愉快な武田軍ライフ
素敵な登山(岩肌を削って作った道があった)を体験した
であったが、
なんとか軍神上杉謙信の居城に無事辿り着くことができた。
優美な春日山城を見ると、
は自分が生きていることを初めて讃えたい気分になった。
「ここが謙信様がいる春日山城です。
お姉様、参りましょう!」
かすがはきらきらと眩しい笑みを振りまきながら、
旋花の轡を取って歩き始めた。
この馬もよく頑張ってくれた。
あんな(馬どころか人の道か怪しい)道をよくぞここまで歩いてくれたのだから。
どんな鍛え方をされたんだろう…
そんな疑問が脳裏を過ぎったが、
何も気がつかなかったことにする。
何事も、知らないほうが幸せなことというのもあるはずだ。
たぶん。
かすが直々の案内ということもあって、
はすんなりと、何の邪魔立てもされずに軍神と面会することができた。
びっくりするほど大きな広間に通されて、
背負子を脇に置いて軍神の登場を待つ。
以前出会ったときは突発的な事故だったから、
こうして前もって会えることが分かっていると途端に緊張してしまう。
襖の向こうで人が歩く音が聞こえたので、
は床に額をぶつける勢いでかしこまって軍神の入室を待った。
成人男性にしては軽い足音が部屋に入り、上座についた。
軍神様なのだろうな、と思いながら声がかかるのを待つ。
「かおをあげなさい、むらくも。」
あの、群雲じゃないんですけど。
そんな主張をする勇気があるわけもなく、
は慎重に顔を上げた。
軍神の隣にはきらきら三割り増しのかすがが座っている。
いいのか、忍がそんなおおっぴらに姿をさらしていて。
「きょうはどのようなごようけんでまいられたのですか?」
「お館…武田信玄より書状を預かっております。」
は背負子をごそごそと探って上の方に入っていた紙を取り出し
軍神に直接それを手渡した。
軍神は
が元の位置に戻ってからその紙片を開いた。
ああ、今日は本当に何事もなく平穏無事に終わりそうだ。
一泊くらいは城で休めるかもしれない。
帰りはきっと街道を通って帰ろう。
ああ、平穏って幸せ!
ちょっと涙が溢れそうなほど幸せを噛み締めながら、
は軍神の返答を待った。
「しばしじかんを。
へんじをしたためましょう。」
そう言って軍神は部屋を後にした。
「お姉様、今日は心ばかりの歓待しかできませんが、
しっかりお休みになってください。」
きらきらしたかすが(きっと彼女の栄養は軍神を取り巻く空気)は、
そう言って微笑んだ。
もへらっと笑い返す。
部屋に戻ってきた軍神から手紙を受け取り、
越後の美味(でも全部精進料理)をいただき、
はとても良い気分でその日は床についた。
次の日には長期滞在を勧めるかすがの勧誘を振りきって、
街道を一人ゆっくり帰った。
久しぶりに厩舎で休んだのが聞いたのか、旋花の調子も良い。
ああ、やっぱり、旅って良いな。
急がない旅というのは、本当に精神衛生上宜しい。
うっかりワンコにじゃれつかれたりしないし、
暗殺の危険なんて躑躅ヶ崎館より低いし、
日頃の苦労を思うと驚くほど安全・安心・快適だ。
そんな幸せ気分で躑躅ヶ崎館へ帰り、
ほわほわした気分のままお館様に書状を渡した。
「むう…」
お館様はその書状を読んで、一人唸っておられた。
これで今回の
の役目は終わりである。
何故か入り口付近でうずうずしている幸村が、
お館様の様子をちらちら盗み見ていた。
「よし、戦じゃ!!
上杉と再戦じゃ!!」
お館様は膝を打って立ち上がった。
幸村もがばっと立ち上がった。
「おお、この幸村、このときを待っておりました!」
戦?
は、何それ?
は自分の耳を疑った。
自分は塩の礼状を持っていったのではなかったか。
それが何故、戦?
「
よ早う用意いたせ!」
私、もう戦に出たくないんですけど。
なんて言えるわけもなく、戦の理由を聞けるわけもなく、
はしぶしぶ戦の用意を始めた。
お館様と幸村は恒例の殴り愛を始めたらしい音と絶叫が聞こえたが、
聞こえなかったことにする。
それにしても何故戦なのだろう。
軍神も私を苦しめたいのか?
そんな絶望的な気分になりながら、
長い間お世話になっていた背負子の中身を全部出した。
「あ……。」
書状が底の方に。
そうだよね、確か、落したりなくしたりしないようにと底に入れたんだっけ。
うふふ。
じゃ、渡したあれは何?
がさがさ、と他の荷物を見渡してみる。
えーっと。
うん。
佐助の道具リストが無いな。
「なーに暗い顔してるの?」
素敵な素敵な、地獄を牛耳る閻魔様も震えるような声がして、
目の前で佐助が笑顔でこちらの様子を伺っていた。
「え、いや、その……。」
「まぁ、今頃気付いても遅いから良いんだけどね。
うん。
でも、俺の仕事まーた増えちゃったよ。」
そう言って、
咲きかけた蕾も萎れようかという邪気に塗れた笑顔を残して、
佐助は部屋から消えた。
これは何の罰ゲームなのだろうか、と思う。
は川中島に通じる山道の入り口に陣取りながら、
溢れ出す涙を手の甲でがしがしと拭いた。
川中島では今まさに、軍神とお館様の戦が始まろうとしている。
がいる位置は、まぁ言えば川中島のはしっこだ。
いつもなら泣いて喜び、両手を打ち鳴らしながら踊りだしたい気分になるが、
今日はそうもいかない。
この道から伊達政宗が乱入してくるという事前情報があるからだ。
伊達政宗と言えば、
先日出会ったかもしれない気持ち悪い南蛮かぶれの人かもしれない。
(まだ信じていない)
どれもこれも、佐助が「
が適任だと思います。」なんて言うからだ。
酷いや。
きっとあれだ、嫌がらせだ。
お館様もお館様で、すぐに了承しないでほしい。
もうちょっと考えて、お館様!
門の向こうでは合戦が始まったらしく、
怒号と馬の嘶き、金属がぶつかり合う音が聞こえ始めた。
それとほぼ時を同じくして、
山の方からガラの悪い雄たけびと馬の蹄が地面を抉る音が聞こえてきた。
嗚呼、もう、がんばれ自分としか言えない。
今日も一応持ってきた刀は、
かすがと出会ったあの日以来抜いていない。
こんなので伊達政宗と戦えるワケが無いし、
まだ家に逃げ帰ることを諦めきれてはいない。
「ぅおおおおおおおおおおおっ!!!!」
ああ、幸村が叫んでる。
頑張ってるんだな。
でも、ちょっと近すぎやしないか?
目の前には濛々と砂煙をあげながら伊達軍が迫ってきている。
誰かここで颯爽と現れて、
「ここは私が。」とか言ってくれたら惚れてしまう。
そんなことを考えながら、
は門に寄りかかった。
ばぁんっ!!!
激しい爆発音のような音がして、
気がつくと
はしたたかに顔面を壁にぶつけていた。
余りの痛さにちょっと死んだ祖母と再会を果たしてしまった。
とりあえず状況を確認すると、
どうやら
は門扉と門を固定している壁にはさまれているようだった。
門は内側からしか開かない。
誰だよ、こんな事した阿呆は。
「おや、間違えたか?」
門扉の影からそっと覗くと、きょろきょろと辺りを見渡す犬が見えた。
そうだ、そうだよね。
戦場でこんな馬鹿やらかす人間って、
両陣営に彼しかいなかったよね。
どうやら、あまりに強打したせいで頭がまだきちんと働いてくれていないようだ。
誰か助けてほしいとは思ったが、
こんな登場の仕方で惚れられる人がいたらその面拝んでみたい。
「Oh, 真田幸村…こんな所で会うとは奇遇だな!」
ちょっと気を失っていた間に、
伊達政宗
らしき男はもうすぐそこにきていたらしい。
諦めの悪い女、
。
彼の出現で出る気が失せて、
はその場で暫くそこに隠れていることに決めた。
「Hey, お前の軍にvery cuteな女が居るだろう?」
「伊達政宗殿…は、破廉恥ですぞ。
確かに、女性は
殿がおられるが。」
「へぇ…
って名前なのか。
その
を今日は貰いに来た。
悪いがちーっとばかし道を譲っちゃくれねぇか?」
「む!
殿を渡すわけには参らぬ!」
幸村が槍を構えなおした。
ありがとう、その変人から守ってくれて。
今まで散々馬鹿な犬だとか言ってごめんね?
戦力にならなくても仲間だと思ってくれてるなんて、
立派な人間だよ。
は若干申し訳ない気分になった。
「What?」
「
殿は(武田軍にとって)大切な人でござるぁぁぁああっ!!」
何を略した、この野郎!!!!
そう叫ぼうかと思ったが、
ここは伊達政宗
らしき人の問題発言の手前口を押さえて堪えた。
もう良い。
幸村は馬鹿な犬で決定だ。
「O.K... 俺にはお前を倒さなきゃなんねぇ理由が一つ増えたようだ…」
違う、違うよそこの……変な人!(酷)
その変な人はおもむろに刀を六本全て鞘から抜き、構えた。
それを見た幸村も二本の槍を構えなおした。
「行くぜ、真田幸村っ!!」
「受けて立つ、伊達政宗っ!!!」
奇声を発しながら二人はめくるめく一騎打ちを始めた。
誰か突っ込んでくれよ、とかそんな淡い願いもむなしく、
はそっと門をくぐって戦場に入った。
そういえば、幸村が居た所って今無人だよね。
現実逃避である。
もう、何だっていいよ。
諦めの速さが超速で上がっている。
ふらふらと歩いて、幸村が攻めるべき場所を地図で確認しつつ探した。
そこはどうやら防御の要らしく、
防御のための盾を持った人たちがわらわらと沢山居た。
うーん、帰ろうかな。
もちろん、実家に。
別に、今帰ってもばれなさそうな気がする。
うん、多分大丈夫。
「曲者っ…ああっ、お姉さま!!」
突然、背後から声が聞こえたので殺られるかと思ったが、
きらきらしたかすがが乙女走りで近付いてきた。
どうでも良いですが、あなた忍ですよね?
てか、私は敵ですが仕事しなくて良いのですか?
「いや、あの、手合わせに…」
なんて、ごまかしてみる。
「そんな…お姉さまと戦うなんて、このかすがにはもうできません…」
うるうると瞳を煌かせて、かすがは目じり拭った。
そうしていると可愛いのに、
何が彼女をこんなにしてしまったのか。
忍教育だろうか?
だとしたら何故佐助は
あんなことになってしまったのだろうか。
(はっきりとは口にできない)
「すぐ用意致しますから、
一杯お茶でも召し上がってくださいませ。
お姉さまにと笹団子を持ってまいりました。」
「あ、ありがとう。」
いやー、食べてみたかったんだよね、笹団子。
越後銘菓だし。
でも。
戦場のど真ん中でお茶会ってどうなんでしょうね。
もう、色々どうでも良いや。
遠い目の
の手を引いて、かすがは陣の中を案内してくれた。
ありがたい反面、周りの人々の視線が痛い。
楽しいお茶会から武田軍本陣までかすがは送ってくれた。
戦がひと段落したのか、軍神とお館様は囲碁をして待っていらした。
「おお、
、遅かっ――」
「My sweet honey!!!!」
視界が一気に暗転した。
なんだか、とても嫌な予感がする。
「
、会いたかったぜ…。」
伊達政宗
っぽい人が熱い抱擁をしてくれている。
えーっと、確か西洋ではこんな挨拶があるんだっけ?
「貴様…お姉様に触れるな!!!」
かすがが放った見事な踵落としは、
見事に伊達政宗(?)が今まで居た場所(
の顔すれすれ)の空気を裂いた。
「上杉の忍…貴様は永遠に軍神といちゃついてりゃ良いだろうが!!」
「五月蝿い!
そうやって自然にお姉さまの肩を抱くな!!」
お願い、そっとして置いてください。
はまた、泣き出したくなった。
最近、諦めも涙腺の決壊も驚くほど早くなった気がする。
歳かしら?
「つるぎにもゆうじんがふえました…。
それもあなたのそんざいがあってこそ。
れいをいいます。」
いつの間にか隣に並んで立っていた軍神がそう言った。
うん、でも、何か間違ってる。
少なくとも今彼女が戦ってる男は彼女の友人ではない。
「のう
、お主の徳に敬服したと上杉謙信も申しておる。
それにあの伊達の小倅も、戦は無い方が良いと言っておった。
お主の日頃の意思を尊重して、
休戦協定を結ぼうと思うが、どうじゃ。」
神 様 あ り が と う !
それまでのどんよりした気持ちから一転して、
は嬉しさのあまり歓喜の雄叫びを上げたい気分になった。(男前)
今なら噂の南蛮野菜だって勢いで食べられるくらいの幸せ加減だ。
「ほ、本当ですか?」
「うむ。」
「是非!!
是非休戦を!!」
そして、私に戦場という恐怖からの解放を!!!
「そうか、それは良かった。
お主の意見が一番重要じゃろうと思うておってのう。
では、躑躅ヶ崎館へ帰るとするか。」
「はい!!」
は今までの不幸が全てこの幸せの為にあったのだと確信した。
そうだよね、因果応報ですもんね(間違い)。
「ええ、まいりましょうか。」
軍神様も頷かれた。
何故軍神様が。
よほど間抜けな顔をしていたのか、
お館様が
の異変に気がついてくれた。
お願いだから、
常日頃からもうちょっと気付いてほしい。
「北の守りはもう良いからの、
同盟を結んで共に尾張に攻め込もうという事になってのう。」
「しばし、みなでつつじがさきやかたにたいざいすることになりました。」
神様なんて、存在しないんでしたね。
「絶対に奥州に連れてかえるからな、覚悟しとけよhoney?」
(もう疑う余地も無く)伊達政宗が
の頬に接吻した。
かすがはどうしたのかと振り返ると、
佐助が後ろから羽交い絞めにしている。
何と言うか、容赦が無い。
は「やっぱり止めましょう」と主張してみようかどうか迷った。
今までずっと主張することができなかったが、
いくらなんでもこれは酷すぎる。
今、ここで意見を言わずして何時言うのだ!!
「あの…」
なけなしの勇気を振り絞ってそう言ったときには、
皆もう移動の準備に取り掛かっていた。
「政宗様が同じ馬にと呼んでおられます。」
隣にいつの間にかたっていた、左頬に傷のある男が、
有無を言わさぬ視線でこちらを見下ろしている。
明らかに堅気の人間ではない。
「自分の馬がありますので…」
「さ、ご案内いたします。」
人の話を聞いてくれ。
酷い、酷いぞ。
結局尾張との戦に出なければならないし、
変人――もとい、伊達政宗は躑躅ヶ崎館に来るし、
かすがも軍神も来るという。
なんか、激しく不幸な選択をした気がする。
はがっくりと肩を落とした。
「ご案内いたしますゆえ、お早く。」と睨みをきかせるこの男が、
一体誰なのかも分からない(誰か紹介して)。
何か自分は悪いことをしてしまっただろうか。
というか、この迫り来るプレッシャーは何なんだろうか。
つい現実逃避に走ってしまう、不運な農民に愛の手を。
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