか分ったものではなかった。
できるだけ穏便に事を済ませたいなぁ、なんて。

「ええと…」

「良い、ですよね?」

がにっこりと微笑んだ。
勘介はその顔にの本気と殺気、
そして「魂とられる!」という恐怖を感じた。

「………!」

「異論無いそうですし、どうぞ、
 二人が帰るまでここでお待ちになって下さいませ。」

「良いのかい?
 すまないねぇ!」

「お前も断れよ、馬鹿!」と勘助は心の中で叫んだ。
ははは、と二人が笑っているのを横目で見ていると、
つい溜息が漏れた。


笑顔で圧せるのは、佐助だけだと思ってました。


いや、何となく思ってはいたんですよ。
お館様が気に入った時点で何か違う人だ、って。
それがまさか、佐助と同族だなんて思わないじゃないですか。

躑躅ヶ崎館の新たな仲間の顔を眺めつつ、
やっぱりもう一度溜息をついた。

強くなってきた農民に虐げられ始めた軍師に愛の手を。