箱庭の姫君


桜の花びらが散ってしまった後の、
新緑が芽吹くまでのほんの僅かな期間。
私は元就様のお部屋で過ごすことになった。

広さは十畳、窓から城下町を一望することができ、窓を開け放てば風通しも申し分ない。
塵一つなく清められており、その殆どを元就様ご自身でされていると聞いた。
書架には書物がきちんと並べられており、
元就様曰く、誰にも触られたくない、とのこと。
内容や著者によって細かな配置を決めているのだと仰った。

何もする事が無かったので、元就様の本棚から一つ書物を借りて読み耽っていた。
何を読むべきか判らないので、元就様が勧める書物を読む。
日記や物語が多く、そういう書物もお持ちなのかと驚いた。

今日は萌黄色の布地に小花が散った可愛らしい打ち掛けを羽織っている。
簪はそれに合わせて、玉がついたものを選んだ。
それらは元就様が用意してくださったものだ。
どのような値段がついているのかは知らないが、元就様は糸目をつけずに買い与えてくださる。

元就様は忙しそうに書類を睨みつけては、何事か書いていらっしゃる。
そういうときは他の誰もが近づけない刺々しい雰囲気で、とても不安になった。

元就様がお味方の手にかかってしまうのではないか、と。

そういう問題に口出しする理由も権利もなく、
ただ元就様の横顔をちらちらと眺めて、また書物を読む。
時折眉間に皺を刻む以外に、元就様の表情の変化は無い。
ふと、元就様はお手を止めて此方を見る気配がしたので、私は書物から顔を上げた。

「以前お前は『生きているという表現が使えるかどうか怪しい』と申した。
 覚えているか?」

私は首を縦に振った。

「今はどう思う」

「私は、ここで生きております」

「何ゆえそう思う」

「私という人間が存在することを求める方が、
 傍に居てくださるからでございます」

元就様は首を傾げた。

「理由はそれだけか」

「それだけでございます」




「お前の行動の自由がこれほど制限されているというのに、か」




元就様のガラス球のような目がこちらを見ている。私は精一杯の微笑みを返す。

「行動の自由など、些細な事にございますれば」

「そんなものか」

「そんなものでございます」

元就様は机の上の書物をそのままに、こちらへいらして傍にお座りになった。
近くで見れば見るほど、感情の篭らない冷たい瞳だと思う。柔らかく冷たい視線。

「もうすぐ紫陽花が咲く。
 紫陽花は好きか?」

「はい」

「では、庭師に用意させる」

「元就様と見ることができるのを楽しみにしております」


手を取る。元就様の手は、視線同様とても冷たい。

「なぜ、我を怖れぬ。
 我はそなたの足を切った男ぞ」

「昔の話にございます。
 今は、誰より優しく接してくださいます。
 ですから、私はここで生きることが出来るのです」

「理解できぬ」

「理由はございませんから」

見つめ、口付け、抱きしめた。元就様が迷っていらっしゃるというのが判る。
今まで誰も、元就様に情を傾けた人間がいなかったのか、と疑問に思う。
若くして両親を失くしたことが原因なのだろうか。
こうして情を注ぐと、不安を感じていらっしゃる。

「ずっと、お傍におります」

「ずっとなどと、軽々しく申すな」

「では、私の命が途絶えるまで」

「その約束違えてみよ。
 我が殺す」

「どうぞ、元就様のご随意に」

縋るように、抱きしめる。
そうして、言葉にすることで自分が逃げ出せないようにしている。
雁字搦めに、縛り上げる。

元就様は容赦ない。
しかし、それは相手を信頼して任せた故、
裏切られたときの悲しみの強さの表れではないか、と思う。
誰も賛同してくれなくても良い。
ただ、私は元就様に囚われているのが幸せなのだから。