箱庭の姫君


私はしばらく待った。
が、元就様は輪刀を一向に動かす気配は無い。

「殺されないのですか?」

そう問うと、元就様は顔をゆがめた。

「誰だ、言え。
 そうすれば貴様の命は助けてやる」

「元就様らしくありませぬ」

「言わぬつもりか」

「言うべき人など思い浮かびませぬ」

「嘘を申せ」

「嘘ではございません」

沈黙が流れる。
元就様は一瞬たりとも視線をはずしてくれない。
これほど取り乱している元就様は見たことがない。

風に揺れてん庭の木々がざわめいた。
それ以外は完全な静寂。

「も、元就様……申し上げたき由がございます…!」

その静寂を破ったのは、庭師だった。
私がこの離れに入ってから、ずっと変わらず庭の世話をしている男である。
元就様はそこではじめて、視線をそちらに向けた。

「何用か。
 つまらん事であれば斬るぞ」

「その枝、私が頼まれて手折った枝にございます…!」

元就様は首を傾げた。

「それは真か」

「はい…搦め手の近くの桜から手折りましたゆえ、まだ真新しい跡がございましょう」

「誰の命だ」

「それは……」

庭師は言いよどんだ。
それを見た元就様は何事か思い当たったようで、
一度目を伏せて庭師に下がるよう命じた。
庭師は安堵と不安が交じり合った、微妙な表情をしていた。

よ、我がここを離れた後、お万はいつ戻る」

「すぐに戻るよう、言っております」

「そうか」

元就様はそのまま、離れを出ていった。
残された私は突然色々なことが起こったために、
驚いてしまってしばらく動き出すことができなかった。

「姫様…」

お万がそう声をかけてくれて、初めて震えが襲ってきた。

「まぁ、どうなされましたか!」

驚いた様子で、お万が近づいてくる。
怖かった。
本気の元就様の目が、あれほど恐ろしいものだとは。
鋭さが鈍ったいつもの目を見慣れていたせいだ。
昔はあの目にさらされていたというのに。

「貴様、それ以上に近寄るでない」

庭から元就様のよく通る声が聞こえた。
その声は怒気を孕み、氷よりも冷たかった。
元就様はいつよりも冷酷な視線をお万に注いでいる。

「元就様、おやめくださいませ。」

その光景はあまりにお嘉代のときと似通っていた。
いけない、いけない。
人が死ぬ所は見たくない。

「そっ首、我が落としてくれよう」

ぺたり、とお万はその場に座り込んだ。

「お許しくださいませ…」

可哀想に、声まで震えている。
元就様は縁側から部屋に入り、まっすぐお万に歩み寄った。

「元就様、早まる事の無きよう…」

「貴様程度の頭で我を騙そうとは片腹痛い。
 死をもってしても償いきれぬわ」

躊躇いもなく輪刀が振り下ろされた。
恐怖に引きつった表情のまま、お万は血を噴き出しながら倒れた。

「元就様…」

、お前もなぜこのような女に情けをかける。
 こ奴はお前を陥れようとしたのだぞ」

「私には、お万の命をどうこうできる権利はございません。
 それに、何ゆえお万なのですか?」

「知れたこと。
 お万がこの手紙の送り主だからだ」

事態が理解できない。
私の困惑の表情を見て取ったのか、元就様はため息をついた。

「あの庭師はこの庭の手入れだけをさせている。
 お万はこの離れの世話だけをしている。
 あの庭師がお万以外の人間とどう関わるというのだ。
 他の庭師ならば、自分で花を手折ろう。
 醜き性根の女よ」

道端に落ちている石ころを見るような目で、元就様はお万を見下ろした。
その表情には感情の欠片も見つけ出すことはできない。

「大事無いか」

「はい」

元就様は今さっきお万を殺した手で私の手をとった。
まだ恐ろしくて、少し震えた。

「この打ち掛けも汚れてしまった。
 新しい物を用意させよう」

元就様はうっすらと笑みを浮かべた。

「この部屋も汚れた。
 不自由させるが、今日は我の部屋に来るが良い」

あまりに驚いて変な顔をしてしまったかもしれない。

「不服か?」

「…いえ、そういう訳ではございません」

「連れてゆく。
 襟をしっかりあわせておけ。
 汚れる」

元就様は膝をつき、抱きあげてくれた。
思ったよりも安心感がある。

倒れるお万を見た。
恐怖に引きつったまま、見開かれた目は虚ろに天井を見つめている。
いつお万の場所に自分が居ることになるのだろうか。

元就様の顔を見上げた。
端正な顔をまっすぐ前に向けて歩いている。

「我の顔がどうかしたか」

元就様は立ち止まり、私を見下ろした。

「元就様は、ご家族がお亡くなりになったとしたら、どうお考えになるのですか」

「後を埋める者を探す」

怪訝な顔をして、即答した。

、我に断りも無く死のうなどとは思うな」

「…はい」

その答えで満足されたとは思えないが、元就様は歩き始めた。
その方が無駄が無いと思ったのだろう。

久しぶりに出た外の世界はとてつもなく広く、怖かった。
不安になった私は、元就様の胸に寄りかかった。
心臓が動く音が聞こえた。

元就様も愛情を持っていらっしゃる。
愛してくれているのだと思うと嬉しくなる。
どれほどの屍と引き換えに注がれる愛かは知らない。
でも、とてつもなく幸せだと思う自分は罪深い。