愉快な武田軍ライフ


武田軍の領地は内陸にあり、海に面していない。
おかげさまで塩は全て輸入で賄われている。

そういう出費には糸目をつけないお館様(太っ腹!)だったが、
ちょっと今川を潰そうとしたせいでマロ殿のお怒りを買い、
更に北条のおじいちゃんと結託したマロ殿は塩を売ってくれなくなった。

おかげさまで現在武田家領内は絶賛塩不足中である。
それが全体の士気を下げているらしい。

そんな噂を聞くものの、
の身の回りで起こっている変化といえば、
料理の味が薄くなったくらいである。

しかし、それでも熱血武田軍はかなりの大打撃であったらしい。
馬鹿なワンコは人の三倍くらい無駄に動くため、
汗も人並み以上にかいているらしい。
塩分補給を断たれた彼は最近ちょっと大人しい。
漸く常人並の落ち着きを手に入れたようだ。

それはさておき、は最近自分の給料の事を気にし始めた。
幸村は信玄に与えられた領地があるから良いとして、
の扱いは佐助とほぼ変わらない。
ということは、給料が支払われていてしかるべきである。

神様、仏様――…私の給料はどうなっているのでしょうか?

以前母親に縋ったところ、
かなり不気味に現実に引き戻されたので神仏に縋ってみた。
縁側に座って空を眺めると、
神様と仏様を足して二で割ったような顔が浮かんでいた。
何も言わず、微笑んでくれている。

自分で何とかしなさい。
そんな笑顔に見えたのは、きっと気のせいだろう。
ですよね、神様、仏様。
今すぐ私を救いやがれってんだこの野郎。

とりあえず、給料の事は誰かに聞いてみるに越したことは無い。
思い立ったが吉日とは立ち上がり、
勘定方が集まる部屋に向かって歩き出した。

躑躅ヶ崎館の中は水を打ったようにひっそりと静まり返っている。
塩が無いという事はどうやら本当に重大な事らしい。

そっと勘定方が集まる部屋の障子を開けると、
見ているこちらまで取り込まれそうなほどの陰鬱な空気が溢れだしてきた。
皆口々に「塩…」と亡者のように呟いており、
声をかける勇気を持てなかったはそっと、
何も見なかったことにして障子を閉てた。

やはり、静まり返っている武田軍なんて不気味だ。
いつももよりちょっと元気が無いくらいが丁度良い。

「誰か、(ちょっとだけ)塩くれないかな。」

ぼんやり呟いた。
その呟きはそのまま、空気の中に溶けて消えた。






そうだ、佐助に聞けば良い。
それを思いついたのは、
亡者になってしまった勘定方を見てから数日経った頃のことだった。
恐らく、彼ならば金の事なら結構詳しいだろう(酷)。

思い立ったが吉日とは立ち上がり、
うきうきした気分になりながら部屋の外へ出た。

とはいえ、佐助が普段何処に居るのかを全く把握していない。
とりあえず躑躅ヶ崎館中をうろうろし、
それとなく屋根裏なんかも覗いてみたが見当たらない。

「…何処に隠れやがった、あの猿。」

ぼそり、と呟いた。

「猿って、誰の事?」

ごめんなさい。
ほんの出来心だったんです。

振り向きたくないと駄々をこねる首を無理矢理振り返らせると、
そこにはちょっと素敵な、
野生動物も裸足で逃げ出す笑みを浮かべた佐助が立っていた。

「いや、えーっと、えへへっ★」

「……まぁ、今回は何も聞かないでおくよ。
 俺だってそんな暇じゃないし。
 で、何か用?」

ああ、一応察知して出てきてくれたんだ。
そうだよね、人の話聞かない人間ばっかりで軍は構成できないよね!

は漸く他人の話を聞く耳を持つ人間を見つけ、
ちょっと幸せな気分になった。

「私のお給料って、どうなってるのかと思いまして。」

「ああ…給料、ね。
 今勘定方の人には聞けないねぇ…」

にやにや、と佐助は笑っている。

「あんたの給料、実家の方へ送られてるよ。」

「え!?」

「俺がそうしたから。
 だって、お金ないと逃げられないっしょ?」

元 凶 は お 前 か 。(言えない)

「俺だって、自分の仕事を楽にする努力はしてる訳よ。
 判るよね、あんただって。」

判りますけど、判りたくないです(言えない)。
はじと目で佐助を睨んだ。

私だって、帰りたいんですよ。
たまの休みだって、
ワンコにじゃれ付かれてフルマラソン並みに走るわけですよ。
そんな生活嫌じゃないですか。

「酷い…」

「お前、お姉様に何をした!!」

「へぶぅっ!?」

それは一瞬の出来事だった。
佐助の顔が庭の方に傾き、そのまま軽く宙をとんだ。
武田軍に入って、幸村以外の人間が飛ぶのをみたのは初めてだ。

「大丈夫ですか、お姉様…?」

佐助と入れ替わって、金髪美人――かすがが現れた。
ああ、回し蹴りですか?
駆け寄ってきて、そっと手を取る。

「え、いや、あの…」

「お姉様の窮状は武田軍の窮状…
 お姉様が塩をご所望されていたと謙信様に伝えました。
 本日は塩を届けに参上した次第です。」

かすがは大きな目をキラキラさせてこちらを見上げた。
そうか、そうだよね。
この人も犬属性なんだ




てか、私が塩が欲しいなんて呟いたの、一度だけなんですけど。




そんな呟きを誰かに言うわけにもいかず、
はぐ、と飲み込んだ。
庭木と熱い抱擁を交わしていた佐助はようやく立ち直ったらしく、
ゆらりとこちらに戻ってきた。

「かすが…それ、ちょっと酷くない?」

「寄るな!
 お姉様に近づくんじゃない!!」

ば、とと佐助の間に割って入るかすが。

「あー…もう、なんか嫌になってきた。
 俺、真田の旦那に呼ばれてるから行くわ。」

ちょっと寂しそうな背中が、一瞬で消えた。
かすがはに向き直ると、またきらきらした目になった。

「あ、あの、で良いですよ?」

「では私の事はかすが、とお呼び下さい。」

眩しい。
笑顔が眩しすぎる。
今まで自分の給料の話をしていた為に後ろ暗さは最高潮だ。
遠くから誰か近づいてくる音が聞こえる。

「かすが……さん。」

お姉様。」

笑顔が眩しすぎて、涙が出てきそうだ。

殿ぉぉおおおおおっ!!」

ああ、やっぱり馬鹿なワンコ(と書いて幸村と読む)か。

「門の前に大量の塩が…おお、これはかすが殿!」

かすがは幸村に気がついた瞬間に、
戦場で見たきりりとした表情に戻った。
どこにそんなスイッチがあるのだろうか。

「謙信様からの書状を信玄殿にお渡ししたいのだが。」

「お館様はもうすぐ此方に参りまする。」

尻尾を千切れんばかりにふる犬のように、
幸村はきらきらした笑顔を見せた。
その笑顔が素敵、と下働きの女の子は言うが、
には犬のように見えてならない。

「おお、これは上杉の忍。
 あの大量の塩は?」

お館様が現れた。
その背後には佐助が立っている。
ちょっと悲しそうな顔をしているのは気のせいか。

「謙信様が武田と塩の取引をしても良いと仰っている。
 これがその書状だ。」

ぶっきらぼうに、かすがは書状をお館様に渡した。
お館様はそれを読んで、微笑んだ。
微笑んでも、怖い(言えない)。

「さっそく返事をしたためよう。
 客間を用意させるゆえ、そちらで待っておれ。」

「俺が案内するぜ。」

「……。」

かすがは仏頂面のまま佐助に案内されてどこかへ行ってしまった。
なんとなくほっとして、もとんずらしようと踵を返そうとした。

。」

お館様に呼び止められた。

「は、はい……」

関節という関節をみしみしいわせながら、
は沈んだ気持ちで振り返った。

「お主が国全体の事を思うておったとは、
 わしも終ぞ気づかんかった。
 独断とはいえ、此度の交渉は不問に付す。」


何 ソ レ 。


どこにそんな面白い物語があったのだろう。
は挫けそうな気持ちを励ましながら聞いた。

「あの、その書状になんて書いてあったのですか?」

お館様は首を傾げた。

「お主が甲斐の塩不足を嘆き、
 上杉の忍に相談を持ちかけたとあるが?
 しかし、公正な取引を約束するともある。
 やはり上杉、度量の広い男よ…。」




呟いただけで、相談になるんですね。




何と答えようか迷っているうちに、
幸村はがばっとその場にひれ伏した。

「この幸村、国の窮状に何の手立ても思い浮かばず…
 お恥ずかしい限りにござる…!」

「幸村よ、を見習って精進いたせ。」

「はっ!!」

もう、笑うしかないですよね。
何だったこの人たちは良い方向へとばっかり取るのか。

「いや、あの、私は…」

「謙遜せずとも良い。
 これはお主の手柄じゃ。」

お館様は一人で頷いておられる。
ワンコはきらきらした、
まるで人を尊敬するような目でこちらを見ている。

お願いだから、人の話を最後まで聞いてくれ。

なんかもう、周りの人は武田軍の一員と認めてくださるんですね。
空を見上げると、やはり母が微笑んでいた。
その笑顔はもう「しっかり働け」と言っているようにしか見えない。

自分に差し伸べられる救いの手は、
軍神様からの手くらいしかないんですかね?
そんな現実気がついた哀れな農民に愛の手を。