お出かけ
「ちょっと忙しくて、暫く一緒にお茶できないから」
が珍しくそんなことを言った。
忙しいとは何なのだろうか。
この隠れ家で彼女がしなければならないことなど、
殆ど無いに等しいのに。
「リュウガから何か言われたか」
「うーん、まあ、そんなとこ」
『そんなとこ』とは何か。
具体的に説明してほしい。
本人が隠そうとしているものを無理に聞き出すにしても、
命令以外の方法で聞き出す技術は無い。
仕方が無いので「そうか」とラオウは言っておいた。
次の日、朝一で兵士の一人をつかまえて声をかけると、
背筋を伸ばし、最敬礼でもしそうな勢いで答えてくれた。
「
様は近隣の視察に出られると聞いております!」
兵士に口止めしていないあたり、まだまだ詰めが甘い。
聞いた人間がラオウであったから答えが引き出せたのかもしれない。
どちらでも良い。
とりあえずその兵士には労いの言葉をかけて、
ラオウはそそくさと
のバイクが隠してある倉庫に向かった。
案の定、バイクは定位置には無かった。
隠れ家の中の地図を頭の中に開いて、
バイクを置くことが可能で、山道の真ん中に飛び出すわけでもなく、
安全に出られそうな場所を考える。
思い当たる場所が二つあったが、
なんとなくそのうち一つを選んでそちらに移動した。
近付くとなにやら話し声が聞こえてくる。
どうやらラオウは正解を選択したらしかった。
「何をしている」
と、威圧を込めて言いながら部屋に入ると、
中にいた
と複数の兵士は驚いたような顔をした。
特に兵士の方はすぐに泣きそうな顔になった。
「あ、ラオウ。
丁度出るところだったのよ」
「ほう、一人でか」
兵士達はバイクなど用意しておらず、
整備するための工具やガソリンの入ったタンクを持っている。
「う、うん、そう。
そんなに時間かからないし」
「お前一人でどうやって」
「失礼な。
ラオウに会う前は一人で旅してたんだから」
「……リュウガの用などというのは、嘘だな?」
リュウガの性格もおおよそ掴んでいるし、彼女の性格も知っている。
おおかた、ラオウ不在の外の様子が気になっているのだろう。
旅の荷物の大きさから考えて長く出かける予定ではなかったようだが、
危機感の足りなさには驚かされる。
「……ほら、この辺りって比較的治安が良いみたいだし」
「……そう聞いている。
俺もお前が出かけるのを止めはせん。
ただし」
「ただし?」
「俺も行く」
兵士達は「拳王様がここにおられることがバレでもしたらたら!」と、
至極真っ当な理由で止めてくる。
バレなければ良いのだろう、と返した。
ラオウの一存に反論できるわけもなく、
兵士達はもごもごと何か言いながら黙った。
ずっと隠れ家にこもりきりというのにも飽きてきたところだったし、
が心配でもあった。
兵士の服装に身を包んだラオウは、明らかに危険人物だった。
別に、鎧や兜なんかなくても、屈強さは際立っている。
そこに誰も異論は無いはずだ。
防塵のためにマントを羽織った姿は最初に出会った頃を思い出すが、
今は中身を知っているだけに、
よくこんな大男に声をかけたものだ、と
はこっそりため息をついた。
さすがに黒王号に乗るとバレる確率がはね上がるので、
のバイクに昔と同じように二人で乗ることになった。
勿論運転はラオウである。
口をはさむ隙間もなく、そう決められた。
ラオウは久々に外に出られたので機嫌が良いらしい。
気前良くバイクを飛ばすので、
は背中にへばりつくようにして辺りをきょろきょろと眺めた。
ラオウが不在であるからといって、
世間は劇的に変化するわけでもなく、
徐々に治安が悪化していると聞く。
水のなさそうな荒野には人の姿も無いし、
近くの街に入るまでは無味乾燥とした景色を眺めるしかない。
前方は広すぎる背中のせいで何も見えない。
その背中の持ち主の機嫌が悪くなさそうなのが唯一の救いである。
途中、休憩にと廃ビルの陰に入った。
は水を飲んで一息ついている間、ラオウは遠くを眺めている。
「……
。
しばらくそこの瓦礫の後ろへでも隠れていろ」
遠くを眺めたまま、ラオウが言う。
なんとなく事態を察して、
は「はいはい」と荷物をまとめて言われた通りにした。
数分後、果敢にもラオウに因縁をつける複数の男の声がして、
爆発音のような音がして、ラオウが「もう良い」と言った。
顔を出してみると血みどろの惨劇が広がっていたが、
ラオウは別段変わり無い。
「もう体は良いの?」
「全然足りんな。
このような塵のような輩であれば問題は無いが」
ラオウは手首を回しながら、軽いため息をついた。
そして物言いたげな様子でちらと
の方を見たので、
「もう少しで街だよ!」と不自然に元気な声で話を変えた。
街中でラオウは一言もしゃべらないこと、
北斗神拳は一切使わないようにことを約束させて、
が雇ったボディガードだということにしておいた。
「えらく強そうだな」という感想を多数頂いたが、
まさか拳王様が目の前に居るとは誰も思わないらしかった。
ましてや、ボディーガードなんかを引き受けるとも思わないらしかった。
最初に不届き者に出くわしたのを除けば、
他は何も問題なく見て回ることが出来た。
隠れ家近辺は事前情報通りに落ち着いているし、
噂では反乱地域も限定的なようである。
折角外に出てみたが、
リュウガからの報告を確認しただけになってしまった。
「帰ろうか」
と
が言うと、ラオウは「もう良いのか?」と聞いた。
これには少々驚いた。
「行って良いの?」
「……
が強く望むならば、止めはせん。
ただ、お前の護衛が用意できるまで少し時間をくれ」
と、渋い顔で言う。
渋い顔といっても普段からしかめっ面のラオウのことなので、
多少眉間や額の皺が深くなるという程度である。
「行かないよ。
今のところ、仕事らしい仕事って隠れ家にこもってることだし。
まあ、無職のはずなんですけど」
「……すまんな」
ラオウがより一層渋い顔をした。
そういえば街に入る前に交わした約束を守っていたのも、
彼なりに気を使ってくれていたのだろうか。
「十分お給料も貰ってたし。
今も生活費、タダだし。
来たくて来たんだし、謝ってもらうことなんて何も無い。
そろそろ帰ろう?」
がそう言うと、ラオウはため息をついてから「そうだな」と言った。
どの部分に対する返事なのか問い詰めてみたかったが、やめておいた。
それ以上無駄な会話もなく、
二人で黙々と荷物をまとめてバイクに乗った。
帰りの道すがら、
はラオウの背中にしがみつきながら、
ラオウは本当に護衛のためについてきてくれていたのだなあ、と思った。
は元々、旅をするのが好きだった。
そのことをラオウは知っている。
「止めろ」と言うならば外出自体を自重するのにと思ったが、
それもまた、気遣いの結果なのではなかろうか。
ふと、
が外出するためにラオウが用意してくれる護衛のことを思った。
ラオウ一人に値する護衛となると、屈強な戦士がかなりの数必要である。
それに指示を出しつつ移動する
。
おかしな図にも程がある。
「ありがとう」
は呟いてみたが、おそらくエンジン音のせいでラオウには届かない。
聞こえたところで照れくさいので、別にそれで良い。
ラオウには体力の回復に専念してもらいたい。
それも本音である。
外が見たいと出てきたはずだったが、
今はもう一刻も早く隠れ家に帰りたかった。
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