愉快な武田軍ライフ


ぶらり陸奥の旅から帰ったは、
温かい日差しの中縁側に座り、
膝の上にある林檎を見つめていた。

この林檎、もとはお土産として家に持ち帰る予定だったが、
締め出されるのが怖くて実家に帰ること自体できていない。
このまま腐らせるのも勿体無いので、
の最近のおやつはいつも林檎だ。

躑躅ヶ崎館に居候を続ける家なき子は今、
目の前の林檎を食べる自由を剥奪されていた。

「俺が食べさせてやろうか?」

左側での手を握っているのは、他でもない政宗である。
指を一本一本からませて手を握ってくれているが、
拷問のような激痛がする。
忘れないで欲しい。
片手で刀が三本振り回せる超人的握力を持っているという事を。

「お姉さまに触るな!
 汚らわしい!」

右に座っての腕を引っ張っているのは、かすがである。
天下の伊達男に汚らわしいと言うのは彼女だけなのではないかと思う。
良いのか、忍んでなくて。

自分で食べますから。
ていうか、早く食べないと林檎が変色しますから。

小さな皿に並べられた兎ちゃん林檎が、
日光にさらされてつやつやと美味しそうに光っている。

「あのー…」

「What?
 誰が汚らわしいって?」

「お前に決まっているだろう、伊達政宗!」

やっぱり、人の話聞いてないよね。

ぼんやりと二人を止められそうな人の顔を思い出す。
軍神様はお館様と碁ばかりさしているし、
小十郎は運悪く此処には居ない。
どちらか助けてくれと思ったが、
居てもどちらも助けてくれない。

「上等じゃねぇか。
 あんた、俺と張ろうってのかい?」

「貴様の顔を見てると苛々する!」

お願いだから、まず、手を離せ。

は溜息をつきたい気分になったが、
その溜息の原因を巡って政宗とかすがが言い合う様が目に浮かび、
すんでのところで飲み込んだ。

「Ha!
 どっからでもかかって来いよ!
 この俺様が相手してやろうじゃねぇか。」

困る。
此処で手合せされても困る。
確実に林檎が昇天召される。

「お、お二人とも、喧嘩はいけませんよ。」

食べ物粗末にしたら、呪われますよ。
農民から!

は自分も農民なのだと自分に言い聞かせた。
私は農民。
最北端ではいくらハブられても。
思い出すとやっぱり涙が出そうになる。

「お姉さまのご厚意に感謝するんだな…。」

「こっちの台詞だぜ。」

かすがと政宗はの手を取ってにらみ合っている。
ちら、と自分の手を見たら、
両方とも真っ赤になっていた。
はつい引きつった笑いを浮かべてしまった。

残念ながら膝の上の兎ちゃん林檎は、
冬毛から夏毛に生え変わる途中の兎ちゃん林檎になりつつある。

「あの、手が…」

「お姉さま、謙信様がお姉さまとお話ししたいと。」

かすががキラキラした目でこちらを見ている。

「ですから、そこのボンクラなど捨て置いて謙信様のお部屋へ。」

キラキラが眩しすぎてつい涙が迸りそうです。

「Ahn?
 誰がボンクラだよ。
 は俺とdateなんだよ。
 何でも買ってやるぜ?」

見返りを求められそうなので遠慮させていただきます。(言えない)

何でも買ってくれなくて良い。
今すぐ、目の前の林檎を食べる自由が欲しい。
農民が自由を求めるという事自体に無理があるのだろうか?
などと悲観的になりながら、は必死で林檎を食べる方策を考えた。

まず、どちらかに食べさせてもらうというのは最悪である。
確実に皮を剥いたはずの林檎が朱く染まる。
そんな林檎は見たくない。

手を離してくれと言ってみるのはどうだろうか。
両方に言えばまだ、問題無いのではないだろうか。
そこまで考えて、やっぱり駄目だと思いなおした。
何せ二人とも他人の話なんて聞いちゃいない。

「貴様、謙信様を愚弄する気か!?」

「お前こそ、この伊達政宗を馬鹿にしすぎてんじゃねぇのか?」

言い争いが過熱し、二人の手に力が篭った。
痛い、痛すぎる。
しかし、ここで悲鳴をあげても事態は改善しない。
はぐっと悲鳴を我慢して、自分の手を見てみた。
両手は、無残にも赤を通り越して紫色になりつつあった。

涙が零れ落ちそうだったので天を仰ぐと、
何やら空に黒い染みがある。
羽虫か何かかと思いきや、それはぐんぐん大きくなる。
そして、なにやら声がする。

ぐぁぁぁぁぁぁぁぁぁああっ!」




幸 村 か よ !




ぐしゃっと痛そうな音がして、幸村が着地した。
濛々と砂煙が立ち、林檎を置いておく環境としては大変不味い(酷)。

「What!?」

「な、何だ!?」

その余りに酷い状況に、二人も驚いて咄嗟に武器を構えた。

(やった!)

は慌てて変色した自分の手を引っ込めて、
砂煙から林檎を守るべく手で覆った。
すぐに幸村は砂煙の中から現れた。

いつもながら何故生きているのか判らない。
これが武田軍の効果なのだろうか。

「ご歓談中申し訳ござらぬ…。」

幸村は少し項垂れている。
耳をぺったり伏せた犬のようだ。
心なしか髪の毛も普段よりぺったりしている。

「何してやがんだ、真田幸村…。」

伊達政宗が尤もらしい台詞を吐いた。
そんな風に普通にツッコミを入れていれば、
彼も普通の人に見えるのに。

「某、お館様と手合せをしていたでござる。
 その最中にお館様のアッパーが…」

お前等、武器はどうした。

「何、では謙信様は今どちらに…」

「上杉殿は部屋で写経をされているとお館様が。」



なんで、会話が成立しているんですか?



は目尻に滲んだ涙を拭った。

「Han!」

政宗が突然、地味に笑った。

「真田幸村、お前早く“お館様”の所へ戻った方が良いんじゃねぇか?
 それにそっちのお前も、軍神様のお傍に居なくて良いのかい?」

正論だ。
そこではた、とは気がついた。

不味い。
大変不味い。
政宗と二人きりなんて、嫌だ!

「おお、そうであった。
 このままでは某、敵前逃亡の謗りを免れませぬ!」

幸村、其れは無い、其れは無いよ。
何なら私が引き止めるよ!

「お、お姉さまをお連れすると謙信様に誓ったのだ!
 今帰る訳にはいかない!」

有難うかすが!
さすが!
素敵!
は心の底から喝采を送った。



「どうしましたか、わたくしのうつくしいつるぎ。」



再度政宗とかすがの口論が始まりそうになったのを止めたのは、
軍神様の(本当に)ありがたいお声だった。

「謙信様…!」

「お館様!!!」

軍神様の登場でかすがのキラキラが突然三割くらい増した。
軍神様の後ろにはお館様が立っており、
それを見た幸村のキラキラが四割ほど増した。
辺りが急に明るくなった気がする。

そんな中、政宗は地味に小さく舌打ちをした。

「き、貴様…謙信様を見て舌打ちしたな!」


うわー、貴女もすごい地獄耳。


かすがは問答無用で政宗にくないを投げつけた。
政宗は刀でそれを弾く。

は林檎の皿を持ったままそろそろと移動した。
先ほどの位置では、二人の戦いに思い切り巻き込まれてしまう。

縁側の一部を破壊しそうな勢いで戦うかすがと政宗から距離を取り、
は漸く一息つこうとしたまさにその瞬間だった。

「うおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!

登場と同じ勢いで、の目の前を幸村が吹き飛んでいった。
あと少しで幸村と一緒に空を飛ぶところだった。

「慢心するでない、幸村!!」

お館様は遠く離れた岩にぶつかって庭の池に落ちた幸村に向かって叫んだ。
たぶん聞こえてないですよ、お館様。
よく見て!

は溜息をつきながら、野兎色の林檎を一口齧った。

「うう…生暖かい…」

井戸水に浸けて冷やしていたのだが、
一連の事故によって兎ちゃん林檎は温かくなっていた。

「りんごですか。
 ひやしてさしあげましょう。」

の呟きを聞いていたのか、
軍神様はの林檎の皿をお館様に持たせた。

「何じゃ?」

「じっとしていてください。」

軍神様はそう仰って、くるりと回転しながら跳んだ。

きぃん、という音がして、氷柱がお館様を包んだ。
かすがに吹き飛ばされてきた政宗も一緒に氷漬けになっている。


あの、それ攻撃ですよね?


軍神様は何食わぬ顔で氷柱に歩み寄り、
がつがつと刀の柄で氷を砕いて林檎を出してくれた。

「有難うございます。
 でも…」

「どうしましたか、むらくも。」

「いや、あの、お館様が――…」

どうしましたか、むらくも。





「……なんでもありません。」





は何も見なかったことにして林檎を食べた。
生暖かかったはずの林檎があら不思議、
いつのまにかこんなに冷えて。

ばりん、と音を立ててお館様が氷の中から出てきた。

「たけだしんげん…あつくなりすぎですよ。」

「む、そうか?」

がはは、とお館様は豪快にお笑いになった。
今の攻撃だから!
現実をよく見て、お館様!!

の願いも虚しく、
お館様は池から這い出てきた幸村と殴り愛を始めてしまった。
二人とも打たれ強すぎる。
本当に、これは武田軍の特性なのだろうか。
だとしたら、自分もそのうちあんなに強くなれるのだろうか。

はははは、まさか。

「わたくしのうつくしいつるぎよ、おすすめのらくがんがとどきました。
 いっしょにいただきましょう。」

にっこり、と軍神様は微笑んだ。

「謙信様…!」

かすがは瞳を潤ませた熱い瞳で軍神様を見つめている。

「むらくもも、いかがです?」

軍神様の清い視線がに降り注いでいる。

「……は、はぁ…。」

「参りましょう、お姉さま!」

また、かすががの腕を取った。
既に軍神様は歩き始めており、
は引きずられるようにしてその後を追った。

ちらり、と振り返ると、
熱くない政宗はまだ氷柱の中に居る。

「あのう…」

「謙信様が勧めてくださるお菓子はどれも美味しいですよ。
 きっとお姉さまも気に入ってくださるはず!」

かすががキラキラを飛ばしまくりながら微笑んだ。
聞けない。
怖くて聞けない。

というか、聞いてもらえない。

救いの手っぽい物すら見失ってしまった、
可哀想な農民(?)に愛の手を。