lost


「うぐ……っ!」

普段は無表情なリュウケンが顔を顰め、胸を押さえている。
は慌てて駆け寄った。

「大丈夫?」

「暫くすれば治まる……心配ない」

禿頭に脂汗を滲ませ、リュウケンはゆっくりと近くの椅子に座った。
は慌てて水を運んできてリュウケンに渡した。

「すまんな」

「何言ってるの」

が笑ってみせると、
痛みが引いてきたのかリュウケンも僅かに口角を持ち上げた。

養父リュウケンは北斗神拳の伝承者である。
が孤児になったところを拾ってくれた恩人である。
北斗神拳の道場にはそうした孤児が数人居たが、
皆それぞれの目標を目指して出て行ってしまった。
はリュウケンの世話をしながら居座っている。

そのリュウケンが病を得たと知ったのはつい最近のことで、
彼はずっと不調を隠し続けてきたらしい。
北斗神拳の技で抑え込んでいるからなのか、
こうして痛みに耐えていると分かるのはごく僅かな回数である。

「……早く伝承者を決めて隠居すれば良いのに」

が唇をとがらせると、
リュウケンは深いため息をつくだけで何も言わなかった。

伝承者候補はラオウ、トキ、ジャギ、ケンシロウの四人居る。
特にラオウは強い。
それは素人目にも明らかだが、
最近はリュウケンと意見が対立することも多いようだ。

その点、トキは他人と衝突することが無い。
技量はリュウケンや他の伝承者候補の口ぶりからも十分なようだし、
ラオウが嫌ならばトキにすれば良い。
何を迷うことがあるのだろうか。

「お前は他人の将来を心配する前に、自分の将来を心配することだ」

リュウケンがいつものしかめっ面でそう言ったので、
は思い切り嫌そうな顔をしてみせた。





人の親切を無視するような養父の発言に対する鬱憤を込めて、
は翌日の朝からパンをこねていた。
昔居た拳士に教えてもらったもので、
ストレス発散に最適だと最近はよく作っている。

(心配するなっていう方が無理でしょうが!!)

思い切り生地に拳を叩きつける。
リュウケンには感情という物が無いのだろうか?
物心つくよりも前に死んだ両親のことよりも、
育ててくれたリュウケンの方がよっぽど親と呼ぶに相応しい。
だからこそ心配しているというのに、
その気持ちが伝わっているのかいないのかすら分からない。

、あまり思い切り叩くと怪我をしてしまうぞ」

声をかけられて振り返ると、
苦笑いを浮かべたトキが立っていた。

「そんな馬鹿力じゃない」

「そうか?」

ふんわりと笑って、トキは近くに置いてあった椅子にかけた。
見られていると思い切り拳を叩きつけることもできない。
どうやってトキを追い払うかを考えながら、
はしばらく大人しくパン生地を捏ね、
そうして漸く一つ考え付いた。

「ユリアが来るんじゃなかったかな、午後から」

「そうなのか?」

顔を見なくとも、声に喜色が滲んでいる。

「何かプレゼントでも用意してみたら?
 私はケンシロウよりも断然トキを推すんだけどなぁ」

ちら、と様子を盗み見てみると、
トキはこらえきれない様子で笑い出した。

「いくらが推したといっても、
 ユリアはケンシロウを選ぶだろう。
 私は二人が幸せに暮らしてくれればそれで良い」

「ええー……そんなに無欲にならなくても。
 前から思ってたんだけど、
 トキに必要なのは押しの強さじゃないかな」

、人をけしかけるのはやめてくれないか」

「そんなこと無いよ?」

は軽めに生地を台に叩きつけた。
やはり誰かに見られていると全力で叩きつけることが躊躇われる。

「それはそうと、朝食は自分で用意した方が良いかな」

時計を見ると、思ったよりも時間がすぎている。

「はいはい」

は生地をボウルに戻し、朝食の準備にとりかかることにした。
作っていたのはストレス発散用であり、
朝食のタイミングを考えて既に一度焼き終えている。

朝稽古をしているのはトキとケンシロウくらいで、
ラオウとジャギはここのところ不在がちである。
ケンシロウはユリアが来るとなると気もそぞろなようで、
実質真面目に修行をしているのはトキだけである。

は珍しく手に入ったベーコンのブロックを出した。
薄切りにしてフライパンに放り込み、
様子を見て朝から取ってきた卵を上に乗せる。
その間に適当に取ってきた野菜を洗って皿に盛り付ける。
表面の色が変わる程度に温めたパンにバターを塗って、
ベーコンと目玉焼きを乗せてトキの前に出した。

「コーヒーで良い?」

「ああ、ありがとう」

パンにかじりついているトキの横で、
カップにインスタントのコーヒーを作る。
見ているとお腹がすいてきたので、
もパンを温めてバターを塗った。

「それだけなのか?」

「うん。
 ……ああ、後でつまみ食いするからね?」

トキがをじっと見ている。

「嘘は良くない」

まだ綺麗に一枚残っていたベーコンをフォークで刺して、
トキはの皿に乗せた。

「もっと早く言わないから」

「トキと同じだけ食べてたら、肥りすぎて動けなくなるもの」

が顔を顰めると、トキは笑った。
分けてもらったベーコンまで食べ終わる頃にケンシロウが現れたので、
トキと同じように朝食を用意した。

リュウケン用にはもう少し消化に良さそうな、
野菜中心の和風の朝食を用意する。
それが好きらしい、と言うと二人はそれ以上追及してこない。
彼らはリュウケンが病を抱えていることに気が付いているのだろうか。