姫若子の宝物
「飽きないね、あんたも。」
不機嫌を隠そうともせず呟いてやったつもりだったが、
半兵衛はまったく意に介さない様子で返してきた。
「労力に対して得られるものは多いからね」
は舌打ちしてやったが、半兵衛が懲りる様子は無い。
「しかしながら、残念ながら僕も全く暇というわけじゃないんだ。
……君と分かれるのは名残惜しいけどそろそろ帰らせてもらうよ」
「はいはい、さっさと帰れ」
半兵衛は持ってきた包みを置いて去っていった。
どうせ、中身は女物の髪飾りの類だろう。
は女の服があまり好きではない。
そもそも、何故女の帯はあんなに太いのか。
別に袂が開いていようが閉じていようが構わないが、
帯が太いのは動きにくくていけない。
半兵衛の包み(既にいくつあるか判らない)を適当に棚の上に積み上げ、
書架から仁王車の設計図を引っ張り出した。
半兵衛が来るとやる気が無くなっていけない。
文机の上には新しい船の構想が書きなぐられている。
それを読み解けるのは今のところ
ただ一人なので、
もう少しきちんと書いてやらなければ設計図としての用を為さない。
弥三郎――…元親のもとを離れ、
は色々な戦に参加した。
女ではあったが、武家の嗜みにと武芸は身につけていたし、
運が良かったこともあって死ぬようなヘマはおかさなかった。
うろうろと四国や九州を巡っているうちに、からくりに出会った。
機械仕掛けで動くからくりはとても魅力的で、
その構造を理解したいと強く願うようになった。
運良く見つけた師匠の元で数年、
は勉強に明け暮れた。
漸く人並みに身につけたときには既に十年の月日が流れ、
四国は元親が統一し、彼は姫若子から鬼若子へと変貌していた。
一応四国へ戻ってはみたものの、家は既になくなっていた。
十年の間に何があったか知らないが、ともかく
は帰る家をなくしていた。
元親に合わせる顔も無かった。
しかしほかに行くところも無いので、
自分の知識が最大限に生かせる整備士として長曾我部軍に入った。
既に開発されていた仁王車に続き、
設計の段階で
が少しだけ携わった木機、
構想の段階から関わった滅機が長曾我部軍の一部となった。
今考えているのは、大筒が搭載された戦艦である。
海上の戦を得意とする長曾我部軍がより有利に戦えるように、
鉄で装甲を施した大きな船が必要だと思ったからだ。
もし
の考えている規模で船を作ることが出来れば、
場合によっては海から城を簡単に落とすことができるだろう。
海上から大筒が放たれるとは考えていないだろうし、
最新式の大筒の威力などまだ誰も知らないのだから。
しかし、機動力が劣るのが難点である。
大きく重くなったのが今までの帆船との差である。
機動力をどう上げようか。
三台ある大筒を一つ取り去ってみようか。
馬鹿な、と笑う。
大筒を三台も乗せるというのが本来の目標である。
減らすなどというのは本末転倒だ。
滅機の設計の最終チェックが明日ある事を思い出した。
だが、眺めていたのが仁王車の設計図だったので、
どれだけぼんやりしているのかと舌打ちした。
次の日、欠伸をしながら家を出た。
が住んでいるのは一応一軒家で、小さな庭がついている。
庭の手入れをするつもりは毛頭無いので、
野趣溢れるという形容ですら勿体無い風情である。
が向かったのは城の中でも、元親が居る天守閣ではなくもっと端にある、
整備士が集まっている建物である。
そこは重機を保管している倉庫に付属する建物で、
作り自体がぞんざいである。
中は書物が乱雑に積み上げられ、慣れない人間が入ると一度は雪崩が起きる。
「おはよう。」
徹夜している人間もざらにいるので、挨拶はいつも「おはよう」だ。
「おう」という、長曾我部軍の中ではかなりローテンションな返事が返された。
「
さん、遅いですよ!」
一人がそう言ったので、
は苦笑した。
「悪い、何かあったか?」
「…いえ、まぁ、何も。
滅機なんですけど、あれやっぱりあのままで大丈夫だと思います」
「それは皆の一致か?」
「はい」
「なら、良かった。
今はもう製造に入ってる?」
「……はい」
「そう、なら問題ないだろう」
「設計した人の了承は取ってないっすけどね!」
そう言って、男はくしゃりと顔を歪めた。
「良いじゃないか、だって、私が居ても会議の流れは変わらない。
私だってミスが無いように前から調べてたんだから」
「アニキだって、顔が見たいって言ってたっすよ!」
「どんな不細工で偏屈な女かって?」
「
さん!」
ははは、と笑いながら
は会話を打ち切って自分の席についた。
平素から家で作業しているので、他の人間の机に比べ格段に整理されている。
弥三郎――…元親は本当に「顔が見たい」と言ったのだろうか?
「どの面下げて帰ってきたのか見てみたい」ならまだ判るが。
そう言われても仕方がない理由が
にはある。
そもそも、何と呼ぶべきなのか判らない。
もう弥三郎とは呼べないし、元親様では笑ってしまいそうだ。
元親なんて呼ぶほど親しくもないし、
アニキなんて呼べるようなほど昔を知らなくも無い。
悩むのが嫌で、どんどん先延ばしにしてきた。
もう弥三郎と呼ぶには遅く、元親と呼ぶには遠すぎる。
四国から逃げ出してからくりの知識を手に入れる代償に、
は元親との関係性を差し出したのだ。
そういう取引だったのだと自分に言い聞かせて、
滅機の設計図を引っ張りだして箙に丸めてつっこんだ。
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