姫若子の宝物


一晩何か方策が無いかと考えたが、良い案は思い浮かばなかった。
動揺しているのだから無理もない。
そのまま諦めずに考えていたことがその証拠だ。
寝不足の眩々する頭のまま城に向かった。

二日連続で城に来るのは珍しい事なので驚かれたが、
は自分の席について頭を抱えた。
一応城に出てきてはみたが、する事は殆ど無い。

とて戦は好きではない。
しかしこのまま半兵衛が提示した条件で豊臣に行っては、
四国に戻ってきた意味が無い。
しかも、彼が約束を守るとは限らない。
これで反故にされた日には立つ瀬が無い。

さん、二日酔いっすか?」

「うん、まぁそんなとこ」

誰にも相談は出来ない。
きっと、「豊臣なんか、アニキの敵じゃねぇ!」とでも言うだろう。
元親ならあるいは、秀吉に敵うかもしれない。
しかし、彼の仲間達はどうなるのだろうか。
豊臣軍は精鋭揃いと聞く。無傷では済まない。

「水、飲みます?」

「いや…散歩してくる」

は逃げるようにして部屋を後にした。
今は誰の顔もまともには見れない。

倉庫を離れて、は城の中をうろうろ歩き回った。
小さい頃はとてつもなく大きな城だと思っていたが、
今では随分小さく感じてしまう。
門も塀も、昔ほど高くも大きくも無い。

昔はそこかしこに立っている兵士の一人になりたかった。
武芸の腕だって筋が良いと褒められていたし、
何より女らしい事は何一つ好きではなかったからだ。
兵士の一人になって思うのは、
やはり町人にでもなってしまえば良かったという事だ。
そうすればこの身にまとわり付くしがらみの一つくらいは減るだろうに。

長曾我部軍らしい紫色の羽織を羽織っていると誰もを見咎めない。
これでは警護している意味が全く無いが、
今日はその恩寵に預かることにして報告は後日に、ということにした。

小さい頃元親が暮らしていた母屋の方へ行ってみる。
そこは小さい頃のも大半の時間を過ごした場所でもある。
あまりに懐かしくて、つい笑みが零れた。

庭にこっそり入ると、昔と何も変わっていなかった。
同じ場所に同じ木が生えているし、
建物だってのおぼろげな記憶と変わるところが無い。
違うところといえば、その木が記憶よりも大きくなり、
周りを囲う塀が古くなってしまったことくらいか。

「懐かしいな…」

思わず呟く。
そういえばこの木に昔は登ったっけ。
見事な枝ぶりの桜の木は、塀にもたれかかるようにして生えている。
そのため、傾斜がついて上り易いのだ。

「お前、誰だ?」

不意に後ろから声をかけられたので、は弾かれたように振り返った。
ああ、神様は何と酷いことをしてくれるのだろうか。

そこに居たのは弥三郎――…元親だった。

反射的に逃げ出そうと走り出したが、
連日設計図とにらめっこばかりしていたと元親では体力に差がある。
すぐに腕を掴まれ、捕らえられた。

「……じゃねぇか!」

驚いて片方だけの目を見開いている。
驚いたのはの方である。

「離せ!」

「お前、やっぱり生きてたんだな!
 滅機のってのもお前だろう?」

「人の話を聞け!」

ははは、と元親は豪快に笑っている。
姫若子とは違い、鬼は人の言葉に耳を貸してくれないようである。
殴ってやろうと顎を狙って左ストレートを打つと、
その手も軽々掴まれてしまった。

「変わらねぇなぁ…はは、お前、俺より強かったしな!」

「……弥三郎は随分と変わったようだな」

「へへ……懐かしいじゃねぇか、その名前」

「まず、手を離せ」

「逃げねぇって約束してくれるか?」

「あぁ。
 だから、痛いから離してくれ」

「おっと、悪ぃな」

ぱ、との腕を掴んでいた手を離した。
元親の手の形が赤くくっきりと残っている。

「何で帰ってきたって言わねぇんだ?
 すぐに宴会でも開いてやったのに」

「十年ふらふらして、普通に帰ってこられるほど面の皮は厚く無いんでね」

「ま、終わったことをグダグダ言っても仕方ねぇ。
 そうだ、今晩暇かい?
 今日は丁度良く満月だ。
 月見で一杯と洒落込まねぇか?」

随分口も回るようになったものだ、といらぬ感慨に耽ってしまった。

「……私は暇だけど、弥三郎は暇じゃないだろう?」

「俺?
 何言ってやがんだ。
 が帰って来たってのに、予定も糞も無ぇよ!」

肩を力強く叩いてくれる。
痛くてならない。

「それに俺はもう弥三郎じゃねぇ。
 長曾我部元親ってぇ名前になったんだぜ」

「知ってるけど、慣れないし」

「慣れてくれよ、俺は元親だ」

「……元親」

「上出来だ。
 よし、じゃ日没にあすこの、俺等が遊んでた部屋に来い。
 十年間の長話、きっちり聞かせてもらうぜ?」

昔は自分が遊んでやる、というのを待っていたのに。
いつの間にこんなに強くなったのか。
聞いてはいたが、やはり間近で見ると全く違う。

「本当に、変わったな」

「……十年は長ぇよ。
 じゃ、野暮用済まして待ってるぜ」

一瞬、元親の顔に表れたのは悲しみか痛みか。
ともかく、暗い影が差したのだった。