spectrum


ときはまだ、最終戦争が近づいていた頃のこと。

「おーい、ー!」

遠くから野太い声が聞こえて、
は顔を上げた。
村の周囲を哨戒してきたフドウが帰ってきたらしかった。

「あ、お父さんだ!」

周りに居た子ども達は一斉に飛び上がり、
声のした方へ走っていく。
もゆっくりと立ち上がり、それに続いた。

門を入ったところで、
子ども達にかこまれて立ち往生しているフドウの姿があった。
特別大柄な彼の周りに子どもが群がる様は、
いつみてもほほえましい。

「ああ、みんなただいま。
 良い子にしてたか?」

フドウはその大きな手で頭をなでてやったり、
肩に乗せてやったりととにかく忙しそうだ。

「おかえりなさい、父さん。
 お留守の間はみんな良い子でしたよ」

笑いながらが報告すると、
「それはよかった」とフドウは破顔した。

「何かあったんですか?」

「久しぶりに皇帝の街に行かねばならんのだが、
 一緒に行こう。
 久しぶりにもシュウに顔を見せてあげてはどうかと思ってね。
 頼まれてもいるんだ」

うえ、とは変な声を漏らした。

「私よりもこの子達を連れて行ってあげてください。
 皆外を見てみたいって……」

「ここに来てから、は村からぜんぜん出ていない。
 外に出る練習もしなくては」

村の周囲を見回りに行くなどといいながら、
彼は誰かと会っていたのだろうか。
別に断る理由も無いので、意地になるのも妙な気もする。

「そうですね、ご一緒します」

「良かった。
 お願いしたい買い物もあるので、それもついでに頼んでおこう。
 急だが、明日出発だ」

フドウはそういって、子どもたちと同じようにの頭をなでた。
うれしいような、恥ずかしいような、くすぐったい気持ちになる。

「いいなー、さん。
 僕も行きたーい」

フドウの肩の上に座っていた一人が、むう、と唇を尖らせた。

「行くときは、お前たちみんな一緒に行こうな」

誰に対しても平等で、やさしくて、理想的なお父さん。
が最初に出会ったときから、フドウはそんなだった。
彼に引き取られてからというもの、
は元の両親のことをすっかり思い出さなくなっていた。






次の朝、は大きな荷台がついたトラックを出してきて、
フドウを積んで村を出発した。
荷台には幌がついているので、雨でも風でも大丈夫である。
運転手はと、フドウの部下の兵士一人である。
の鞄の中にはフドウに頼まれた買い物のリストと、
それら全てを購入しても随分余るほどのお小遣いが入っている。

(みんなにおやつでも買って帰ろうかなあ)

はぼんやりとそんなことを思いながら、トラックを走らせた。
道路は整備されているとは言いがたく、
ときどき穴が開いている。
戦争に向けて世界が動いている中で、
こんな道路に金を回す余裕はどこにも無いのかもしれない。

丸一日車を走らせて、皇帝の街に到着した。
フドウの部下は街の中でも比較的高級な住宅街にトラックを進めた。
その辺りには、厳重な警備が敷かれた邸宅が多く、
瀟洒な建物を囲う塀は、の背丈よりも随分と高かった。
物騒なのかもしれない。

フドウは南斗の中でもあまり知られていない集団に属しており、
その伝手で家をひとつ借りているということだった。
彼が戦う姿は想像できないが。

トラックは一軒の平屋建てのお屋敷の敷地に滑り込んだ。
平屋建てとはいえ、フドウでもらくらくと立っていられるような、
十分な高さがある。
ここに子ども達が来たら、と考えるとは笑ってしまった。
きっと家政婦さんひとりではどうにもできないくらい荒れるだろう。
荒れるだろうけども、生活の臭いは出るかもしれない。

屋敷には管理人と家政婦が一人ずつおり、
住み込みで働いているそうだ。
彼らにトラックを預け、
フドウとともに徒歩で、
街中にある南斗聖拳の人々が集う建物を目指した。

「お金が残ったら、好きなもの買っても良いですか?」

が歩きながらフドウに問いかけると、
「もちろん」と頭上から返答があった。

「今日はにお手伝いしてもらうんだから
 自由に使うと良い」

「良かった。
 お土産にお菓子を買うつもりなんですけど、
 つぶさないでくださいね」

そう言うと、少し間があいて、の頭を大きな手がなでてくれた。
豪快な笑い声に、周りをあるく人達がぎょっとした様子でこちらを見る。

「やさしいなあ、は。
 残りのお金は自分のために使いなさい。
 お菓子はこの父が、
 命に代えても用意しておこう」

その一言で、お土産計画は振り出しに戻ってしまった。
それでも、ほめられてうれしい気持ちの方が大きい。

「では、ここで。
 シュウには伝えてあるから、
 部屋に直接行きなさい」

「はーい」

なにやら別の所に用があるらしいフドウと別れて、
はやたら立派で大きな入り口をくぐった。

内装も、装飾の多い、なんだか実用的でない様子ではあった。
子ども達の世話をしてきたせいか、
掃除のことばかり頭に浮かんで非難がましくなってしまうが、
大理石のタイルなどを見ると、
汚れや痛みが気になってしまう。

そんな中は拳士たちがうろうろしていて、
外よりも格段に男くさい。
デコラティブな内装とあいまって、
なんだか別な空間に紛れ込んでしまったようである。

は記憶を頼りにシュウの部屋を目指した。
南斗六聖拳の一人である彼には部屋が与えられており、
そこに居るということなのだろう。

男くさい空間であることを知っていたので目立たぬようにパンツにしたし、
上もゆったりとしたシャツにしたのだが、
それでも筋骨逞し過ぎる人々の中では浮いてしまう。
足早に廊下を突っ切って、シュウの部屋のドアをノックした。

「はい」

落ち着いた、低い声が返ってきて、
は一人でにやりと笑った。
ドアを開けると、中で優雅にお茶を飲んでいるシュウが目に入った。
おつきの人も一緒にお茶を頂いているあたり、
彼らしいゆったりとした空気が部屋には満ちていた。
その隣にはシュウの子の、シバも座っている。

「久しいな。
 まあ、座りなさい」

シュウはソファのひとつをに勧め、
おつきの人はきびきびとカップを用意してくれた。
はその席について、出されたお茶菓子をつまんだ。
水も食料も貴重になってきているというのに、
ここだけはまだ戦争の気配が感じられない。

「随分大きくなったな。
 フドウのところの居心地はどうだ?」

「すごく良い。
 父さんは優しいし、子どもの世話も上手くなったんだから」

シュウは目が見えないはずなのに、の方に顔を向けて話す。

「それは良かった」

無理やりに習わされた拳法の道場で、
唯一やさしく接してくれたのがシュウだった。
彼には敬愛とも、尊敬とも、言葉で説明できない、
大好きな兄のような存在だ。

「フドウはとても困っていたようだったぞ?」

「……え?」

「他の子どもたちはまだ小さいだろう。
 娘を嫁に出したくない父の気持ちを、
 こんなに早く味わうなんて、とな」

ははは、と笑ってシュウはお茶を飲んだ。
おつきの人も、にこにこと笑っている。

「やめてよ、もう。
 で、何かあったの?」

「そうそう、にお願いがある。
 そろそろシバにも拳法を教え始めたいのだが、
 いかんせんまだ小さい。
 そこでしばらく君に預けたいのだ」

はシバを見た。
シバは年の割りには落ち着いた子で、
静かにお菓子を食べていたが、
と目があうとにっこりと微笑んだ。

「私で良いの?」

「ああ、是非お願いします」

シュウがそういって、頭を下げた。
はその姿を見てから、シバを見た。
シバは困ったような、でも、無理は言いたくないという風な、
なんとも子どもらしくない分別くさい顔をしていた。

「…シュウの頼みは、断れません。
 がんばります」

「良かったな、シバ。
 は無駄の無いきれいな動作をしているから、
 しっかり覚えなさい」

シバは初めて、子どもらしい満面の笑みを浮かべた。

「ありがとう、さん!」

「悪いな。
 私が教えれば良いのだが、最近忙しくなってきてな……」

ふ、と世が乱れつつあるのだ、ということを思い出した。
そういえば、この部屋だけが特別平穏な時間が流れていたのだ、

「形だけとかなら、まだ大丈夫……だと思うんだけど」

そこから鍛錬の時間を決めたりした。
フドウの村に帰るのは随分先になりそうだったが、
彼も承知でをつれてきたのだろうし、
それはまた後で知らせれば良いだろう。

その後、用があるというシュウ達と別れて、
一人で廊下をうろうろした。
稽古場がいくつもあり、
拳法を真剣に学んでいる人々がいた。
そんな様子を見て歩いているうちに、
現在地が今一分からなくなってしまった。

(困ったな…)

はその昔、シュウと一緒にこの建物を訪れたことがあったが、
それ以外で来た事はほとんど無い。

適当にぐるぐる歩いていると、
途中で見た裏庭に出た。
傾いた日の光を、噴水が反射してとても美しい。
裏庭なんぞに誰も興味が無いのか、人気も無い。

噴水自体の彫刻も美しいが、
庭の植物の手入れもまた、見事である。
水が貴重なこのご時勢に、
贅沢ではあるがすばらしい景色ではある。

(……ま、いっか)

手すりを乗り越えて庭に降りて、噴水のヘリに腰を下ろす。
たっぷり景色を堪能しつつ、気持ちを落ち着ける。

辺りを見渡して、ようやく進むべき廊下を発見した。
どうも、場所がわからなくなって動転していたらしい。
来た道を戻ればよいのだ。
とりあえず、シュウの部屋へ。
明るいうちに帰らないと。

よし、と立ち上がったところで、廊下を歩いてきた一人の男と目が合った。
著しく目つきが悪い。
額にあるのは飾りなのか、ほくろなのか。
殴りかかってはいけない相手だと雰囲気でわかる。

「見ない顔だな」

ひらり、と予想外に流麗な動作で手すりを飛び越えて、
男はずんずんとに近づいてきた。

「ええ、久しぶりに立ち寄りましたもので」

「女か」

多少驚いた様子で、男はじろじろとを見る。

「……失礼します」

「まあ、待て」

随分間合いがあったはずなのに、
それを一瞬で詰めて男はの腕をつかんでいた。

「女の拳士など聞いたことも無いわ。
 別な用でもあるのか?」

にやり、と頬を歪ませて、男はの胸倉をつかんだ。
の手元には、フドウと一緒だったこともあり、武器のひとつもない。
無用心だったか、と後悔しても遅すぎる。

「人に会いに来たんです。
 それも終わったので、帰るところです」

「案内も無しでか?」

ぐい、と男は腕を高く持ち上げた。
首が絞まる。
つま先がかろうじて地面につく高さになる。
それでも男の方が背が高い。

「それとも、お前も商売に来たか?
 あまり見ない趣向だが、好む輩もいるだろうな」

は言葉の意味を察して、頭に血が上るのを自覚した。
いけない。
彼に逆らっても勝機は無い。
そんな気がした。
この嵐が、通り過ぎるのをじっと耐えてるのだと自分に言い聞かせる。

「さて、誰に呼ばれたものやら」

男はの腰をだきよせて、
胸倉を掴んでいた手でシャツのボタンを上からはずした。
そして、首筋に唇を這わせ、がり、と噛んだ。

その瞬間、は切れた。

まず、おもいきり男を突き飛ばした。
少し距離ができたので、額に頭突きした。
今の体勢ではそれくらいしかできない。
ひるんだところを、もう一度両手で力いっぱい肩を突き飛ばした。
男が後ろに下がるのと同時に、腰に添えられていた手がシャツをつかむ。
片足を軸に、その力を利用してわき腹に回し蹴りを入れた。

「ぐ!?」

男がよろめき、は距離をとった。。
シャツの背中の部分が破れたような気がするが、
もう知らない。

「やって良いことと悪いことがある!」

の叫びに、
男はぽかんとした顔をしている。

間の抜けたことを言ってしまった。
子どもを叱る口調になってしまった。
他にもいろいろ文句をつけてやりたいが、
そんな間はない。

不意打ちに驚いていた男の顔が怒りに歪むまで、
一瞬とかからなかった。
はもてる脚力を全て使って廊下めがけて地面を蹴った。

再びつかまることもなく、
誰かに呼び止められることもなく、
は無事にフドウの家までたどり着いた。
さすがに背中が見えているかもしれない状態では恥ずかしいので、
できるかぎり人のすくない道を疾駆した。

家に到着するころには、も少し冷静になっていた。
あんな場所であんな行動に出られるということは、
それなりに有名な奴なのだろう、と。
そもそも、喧嘩をして勝てる相手ではなかったのだし、
生きて帰ってこれただけでも良かったのではないか、と。

シャツが一枚駄目になってしまったが、
まあ、致し方ない。
明日は買い物にあてるとして、そこで代わりのシャツを買うと決めた。
首筋に男に噛まれた痕がしっかり残っているのが腹立たしい。
こればっかりはどうしようもないので、傷薬をぬりたくった。

フドウは用事が終わらないのか、家には居なかった。
家政婦さんに食事を用意してもらって、
はさっさと眠って忘れることにした。