愉快な武田軍ライフ


武田軍はどうやら、基礎的な所から鍛えて下さるらしい。

それがここ数日の感想だった。
見事(?)馬術を体得したではあったが、まだ能力が欠如していた。
戦場で一番必要な、戦闘能力である。

誰もが勘違いをしているが、は強く無い。
ちょっと、運が良いだけだ。
運も実力の内という言葉があるが、そんなものが実力ならば世の中苦労は無い。

しかしその勘違いを誰も質さないのが武田軍である。
お館様の判断を誰一人疑わないのが武田軍である。
そして、その判断を盲信するのが真田幸村である。

殿ぉぉっ!!!」

幸村が追いかけてくる。
はちょっと涙を流しながら縁側を走っていた。

幸村の手には槍。
あきらかに、殺される。

「お待ち下されっ!
 今日こそ、この幸村とお手合わせ願うっ!!」

殺 さ れ る 。

いや、だって、普通そう思うじゃないですか。
あの天下の武田軍で、あの信玄様に殴られても生きてる真田幸村ですよ。
誰が戦ったって分が悪いに決まってるじゃないですか。

では、なぜそんな武田軍に入ってしまったのか。
それはそれ、猿飛佐助のせいである。
かれの邪悪な笑顔を見れば、誰だって嫌だとは言えない。(普通の人ならば)

は全速力でコーナーを曲がった。
そしてすぐに障子を開けて中に飛び込む。
幸村が通る前に素早く、しかし静かにその影に隠れた。

殿ぉぉぉっ!!」

幸村が足音も高く駆けて行く。
危機一髪。
おつむがそれほどよろしくなくて助かった。

ほう、と一つ溜息をついて、は前を見た。

部屋の中には、山本勘助が居た。
手には巻物を持ち、明らかに勉強中だ。

殿……如何なされた」

「あ、いえ、その、何でもありません」

「………大変でござろうな」

「有り難う御座います」

「いえ、普通の人間ならば、そう感じる処遇でございましょう」

何という事だろう。
この武田軍に常識人が居ようとは!

「まぁ、この部屋に居られれば幸村殿もいらっしゃるまい。
 親方様がもうすぐ幸村殿を吹き飛ばす頃合いゆえ、暫く一服されると良い」

にっこりと笑った無骨な顔が、仏様のように見えた。
思わず手を合わせて拝み倒したくなる雰囲気だ。

「あ……ありがとう御座います!!」

「いや、その、そうありがたがられても…」

勘助はまごつきながら、置いてあったお茶とお茶請けを勧めてくれた。
はそれをありがたく頂き、日向に座って外を眺めた。

うららかな春の陽気。
蕾が膨らんだ桃に桜。
植物が活発に成長する季節。
ああ、こうしてのんびりするのも久しぶりだ。

勘助は巻物を持って立ち上がり、部屋を出て行った。
別の巻物でも取りに行ったのだろう。
部屋には一人になり、鳥のさえずりが遠くに聞こえた。

静かだ。

「やーっと見つけた。
 最近いらない知恵がついてきたね、あんた」

佐助がにこやかに庭に現れた。
うららかさが一転、おどろおどろしい風景に早変わりした。
いや、だって、ここに居るのを知っているのは……

「なんで見つかったのって顔してるけど、俺様有能だから情報網は完璧なんだぜ?」

『そうありがたがられても…』
そう言って視線を彷徨わせた山本勘助の顔が思い出された。

ああ、成る程。
山本勘助さんもあなたの手の内でしたか。
いやー、軍師を掌握してるなんて思いませんでした。

何してんだよ、あんた(口には出せない)。

「はい、じゃ、ちょっとばかし遅くなったから俺様が特別に連れていってあげよう」

にっこりと笑ってはいるが、今日は明らかに不機嫌だ。
おそらく、“ちょっとばかし遅くなった”という所がミソだろう。
は立ち上がって逃げようとしたが、その先には山本勘助が立っていた。

「す……すみませぬ!!
 拙者、まだ生きていたいのでござる!」


何 が あ っ た ん だ よ 。


の肩を佐助が掴んだ。
並々ならぬ殺気が伝わる。
嗚呼、死んじゃうんだな、自分。

一瞬視界が暗転し、気が付くとそこはあの忌まわしい道場だった。

「おお、佐助、よくやった!」

幸村が凄まじくきらきらした笑顔で立ち上がった。
こいつにも要らない知恵がついてきたらしい。
は心の中で舌打ちした。

「遅くなってすまねぇ」

「いや、仕事を増やして済まなかった。
 殿…一人でどのような鍛錬を積まれておられるかは問わぬ。
 しかし、お館様のご上洛の為にも、この幸村に稽古を付けて頂きたい!」

ぐ、と拳を握りしめながら、幸村は叫んだ。
ぐわんぐわんと響いて耳が痛い。

「え、いや、その……」

「お願い申し上げる!」

幸村は真剣だ。
そんな彼を前に武術の心得なんて無いんです、なんて言えない…。
こういう時、どう言って断ればよかっただろうか。
敬語なんてそう使わないからよく分からない。

「け、結構です」

「おお、この幸村、ありがたき幸せに御座いまする!!」



曖昧表現なんて、嫌いだ。



「行きますぞ、殿!!」

幸村が走ってくる。
手にはいつもの二本の槍。
死ぬって、本気、死ぬって。

デジャビュを感じてしまう。
そういえば、ここに初めて来た日もこんな感じだったっけ。
あはは、違う所って何だろう。

っていうか、私素手なんですけど。

近くに棒きれも無い。
佐助の姿は無く、通常任務に戻ったらしい。
誰もを助けてくれそうな人はいない。
……佐助が居た所で助けてくれなさそうだが。

一歩下がった所で、足の裏に異物感を感じて下を見た。
なんと、そこには武田家が鋳造している金が落ちていた。
拾い物だ、などと思いながら、
現実逃避してそれを拾った。

頭上を槍が掠めた。
上を見上げると幸村の顎。

あ、今ならいけるかも。

は金を握りしめ、
立ち上がりながら丁度アッパーの要領で幸村の顎を捕らえた。

「ぐへぅっ!?」

今日、ついてるかも。

幸村はそのままバック宙のような形で飛び、べしゃりと床に落ちた。
普通の人間なら痛みに耐えきれずその場でじっとしている所だが、
幸村はすぐに立ち上がった。

「この幸村、まだ修練が足りぬようで御座いまする…」

くうっ!とか何とか呻きながら、目の前で幸村はしょげている。
その様子があんまり可哀想なので、はつい声をかけてしまった。

「いや、その、そんな事ないと思いますよ?」

「うおおおお、燃えて参りました…
 この幸村、殿のご期待を裏切らぬよう、精進いたしまする!!」


ええっと、いつ期待したかしら?


燃えたぎりながら、幸村は道場を駆け足で出て行った。
きっと、彼を止められるのはお館様の熱い拳のみである。

というか、何が『今日、ついてるかも』だ、自分。
そんな事が度重なるから誤解が度重なっているんだぞ、自分!!

なんだか、最近洗脳されてきた気がする。
そんな哀れな農民に愛の手を。