愉快な武田軍ライフ
「
どのはきょうもたんれんをおこたらぬごようす。」
お館様と碁を指していらした軍神様は、
ふと障子の向こうを元気に走り回る足音に顔を上げた。
「うむ…」
お館様は次は何処にと深く考えていらしたようで、
案外適当な相槌を打った。
本当に、
は走っていた。
全力で走っていた。
何で!
どうして!
お前等何時結託しやがった!
は目から零れ落ちた涙を小指で拭った。
「
殿!
これが
殿の鍛錬でござったのだな!」
の後ろを走るのは真田幸村。
「Don't cry my honey!
泣くなら俺の胸で泣け!」
幸村の後ろを走るのは伊達政宗。
現在の順位はそうなっている。
幸村に捕まれば手合せを申し込まれる事は確実だし、
運よく彼に捕まらなくてもその後ろには政宗が居る。
彼に捕まった場合を考えると、
なんとなく
貞操の危険を感じてしまう。
「
殿!
この後は某と手合せを!」
「ahn?
はこの後俺とdateするって決まってんだよ!」
お前等、人の都合を考えてくれよ!(言えない)
心の仲で毒づきながら、走る。
目の前に近づいてきたコーナーを見て、
なんとなく嫌な記憶がよみがえってきた。
そんな事は無い、よね!
自分にそう強く言い聞かせながら、
コーナーを全速力で曲がった。
躑躅ヶ崎館での熱血鬼ごっこに慣れた幸村も全力でコーナーに入る。
「...Shit!」
前の二人に倣って全力でコーナーに入った政宗であったが、
いくら彼といえどもそこは無理があったらしい。
勢い余って庭に落ちた。
伊達政宗、コースアウト。
(っしゃああ!!)
政宗が落ちた音を聞いて、
は地味に心の中でガッツポーズをした。
しかし、そこからが長かった。
90°、ヘアピンカーブを曲がろうとも、
幸村は振り落とされずついてくる。
まるで食べ物を持った人間を追いかける犬のようだ。
躑躅ヶ崎館(縁側コース)も二周目に入り、
は自分の戦略の甘さを痛感した。
普通に走っていただけでは彼を振り切ることは出来ない。
その上、彼を振り切ったところでまた別の脅威が…
とそこまで考えて
ははた、と気づいた。
そうだ、今あの猿飛佐助は居ない!!
はにんまりと笑った。
佐助さえいなければ、以前のような失態は犯さない。
すぐ目の前に迫っていたコーナーを曲がり、
はすぐそこの障子を開けてその中に転がり込んだ。
そして、影に身を隠す。
、ピットイン。
一位幸村、二位
。
だだだ、と激しい足音が縁側を駆け抜けていく。
は自らの勝利を確信し、ほっと溜息をついた。
これで暫く休んでいられる。
あわよくば幸村はお館様と殴り愛を始めるかもしれないし、
政宗は小十郎のお小言を頂戴するかもしれない。
そうすれば
は晴れて自由の身(?)だ!
「Oh...welcome to my room,
.
二人きりになりたいなら、そう言えよ。」
マ ジ で す か ?
は慌てて政宗の部屋から廊下に飛び出した。
幸村の後を追いかけるように走り出す。
政宗、再度コースイン。
「シャイになるなよ!
俺が手取り足取り腰取り色々教えてやるぜ?」
「腰取り」って何だ、「腰取り」って!!
心の中で突っ込みながら、
は全力で走り始めた。
嬉しいのか悲しいのか、息は全く上がらない。
これも日々ワンコと楽しい追いかけっこの賜物だ。
幸村と楽しく命をかけた手合せをしている方がマシかもしれない。
は真剣にそう思いながら、
第何度目か判らないコーナーを曲がった。
その先にはきょろきょろと、
立ち止って辺りを窺っている幸村が立っていた。
辛うじて背中にぶつかることだけは避けて、
は脇をすり抜けるようにして幸村を追い越した。
「おお、
殿!
もう一周されておいでか!」
「某、鍛錬が足りませぬ!」と幸村が追いかけてくる足音が増えた。
一位
、二位政宗、三位幸村。
レースはまだ中盤戦である。
このままではまずい。
並外れた体力(しかも連日高めあっている)の二人に対し、
は一応農民で、忍耐力はあれども体力は無い。
無いと言いたい。
(一か八か、もう一度やるしかない!!)
は決断した。
もう一度、部屋に飛び込んでみるしかない。
遭遇したくない二人は現在後ろを走っている。
佐助とかすがは遠くに出かけて不在である。
行動に移らない理由は無い!
コーナーを曲がった政宗は、
の姿が掻き消えている事に気がついた。
「のわぁぁっ!?」
後ろから走ってきた幸村は、
政宗にぶつかるのを回避したせいか庭に転げ落ちた。
幸村、コースアウト。
先ほど
が自分の部屋に駆け込んできたときの事を考える。
彼女は入ってすぐに障子の影に身を潜めた。
そして、その障子の向こうを真田幸村が追い越していった。
「I got it!
Hey, お二人さん…
見なかったか?」
政宗はその部屋で碁をさしていたお館様と軍神様に声をかけた。
「ふぅむ…」
「やりますね、かいのとら。」
「無視かよ。」
堂々の無視に若干脱力したものの、
政宗は諦めが悪かった。
「軍神さんよ、
見なかったか?」
二度目の問いに、軍神様は美しい顔をゆっくりと持ち上げた。
「かためのりゅうよ、
どのはみておりませんよ。」
「そうか、悪い、邪魔したな!」
は何処へ行ったのか。
丁度庭から這い上がってきた幸村と共に、
政宗は廊下を駆けていった。
その足音が遠ざかって、お館様のもさもさが勝手に動きはじめた。
「……うえっぷ。」
はもさもさから出て、床に倒れた。
もさもさの中は結構、息が出来ない上
汗臭い。
「
どの、そちらにおいででしたか。」
軍神は初めて気がついた、という様子で首を傾げた。
気がついていなかったなんて
その集中力に驚きだ。
「ええ、まぁ…」
お館様は「むぅ」とか「ふむ」とか言いながら考えていらっしゃる。
どうやら
がもさもさに隠れたことにも気がついていなさそうだ。
その鈍感力にも驚きだ。
新鮮な空気を胸一杯に吸い込みながら二人の様子をみると、
二人とも二人の世界に没入してしまったらしい。
それでも、一応助かったことには違いない。
ほっと溜息をついて、
はぱたりと床に倒れた。
しかし、と少しだけ冷静になった頭が疑問を投げかける。
今回助かったのは軍神様のおかげかと最初は思ったが、
どうやらあれはただ気がついていないだけのようだった。
救いの手が(たとえ軍神様のでも)差し伸べられたと思ったのに。
その考えにいたって、
はつい変な笑いを浮かべてしまった。
「うぉぉおおおお!!
殿ぉぉぉおおおお!!」
「Honey!!
姿を現してくれ!」
遠くから声が聞こえる。
どうやら一周してきたらしい。
辺りを見渡しても、この部屋に隠れる場所は無い。
お館様のもさもさ以外。
お館様、お邪魔します。
はもう一度お館様のもさもさの中に隠れた。
むわ、と生温かい空気が
を包む。
ああ、いくら居辛くても家に帰ろうかな。
酸素不足で意識が遠くなりながらも、
はそんな事を考えていた。
つい現実逃避する癖がついてしまった哀れな農民に愛の手を。
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