lost


が北斗神拳の道場に居座る理由は、
リュウケンに恩を感じ、そして身を案じているからだけではない。
北斗神拳の伝承者が誰になるのか、
結末を見届けたいという好奇心も多分にある。

四人の伝承者候補の中でも最も凡庸だと噂されているジャギでさえ、
の目から見ると超人のレベルである。
リュウケンがどれほどの超人なのか分からないが、
あのラオウを押さえつけるだけの力量がある訳である。
とにかく全員種族が違うのではないかと疑ってしまう。

そして、その四人のうちジャギ以外の三人が想いを寄せるユリア。
南斗の宗家の娘である彼女もまた超人の一人である。
家柄も良く、容姿端麗で、誰からも好かれる性格をしている。
彼女の護衛として時折姿を見せるフドウという大男が居るが、
ラオウですら恐れる彼もユリアのことを保護者として溺愛している。
そのユリアが選んだのがケンシロウである。

ユリアに関してラオウはまだ諦め切れていないようだが、
トキは悟りを開いたかのような受け答えをしてくれる。
見守るだけで良いなんて、意味が分からない。
ただ、傍目にもユリアとケンシロウは仲睦まじく幸せそうで、
心温まる様子であることに異論は無い。
彼らが結婚するのを見てみたいな、とも思っている。

ケンシロウとトキが去った厨房でパン生地をちぎっていると、
珍しく来客があった。

「お、これは焼きたてが食べられる感じ?」

超人の一人、ユリアの異母兄であるジュウザである。
リュウケンからそう聞いた。

「ユリアが来るのは午後からですよ?」

「パンは?」

「……パンはこれから焼きますけど」

「ラッキー!」

彼が現れるのは、伝承者候補達が修行で居ないときだけである。
以前からそうやって忍び込んできているが、
彼が現れるのはユリア来訪の前後数日の間なので、
過保護な兄なのかと思っていたが、
そうではないことは薄っすらと感じている。

「今日ならトキとケンシロウが道場に居ますよ」

「ふーん……あれ、これだけドライフルーツ入り?」

「……自分用なので触らないで下さい」

「俺のも入れてよ」

「ジュウザさんのはありませんよ?」

「作ってよ」

睨みつけると、ジュウザがニコニコと笑っている。

「駄目?」

駄目に決まっている。
バターも卵も、小麦粉も手に入りにくくなっている。
それにドライフルーツも家事労働の対価に貰っている給料から買った。

「駄目です」

「眉間に皺出来てるよ。
 そんな顔してたらトキに嫌われるぞー」

「は?」

「だって、好きだろ?」

はもう一度ジュウザを睨みつけた。
ジュウザは先ほどよりも意地の悪そうな笑みを浮かべている。

「違います」

「無理しちゃ駄目だって」

ああ、もう、腹の立つ。
パンにストレスを叩きつけようとしていたのに中断してしまったし、
ジュウザに絡まれるし、
散々な日だ。

「私よりユリアさんに頼んだら良いんじゃないですか?
 お優しいですからきっと作ってくれますよ。
 今日は午後から来ますから。
 好きなんでしょう?」

意趣返しのつもりでそう言うと、
反撃を予想していなかったのかジュウザは驚いたような顔をして、
そして傷ついたような顔をして、
それらを隠すように笑った。

「そりゃあ、可愛くて優しいユリアだから」

痛々しい空気になってしまった。
拙かった。

「……このパンには私の恨みつらみが込められていますけど、
 それでも良ければ一つお分けしますよ?」

そう言って意地の悪い笑みを浮かべてみると、
ジュウザは「それでも頼むよ」と言った。
その笑顔にぎこちなさはほとんど無くなっていた。

言われなくてもわかっているのだ。
自分はトキが好きだ。
好き、というのは少し違うのかもしれない。
トキという超人に憧れるファンの一人に近い。

「そこの糞野郎がさあ――…」

オーブンにパンを入れてから、
ジュウザはお茶を片手に旅の物語を聞かせてくれる。
昔からそうだ。
以外の人間が来ないと分かっているのか、
だらだらと寛いでいる。

迷惑な客ではあるが、能天気な旅の話を聞いているのは楽しい。
一人で過ごしていると自分の凡庸ぶりが嫌になってくるが、
ジュウザが居るとそんな暇が無い。
彼がユリアの痕跡を辿り、
彼女が選んだケンシロウの面を拝んでやろうと思いつつ、
それでも彼女が選んだケンシロウに出くわすことに怯えつつ、
こうしてに話を聞かせてくれるのだと知っていても。

ジュウザは焼きあがったパンを食べ、
良いだけ喋り倒して去っていった。
彼が去ったのではユリアがそろそろ到着するのだな、と思った。
時計を見ると、針は正午よりも少し早い時刻を指している。

(少し早かったな)

ジュウザにユリア到着の時刻を確認したほうが正確かと思うが、
彼は気まぐれに立ち寄るだけなので、
こちらから事前に確認することが出来ない。

「良い香りだな」

と、トキがひょっこりと現れた。

「お昼にする?」

「パンは焼きたてなのかな」

「朝とかぶるけど、食べる?」

「ああ。
 ジュウザが来ていたのか?」

「うん」

「きちんと会ってみたいのに残念だ。
 それにパンも先に食べられてしまったようだし」

トキが肩をすくめる。
は彼がトキに何を言うのか分からないので、
出来るだけ会ってほしくは無い。
同じように、トキもと一緒にユリアに会いたくは無いだろう。

「まだちゃんとあるから」

はそう言って笑いながら、
ドライフルーツ入りのパンをトキの前に出した。