愉快な武田軍ライフ


は朝らしい眩しい光で目覚めた。
躑躅ヶ崎館でないことをそこで初めて思い出す。

お母さん、私は今、奥州は津軽に来ています。
奥州はまだ寒く、冬用の綿入れを押入れから引っ張り出しました。
林檎でも土産に買って帰ります。
だから、家に入れて、ね。

もぞもぞ、と寝返りを打った。
寒くて起き上がりたくない。

「Good morning, my princess.」

あー、今すぐ起きたくなった。

はがば、と反射的に跳ね起きた。
あまりに勢いよく起き上がったせいで、
顔を覗き込むようにしていた政宗にヘッドバットをくらわせた。
が、自分の鼻に眼帯が当たって地味に痛い。

「――…何で此処にいるんですか。」

鼻を押さえているは、額を押さえている政宗に聞いた。
できれば触れたくなかったが。

「Did you know that?
 俺はを起こしに来てやったんだ。
 それとも、このまま俺と――…」

「起きます、有難うございます。」

は自分でも驚く程きびきびした動作で立ち上がって、幕舎を出た。
出た途端この寒冷地特有の冷たい風が吹き、
引き返したい気分になったが、
中に政宗が居ると思うと面白いほど戻る気にならない。

殿ぉぉぉおおおお!!」

遠くから幸村が走ってくる。
熱い。
彼の周りは常夏だ。
周りに積もる雪だってきっと彼が溶かしてくれるだろう。

「某、今日こそ殿に一人前と認めていただけるよう、
 全力を尽くす所存にございます。
 見ていてくだされ、殿!」

「うぉぉおお」と叫んでいる。
元気だ。
元気一杯過ぎる。
彼のお腹を晒した破廉恥な格好を見ていると、
もう一枚服を着ようかと本気で迷う。

「Hey, 真田幸村…。
 この伊達政宗に断りも無しにを口説くたぁ良い度胸じゃねぇか。」

「く、口説くなどと…破廉恥でござる!」

遠くで小十郎が滂沱の涙を流しながら政宗を見ていた。
違うよ小十郎さん、彼等は友人ではない。
よく見て!

自由すぎる面子を眺めて、は深い溜息をついた。
何故こんな事になったのかというと、
全てはお館様のありがたいご配慮による。

先日道場での大乱闘の際、
は「旅に出たい」などと口走ってしまった。
折り良く(悪く?)奥州で一揆がおこっており、
その平定のために政宗が奥州に引き上げるという事も、
お館様はご存知だった。

今思い出しても恨めしい。
後日、前と同じく呼び出されたに、
お館様は無情にもこう仰った。

よ、奥州の一揆平定に助力せよ。
 丁度良い旅行になるじゃろう。
 伊達の小倅と仲も良いようじゃしのう。」

何 処 が 仲 良 し な ん で す か ?(言えない)

しかし、このままでは不味い。
何となく、政宗と不愉快な仲間達に不用意に同行するのは不味い気がする。
既成事実とかなんとか、不穏な言葉がちらついて仕方が無い。

「お、お館様、
 私一人というのは、いささか心細うございます。
 誰かもう一人連れて行っても宜しいでしょうか?」

かすがが良いな、かすが。
彼女なら全力で守ってくれそうだ。
それに同盟関係の上杉軍代表という事にもできる。
これで良いじゃない!
お館様かすがを連れて行きたいよ!

「そうじゃのう…では、幸村を連れてゆけ。
 幸村、幸村ぁあっ!!」

ええー。

お館様が呼ぶと、
どこか遠くから幸村が物凄い速さで走ってくる足音が聞こえた。

「お呼びでございますか、お館様ぁっ!!」

「幸村、奥州の一揆平定に、と共に助力しに行けい。」

「承知つかまつりましてございます、お館様!!
 この幸村、武田軍の名に恥じぬ働きをしてご覧に入れまする!」

「うむ。」

「お館様!」

「幸村!!」

「お館様ぁっ!!」

「幸むるぁあああっ!」

「ぅお館さばぁぁぁあああっ!!」

――…そんな経緯では奥州旅行(幸村同伴)が決定した。
幸村が居るということはその忍である佐助もどこかに居る訳で、
はちょっとどころかかなりげんなりした気分だった。

ああ、そういえば蔵王だっけ、有名な温泉って。
行きたいなぁ。

そんな現実逃避をしながら、はふらりと歩き始めた。
見晴らしがよさそうな高台があるので、そちらに向かった。
どうせ見えるのは一面の雪景色だろうが、
他の光景を見つめているよりはましだと思う。

「Stop, 、そっちに行くな!」

政宗が叫んでいる。
何事かしらと振り返ると、
政宗と幸村がこちらに向かって走ってくる。

身体に染み付いた習慣というのは怖ろしいもので、
は反射的に逃げ出した。
その衝撃でずん、と変な音がして、
は足もとの雪の塊ごと斜面を滑り落ちていった。

(ぎゃぁぁぁあああああ!?)

はわたわた、と上を見上げた。
飛び降りようとする政宗を小十郎が後ろから羽交い絞めにしている。
幸村も助けようと手を伸ばしてくれているが、
それを佐助が素敵な笑顔で後ろから羽交い絞めにしている。

どちらの手も取れないです。

そんな、とんでもなくどうでも良い理由で、
は救助されるよりも滑落することを選択した。





は雪の塊の上に乗っていたおかげで、
全くの無傷で斜面を滑り落ちていった。
更に、斜面が徐々に緩くなっていっており、
丁度どこかの街道の上に着地することができた。

さてどうしようか、と、
は綿入れの袖に手を引っ込めて斜面の上を見上げた。
とても上る勇気は無い。
街道は自分が乗ってきた雪の塊で塞がれている。
道は一つしかない。

はぁ、と溜息をついて道を歩き始めようとすると、
そこには「いつき命」とでかでかと書かれた法被を着た人が立っていた。

明らかにこれから鎮圧する予定の方々ですよね。

「だ、誰だお前ぇ…」

「と、通りすがりの農民です。」

鍬を構え、此方を警戒する農民A(仮称)。
なんだか昔の自分を思い出してしまう。

え、私殺されるんですか。

「農民なら問題ねぇだ。
 こんな所さ居ねぇで、いつきちゃんの所へ集まるだ!」

信じちゃったよ、この人!
良いのか農民A(仮称)、それで良いのか!
の動揺を余所に農民A(仮称)は道案内をしてくれる様子だったので、
とりあえずそれについていくことにした。

案内されたのはみすぼらしい小屋で、
しかし、それはも見慣れた種類の家だった。
中には小さな女の子を中心に、
「いつき命」の法被を着た人がみっしり詰まっている。

「いつきちゃん、街道に人が居ただ。
 どうみてもお侍じゃねぇから連れて来たんだが…」

そういえば、一揆の首謀者は小さな女の子だとか何とか言ってたっけ。
は目の前の女の子をしげしげと眺めた。

「街道の真ん中さ居ちゃ凍え死んじまうだ。
 けど、余所の人に食わせる米はここには無ぇだ。
 悪いけど、何にも出してやれねぇ。」

いつきちゃんはしょんぼりと項垂れた。
その様子に、周りの人間も少し悲しそうな顔になった。

「いや、良いです。」

にだって農民の気持ちはわかる。
いつだって搾取されるのは農民だ。
不作の年に死ぬのは農民だ。

「私だって農民ですから…。
 まだ田植えできないって、大変ですよね。」

「お前ぇさん、判ってくれるだか?」

「ええ、だって農民ですから。

ぱぁ、といつきの顔が輝いた。

「去年はイナゴが…。」

「害虫って、駆除が大変なのよね。」

「今年は今の時期でこんなじゃ、あんまり夏も暑くならなさそうだべ。
 またやませが…。」

「そっか、こっちだと夏も寒いんだ…。」

小屋に居た全員が溜息をついた。
今の季節、これほど雪が積もっていると充分な収穫も見込めないだろう。

「大変なんだ、ね。」

「わ、判ってくれるだか!?」

「ええ、農民ですから。

そこではた、とは気がついた。
話が通じている。
武田軍に組み込まれて幾星霜(大袈裟)、
誰も話を聞いてくれたことなんて無かったのに!

ちょっと感傷に浸っていると、突然小屋の戸が勢い良く開かれた。
幸村かと思って驚いたが、ただの慌てた農民B(仮称)だった。

「いつきちゃん、お侍が攻めて来ただ!」

「よし、行くべ!」

そう言って、
いつきちゃんは傍においてあった大きな槌を軽々と持ち上げた。

「悪いお侍さ、やっつけるべ!」

「「「いつきちゃ――――んっ!!!」」」

痛い。
果てしなく痛い。
熱さが売りの武田軍とどちらが痛いだろうか。

そんな事をぼんやりと考えていると、
いつきちゃんは槌を持って小屋を飛び出していった。
それに続いて「いつき命」の人々も出て行く。

「ほら、あんたも手伝うだ。」

そう言って、鍬が押し付けられた。
が、なんとなくも人の流れに乗っていつきを追った。
久しぶりに自発的な行動を起こした気がする。

小屋から少し離れた広場まで流されて、ようやく人の流れが止まった。
どうやら、いつきちゃんと蒼紅二人が対峙しているようである。
少し遠くて聞こえないが、なにやら言い争っているようである。

このまま、ここで紛れてられたら逃げられるかも。

にやり、とは笑った。
この大人数で、まさか気づかれまい。

「どうか、気づかれませんように。」

そう、ぼそりと呟いた。




「Oh shit... 貴様ら、を人質に取りやがって!!」




何その地獄耳!

政宗が気づいたせいで、
農民達も異分子であるを前に押し出し始めた。
一人ひとりの力は弱くとも、全員一致で押すのだから抗えない。
はすぐに人ごみから締め出され、いつきの横に吐き出された。

を返せば、何でも言うことを聞いてやる…」

政宗は苦しそうに言った。
幸村は事態があまり理解できていないのか、
訝しげに此方を見ている。

「勿論だべ。
 この娘っこ返すから、年貢を減らしてけれ!」

いつきちゃんは無情にも、を前へ突き出した。
酷い、酷いよ。
同じ農民になんてことをするんだ。




ああ、そっか。
ムラ社会って、そんなに強固なんだ。




「OK, 問題無ぇ。」

政宗が手を差し伸べてくれたが、
先程と同じ理由ではその手を取らずに、
しょんぼり幸村の後ろについた。

「寒くないでござるか?」

幸村が普通に気遣ってくれて、
そんな普通の心遣いに幸せを感じられるだけで悲しいと思う。
しかし、お腹を晒した破廉恥な格好の彼に心配されたくない。

「本当に、本当に年貢を減らしてくれるだか?」

いつきちゃんはきらきらした目で政宗を見上げた。
なんていうか、本人は普通にしていたら可愛らしい女の子なのに。

「OK, 武士に二言は無ぇ。」

政宗はこんなときだけ男らしくそう言った。
こうして、最北端の一揆は伊達軍にとって最小限の被害で鎮圧された。
詳しい契約更新は別の者に任せて、
政宗と小十郎も躑躅ヶ崎館に帰る武田軍にへばりついてくる事になった。

帰りの道すがら、と馬を並べた政宗は得意そうな顔をしていた。
なんだか、恩を売りつけられたようで腑に落ちない。

何より悲しいのは、農民にも仲間外れにされた事である。
とりあえずお土産の林檎はおすそ分けしてもらったが。

ああ、もう、農民を名乗れないのだろうか…?
自分が何処に属するのかわからない、
マージナルマンな農民(?)に愛の手を。