風の嫁取
は厨に居た。
一人で居たのではなく、
早川殿と甲斐姫と三人で並んで座っていた。
目の前には五種類の茶菓子が並んでいる。
三人居るので合計十五個の茶菓子があった。
「――…いかがでしょうか?」
料理人が緊張した面持ちでたずねる。
「うん、とっても可愛い」
早川殿の言葉にほっと胸をなでおろした様子である。
三種類の茶菓子はそれぞれ季節の花をかたどった見た目をしており、
どれも食べるのがもったいないような出来栄えである。
「私もお菓子作りはするけど、
ここまではちょっと無理だわ……」
甲斐姫がしげしげと菓子を眺めている。
うんと可愛いお菓子に、という注文をつけたのは彼女である。
料理人の努力が彼女の予想を超えたということか。
二人が意見を述べたので、自然と三人目の
に視線が集まる。
何か言わねば。
も菓子を眺めた。
見た目は完全にかわいらしいお菓子である。
ひょい、と桔梗の花をつまんで口に入れる。
餡子の柔らかな甘みがふわりと広がる。
「とてもおいしいです」
「あ、ずるい!」
甲斐姫の言葉に早川殿が笑った。
「お菓子は逃げないわ」
「逃げないけど、ああ、でも、やっぱり勿体無い気がする!!」
頭を抱える甲斐姫に、料理人の顔も綻んだ。
「ぜひ召し上がってくだせぇ」
何故三人でこうして茶菓子を食べているのかというと、
五日後に女衆の慰労会を開こうと早川殿が言い出したからであった。
戦の後、戦地から戻ってきた兵士達をねぎらう宴を開く。
その席を準備するのは城に残っていた女衆である。
しかし、城に残っている女衆がずっと遊んでいた訳ではなく、
兵士となって出て行った男手の分まで働き、
そして宴の準備をするのである。
彼女らも働き通しなのである。
それを労う会を開きたいと早川殿が提案し、氏康は彼女に一任した。
現在三人は、
女正月のようなその催しで出す茶菓子の品評会を開いている、
という訳である。
「うーん、どれも美味しいから迷っちゃう……」
幸せそうにため息をつく甲斐姫である。
早川殿も真剣に悩んでいる様子である。
は少し悩んでから朝顔のつぼみを模したひとつを指差した。
「これも見た目が涼やかで良いですね」
料理人は「ありがとうございます」と頭を下げた。
「紫陽花も私は好きだわ」
「私は金魚が乗ってたの、すごく可愛いと思うんだけど」
どうしよう、と顔を見合わせる。
「ここは責任者様のご意見で決まりじゃない?」
甲斐姫の言葉に早川殿が首を振る。
「二人の意見が聞きたいから呼んだんだもの」
「ですが、意見がまとまるとは……」
の言葉に沈黙してしまう。
「五種類全部となるとちと難しいですが、
三種類なら何とか致しましょう。
姫様方のご希望とあらば、手を尽くしますよ」
料理人の言葉に、顔が明るくなる早川殿と甲斐姫である。
「では、紫陽花と金魚の二種類でお願いします」
「
!
あんた、またそういう……」
甲斐姫が戦場で出すような声で言うので、
目の前の料理人がびくりと体をこわばらせた。
「やっぱり欠席するつもりなのね?」
早川殿が悲しそうな声で言う。
料理人は拙いことを言ったとでも思ったのか、顔色が悪い。
「北条家の姫としては参加致しません。
桔梗も、青い楓も夏らしくてとても良かったです」
は料理人に微笑みかけ、席を立つ。
「席はちゃんと用意しておくからね?」
早川殿が声をかけてくれたが、
聞こえない振りをして
は厨を後にした。
は早川殿の言う“家族”の一員である。
関東に住む人間全員という広い意味でも勿論含まれるが、
氏康を当主とする北条家の人間という狭い意味でも
は家族である。
血のつながりは無い。
氏康が親を失った
を養子にしたのだった。
記憶にある限り、
は北条家のほかの姫と区別されたことは無い。
同じように育てられてきた。
可愛がってくれている早川殿とは雛遊びをしていた記憶がある。
甲斐姫と庭を走り回って、同じように怒られた記憶もある。
長じるにつれてその境遇が非常に恵まれたものだという自覚ができた。
他家に出される武家の子どもといえば大抵は人質であり、
教育を施されたりはするものの、
実子と同じように扱われることは無い。
そこには人質を取る側と取られる側という、
厳然たる家格の差があるからだ。
最近はその姫扱いに居心地の悪さを感じている。
自分は姫ではないと自覚すると、
家族だからと優しくされることも申し訳なく感じる。
はため息をつきながら、
練兵場に兵士に槍でも教えに行くことに決めた。
そこならば、北条家の人間に出くわすことが少ないからである。
「ずっとあんな調子なの」
早川殿のため息に、甲斐姫もつられてため息をついた。
料理人にはとりあえず三種類用意してもらうようお願いし、
今は二人で早川殿の部屋で作戦会議である。
「誰かから何か言われたとかなら、
私が代わりにぶっ飛ばしてやるんだけど」
「そんな人居るかしら?
今までずっと普通だったのに……」
「あのオバケとか」
オバケ、すなわち伝説の忍風魔小太郎である。
肌色とは別機軸の色味の肌と、燃えるような赤毛の大男である。
彼は混沌がどうのと常日頃から口にしており、
北条の中で一番信頼がおけない種類の人物である。
「もしそうだとしたら、
とうの昔に私たちも何かいらない事を言われてる気がしない?」
「確かに」
二人して二度目のため息をつく。
今回のお茶会も、
戦以外のことに顔を出さなくなった
を巻き込みたい、
という早川殿の裏の目標も設定されている。
氏康にもそれは伝えてある。
「相談してくれたら良いのにね」
「うん、大事な家族なんだもの」
そう言って励ましあったものの、
解決の糸口はまったく見つからないのであった。
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