花腐し


はホルスターから銃を抜き、引き金を引いた。

だんっ

火薬が爆ぜる音がした。
今は綿を耳に詰めているが、
これが無ければ毎度鼓膜が破れそうなほどの音量である。
その音が耳に届くのとほぼ同時に反動で手が跳ね上がる。

「全然駄目、ですね」

隣で見ていた光秀が眉をひそめた。

「……やはり帰蝶のようにはいきませんか」

は耳の綿を引っこ抜いた。
多少聞こえているし、唇の動きから推測した言葉である。
おそらく間違いは無いだろう。

「申し訳ありません」

が放った銃弾は的の端に穴を穿った。
その何倍もの数の穴が、的の向こうの壁に開いている。

「考えたのですが、
 銃で遠くの敵を狙うのは諦めようかと思います」

そう言うと、光秀は珍しく困惑したような顔をした。
よほど妙なことを言っただろうか。

「ではどうするのですか」

「至近距離から。
 武器は持てませんので、体術の鍛錬が必要になりますが」

「体術ですか……」

「まだそちらの方がマシかと」

「では勝家あたりを相手にしばらく時間を取ってみましょうか。
 あれでも、それなりの手練れではありますからね」

「ありがとうございます」

はため息をついた。
反対に光秀は微笑む。
彼の微笑みは、他人の微笑みとは少し意味が異なるが。

「その銃が重荷ですか?」

「はあ……」

は言葉を濁しつつ手の中の銃を見下ろした。
グリップはの手には少し小さい。
元々、濃姫に贈られるために作られていたからである。
彼女が姿を消した後に完成し、
本来の持ち主が戻る前に信長は気まぐれにに与えた。

『使うて見せよ』

その言葉と共に。

当時はただの兵卒だった。
濃姫が戦場に赴く際に、彼女の世話をする係である。
勿論戦場にも共に往く。
しかし、主な仕事は護衛と索敵である。
濃姫が遠くから敵を撃ち殺す限りにおいてに出番は無かった。

そもそも、以外にも濃姫付きの人間は居た。
それが何故にだけ銃を与えたのか。
偶々その場に居合わせたからか。
理由は分からない。

もし理由があったとしても、信長はそのような説明はしない。
命令は命令である。
はその日から銃の扱いに慣れるべく毎日射撃の訓練をしているが、
一向に上達する気配は無い。

射撃の訓練には光秀が付いてくれている。
彼ものぽんこつな腕前に手を焼いているようで、
ここ数日は言葉に詰まる場面も多かった。

「……濃姫様の消息はつかめませんか?」

これは弱音である。
濃姫が見つかれば、この銃は彼女の手の中に、
あるべき場所に収まるはずなのだ。

「全く。
 帰蝶が戻れば貴女はお払い箱……だと良いのですがね?」

「その前に死ぬか、戦場に出て死ぬか。
 生き残る道の何と細いことでしょう」

「随分と楽しそうですね」

「私はもっと……。
 いえ、生き残るよう努力する以外の道は無いようですね」

は苦笑した。
織田軍に所属している以上信長の命令は絶対であり、
光秀が監視についている以上脱走することも限りなく不可能に近かった。
もし逃げ出そうものならば、
手練れの追っ手に縊り殺されることは目に見えている。





「――…ということですので、暫く勝家をお借りしたいのですが」

信長は「左様せい」と短く言った。
その表情から表情を読み取ることはできない。
元から感情を露わにする方でもない。
戦場では時折愉悦に笑みを浮かべるのが見られる程度だろうか。

「私は次なる戦の支度のため、暫し城を離れます。
 次こそは信長公に満足していただける相手を」

光秀は深々と頭を垂れた。
一度離れてみると、
信長ほど仕え甲斐のある主は他に無いことに気が付いた。
仕える価値のある主、と言い換えても良い。
昔は彼を殺すことだけを楽しみにしていたが、
今は現状を楽しむ余裕がある。

「またつまらぬ相手を用意してみよ、
 貴様の頭蓋も杯になると思え」

「怖い、怖い。
 次はの腕を試す相手をみつくろって参りますので、
 信長公にとってはどういう相手になるか分かりませんが」

「……ふん」

信長が鼻で笑った。
機嫌は悪くないようだ。
光秀は「失礼します」と部屋を出た。

こうして仕えていられる時間が楽しい。
己の欲を満たすための戦には少々飽きたし、
信長が敵を蹂躙する姿には惚れ惚れする。
そのための仕込みの時間。
仕込みが長ければ長いほど、
ご褒美もたっぷりなければ割に合わぬ。

の存在は、その褒美を危険にさらす。

帰蝶や蘭丸の不在により、信長はますます苛烈になったように思う。
それは光秀が望む姿である。
それなのに。

が第二の帰蝶になっては、元も子もありません……)

勝家がを稽古の途中に殺してくれれば良いが、
彼にそんな甲斐性は無いだろう。
殺せとあからさまに命じることはできないし、
信長もそれは命じないだろう。

手駒が足りない。
こんなときに蘭丸が居てくれればと思ったが、
居たら居たで神経を逆撫でする糞餓鬼である。
光秀はため息をついた。