愉快な武田軍ライフ


躑躅ヶ崎館に帰って数日。
は落ち着くに落ち着けない生活を送っていた。
佐助に脅かされていた頃の方がまともだったと言える。

現在躑躅ヶ崎館には武田軍に加え、
前回の戦で加わった各軍のトップが起居している。
軍神上杉謙信とその忍かすが。
独眼龍伊達政宗とその右目片倉小十郎(昨日やっと名前を知った)。
加わったのはこの四人である。

佐助とかすがはつい最近各地の偵察に旅立った。
(かすがは今生の別れかと思うくらい丁寧な挨拶を述べて出発した)
軍神とお館様は毎日碁を差したり、
手合わせをしたり、互いを高めあっている。
生産的な宿敵である。

打って変わって、若い宿敵二人である。

殿!
 来るべき尾張との戦のために手合わせを致しましょうぞ!」

真田幸村は抜き身の槍の柄で床をだん、と突いた。
お願いだから、室内で槍を振り回さないで欲しい。

「Honey...真田幸村なんかより、俺の方が幸せにしてやれる。」

着流し姿の伊達男はそう言って、の手を取った。
彼のそんな様子を見るまで、
武将は常に甲冑を身につけていると思っていた。
いや、環境が特殊であることに慣れると大変だ。

「は、破廉恥ですぞ、政宗殿!
 殿は――…」

「Stop!
 I know, 真田幸村。
 丁度良い、ここらで決着をつけようじゃねぇか。」

良いぞ、伊達政宗!

は心の中で応援した。
このまま一騎打ちを始めてくれれば、
逃げることだって可能ではないか!
この際、理由はなんだって良い。
頑張れ独眼龍、あんたが幸村と共倒れになってくれれば…!

「む、独眼龍殿が相手ならば不足は無い。
 いざ勝負!!」

「Ha!
 言うじゃねぇか真田幸村…小十郎、刀!」

「これに。」

今まで置物のように微動だにしなかった小十郎は、
六本の刀を丁寧にそろえて伊達政宗に手渡した。

「いくぜ!!」

「うおおおおおお!!!」

庭のど真ん中で蒼紅一騎打ちが始まった。
これを互いに高めあっていると言えなくは無いが、
互いに生じたすれ違いを原点にしているだけに生産的とは言えない。
二人とも戦場で持っているのと同じ武器を持っているが、
もしどちらかが死んだらどうするつもりなのだろうか。

は心の中で二人に両手を合わせ、
その場から立ち去ろうと踵を返した。
最近、深く考えないという方法も確り体得した。

今日は久々に一人で街をうろついてみよう。
新しい甘味処が出来たと女中さんたちの間でも噂だ。
の手元に残っている銭で何とかなると良いのだが。

殿、少々時間を頂けまいか。」

鼻歌でも歌いだしたい気分で歩き出そうとしたの袖を、
小十郎がしっかりと掴んでいた。
目が「首を縦に振らなければ殺す」と言っているようだ。
まるで地獄の番人に見つかってしまった気分だ。

「え、あの…はい、大丈夫です。」

甘味処に行きたい。
でも、まだ死にたくない。
独眼龍の腹心の人物だと聞いても、
任侠の臭いを感じ取らずには居られない。

小十郎がその場に腰を下ろしたので、
仕方なくもその向かいに座った。
ここからは二人の一騎打ちがよく見える。
幸村の肘が政宗の顎に当たった。(武器はどうした)

「政宗殿との婚儀の前に、
 ニ・三確認しておきたい事がある。
 悪いが敬語は慣れねぇから普段の口調で言わせてもらう。」

『婚儀』という言葉を発するときに、
小十郎の顔が僅かだが引きつった。
はできるものなら全身をひきつらせたい気分になった。

「あの…」

「まだ、俺は認めちゃいねぇ…。
 なんていう名前、聞いたことが無ぇからな。」

人 の 話 を 聞 き や が れ 。

思い返すと、他人の話を気かない人間ばっかりだ。
今この館に居る人間のうち、
話を聞いてくれる人は一人しかいない(しかも外出中)。
居たところで、事態は何ら改善するとは思えないが。

殿?」

小十郎の訝しげな表情に現実に引き戻され、
は慌てて答えた。

「ええ、はい、私農民なんですよ。」

「農民?」

「先を続けなければ指を詰める」みたいな表情の小十郎に、
は逃げ出したい衝動にかられながら続けた。

「はい。
 色々あって今はここに置いてもらっていますが…」

そもそも、あの落ち武者が悪い。
あんな所をふらふらしているから。
ていうか、簡単に農民に殴られた幸村も悪い。
それでスカウトするお館様も悪い。
…これは私の運が悪いという事だろうか。

まさか、そんな。(認めたくない)

「実家は?」

「ああ、もう帰れないんです。」

つい最近、母親から手紙が届いた。
手紙を送る金なんてうちに在ったのかと思ったら、
着払いだった(佐助に借りた)。

内容はごく簡単なもので、
最後に「こちらは手伝わなくても良い」という言葉と、
「確り働きなさい」というお館様の教えが記されていた。
そんな家に帰りたくても、たたき出されてしまう。

思い出すとちょっと涙が出る。
逃げ出そうにももう、躑躅ヶ崎館以外にの居場所は無い。

庭を見ると、二人はまだ元気に一騎討ちを続けている。
彼等に疲れるという言葉は無縁らしい。
政宗の膝蹴りが幸村の鳩尾に決まった。
二人とも容赦なく人体の急所を狙っているが、武器はどうした。

ちら、と小十郎を見ると、彼はこちらを同情の目で見ている。
ですよね、家に帰れないとか無いですもん。
そうやって同情してくれるだけでも嬉しく感じてしまう。

「悪い、思い出したくない事を思い出させたようだな…」

「え、いや、そんなこと無いですよ!」

いや、思い出すのはかなり楽しい思い出ばっかりですから!
農民ですよ?
思い出して悲しいのは川の氾濫くらいですって!
武田軍の毎日と比べたら低刺激かつ非情に愉快です。

「どのような親でも、
 産みの親が居なくなるというのは悲しい事に違いねぇ!」

そこでぶわ、と小十郎の目から涙が流れた。
どうやら人情モノに弱いらしい。
それだけ見るととても良い人に見える。



でも、どこをどう取ったらそうなるんでしょうか?



「あの、私の親は――…」

健在です。
そう言いたかったが、
感極まった小十郎はそれを許してはくれなかった。

「言ってくれるな。
 親が居なくともここまで立派に育っておられて…。
 天国のご両親もさぞや胸を張っておいででしょう。」

ぐい、と小十郎は手の甲で涙を拭った。
忘れてました。
この人も人の話聞いてくれなかったんでした。

「この小十郎を父と思ってください。
 殿のような出来たお方ならば、
 心おきなく政宗様をお願いすることができる!」

小十郎の目は本気だ。
こういう目の人間が一番性質が悪い。
最近(学びたくないのに)学んだ。

「政宗様をよろしくお願いする。
 お家の方はこの小十郎がなんとかしましょう。」

「え、いや、あのー…いっ!!!!?」

嫁ぐ気なんてないんですけど。
その言葉がいえなかった。
小十郎が物凄い力を込めて手を握ってくれたからだ。
痛い、痛すぎる。
めりめり、と骨が軋む音が聞こえた。

そうですよね、あんな変な武将の右目なんてやってられるんだから、
普通の神経の持ち主じゃないですよね★
…ごめんなさい、淡い期待を抱いていた私が悪かったです。
それにお館様に殴られ続けたわけでもなく、
素の状態で彼は今現在の人格を形成したことになる。
より一層性質が悪い気がする。

農民の常識が通じる武将なんて、居ないですよね。
は心の中で呟いて、つい遠い目をしてしまった。

殿は将来政宗様の奥方となられるお方。
 この小十郎、命に代えてもお守りいたします。」

ぐ、と小十郎は拳を握った。

守ってくれるのは嬉しいです。
とてもとても頼もしいです。
でも、誰も政宗様の奥方になるなんて言ってない。

そんな会話をしているうちに一騎討ちが終わったのか、
ぼろぼろの幸村が槍を杖のようにして歩いてきた。

殿……某と…」

「幸村殿。
 殿との手合わせは、この小十郎を倒してからだ!」

小十郎は抜刀し、よろよろの幸村に全力で向かっていった。

ありがとう、小十郎さん。
でも、ちょっと幸村が可哀想だよ。

目の前で繰り広げられる一騎討ちだが、
は何も見なかったことにした。
そして、こっそりその場から逃げ出した。

やったよ、初めて最初の願いが叶ったよ!

そのまま昇天できそうな幸せをかみ締めながら、
は飛び跳ねるようにして躑躅ヶ崎館を出た。
甘味処!小物屋!
ビバ★自由!

飛び跳ねながら館を出て自由を謳歌していたものの、
徐々に冷静な思考が戻ってきた。


小十郎の凶悪な面構えが思い出された。
最初だって「オ前ヲ取ッテ喰ウ」みたいな顔をしていた。
あんな顔に二度と立ち向かいたく無い。

しかし、彼に逆らわなければどうなるのだろう。
政宗の隣で白無垢を着る自分を想像して、げんなりした。
あんな南蛮かぶれの人と仲良くできる気がしない。
色々考えれば考えるほど、
今の幸せの行く末が暗いものとしか思えなくなってきた。




軽 く ど こ ろ か 、 マ ジ で ヤ バ イ 。




幸せも不幸の前兆にしか感じられなくなってきた、
可哀想な農民に愛の手を。