悪夢呼ばい



加賀を出て、は京に戻った。
久しぶりに会った義輝は「良き武人はいたか?」と聞いたが、
は首を横に振った。
久秀は更に下座に座っているので、の位置からはよく見えない。

「兄様は最初から、私が嫁ぐのを邪魔したかったのですか?」

「おや、バレたか。
 久秀だな?」

「松永様が教えて下さったわけではありません!
 行くだけ無駄だったじゃないですか!」

「そうは言っても、よ。
 邪魔したところで勝手に行くだろう」

に返す言葉は無い。

「お前が満足して、無事に戻ってくることを優先した結果だ。
 友よ、約束していた刀だ」

義輝がそう言うと、
襖の向こうで控えていた一人が刀を手に現れ、
久秀に恭しく差し出した。

「検めても?」

「勿論だ」

久秀は袋に居れられた刀を取り出し、
鞘から抜いてその刀身を確かめている。

「……素晴らしいな」

「研がせておいたぞ。
 を無事に連れ戻してくれた礼だ」

義輝も久秀も、こうなることは納得ずくだったようである。
一人が腹を立てている。
それが納得いかない。
そのの横で刀の話をした後、
義輝は用があるとかで席を外した。
これ幸いとは刀を仕舞った久秀に詰め寄った。

「人を馬鹿にするのはいい加減にしてください!」

久秀はいつもの薄ら笑いを浮かべて「そんなことはないよ」と、
全く馬鹿にした調子で言った。

「もう結構です!」

は部屋を出た。
何なのだ。
は悔しさで泣きそうなのをこらえながら、屋敷に戻った。
そもそも、婿探しをし始めた理由はただの夢である。
くだらない理由でくだらない旅に出たには、
お似合いのくだらない結末だったと言えなくも無い。

それから、は久秀に会うことは無かった。
義輝はの嫁ぎ先を探すでもなく、
突然の面会には応えてくれ、
以前と変わりなくに接してくれている。

しかし。

はまだあの夢を見ていた。
義輝の体を刀が貫くあの夢を。
心ばかりが逸る中、義輝は天政奉還を宣言した。

(何を考えているの!)

は義輝が居る城へ急いだ。
取次ぎを頼んだが、どうやら今は取り込み中であるとのこと。
珍しくが廊下で待たされていると、
その廊下へ久秀が現れた。

「久しいな。
 卿も元気に行き遅れているようで何よりだ」

「一言多いんですよ、いつも」

が睨むと、久秀は「怖いなあ」と笑った。

「そうだ、私は卿の評価を改めたよ」

「……はあ」

何を突然言い出すのかと思ったが、久秀はそれきり黙った。
そのまま会話が途切れそうだったので、
は思いついた疑問を投げつけた。

「兄様から聞いた情報とは何だったのですか?」

刀はの帰還と同時に下賜されたが、
その情報は耳にしていない。
気になっていたが、義輝には聞けないし、
久秀にはそれ以後会わなかったから聞きそびれていた。

「此度の天政奉還についてだよ。
 おかげで一番乗りのようだ」

「兄様の力になってくださるのですか?」

が言うと、久秀は手にしていた刀を目の前に持ち上げた。
どうやらそれは先日義輝が下賜したものだったように思われる。

「いやなに、月を手にしたくなったものでね」

「月を、ですか?」

何の話をしているのかと久秀を眺めていると、
が理解していないのを察したのか久秀は言葉を付け足した。

「かの御仁がご執心の卿を、
 私はなんとしてでも手に入れたい」

「……何を言っているのですか」

慶次の言葉がよみがえってきた。
あの時は冗談だと呆れていたが、
目の前で本人が口にすると重みが違う。

「折角の仕込みが殆ど無駄になりそうだ。
 完全なる器にどれほど傷を付けられるか分からんが、
 卿という駒があればうまくいきそうだ」

「松永様、何を仰っているのですか?」

「なあに、将軍暗殺がただの殺人に変わるだけのことだよ」

久秀は刀をすらりと鞘から抜いた。
あのときと同じく、曇りのない刃がきらりと光をはじいた。

「兄様を殺すのですか?」

「義輝公を欠いた卿がどれほどの輝きを見せるのか、
 私という器に映る月とはいかなる姿か、
 見てみたいと思ったのだよ」

「冗談はおやめください」

「私はいたって真面目な男だよ」

は久秀を睨んだ。
彼がそんなものを意に介さないとは知りつつも。

「友よ、早いな。
 はやらぬぞ?」

いつの間にか現れた義輝が、
の隣に立って笏を手の内でくるくると回していた。
いつもよりどこか剣呑な雰囲気を纏っている。

「いつまでも独り身でおられるゆえ、早い者勝ちかと」

「私が貰いうけるのだ」

『三角関係』と言って笑っていた慶次の顔を思い出した。
彼の言はこちらも間違ってはいなかったらしい。
睨み合う彼らに冗談はやめてもらいたいと言いたかったが、
そんなことをいえる空気ではなかった。

「では、お相手願おう」

久秀は持っていた刀を手に、突進した。
義輝はそれをいなし、反撃するが久秀もそれをはじく。
互いに斬りあいながらも、
狭い廊下では足りないらしく二人は庭へと下りた。

はその様子を眺めながら、あることに気が付いた。
あまり表情に変化の無い義輝であるが、今は楽しそうだ。
それも、心底楽しそうだ。

互角に打ち合う相手が義輝には今までいなかった。
誰もが彼に遠慮をし、そして勝利は実力に関わらず彼に献上される。
その生活に倦み疲れていたのかもしれない。
久秀の命を狙う攻撃にも義輝は怒りもしない。
ふと、こうなることを願って、
彼は天政奉還を決めたのかもしれないと思った。
義輝が幸せならば、それで良いか、という気もしてくる。

っ!」

突然義輝が叫んだ。
予想外のことで、は驚いて動けなかった。
義輝がを背にかばうように立った。
何が起こったのだろうか。

の視界を塞いだ彼の背に、刀が生えた。

「……友よ、考えたな?」

「私が勝つにはこれくらいしか道が無かったのでね。
 汚い手であることは承知しているよ」

「それも含め余の実力だ。
 ……お見事!」

義輝の体が傾いだ。
嫌だ。
彼のこの未来を防ぐため力を尽くしたというのに!

その向こうに立つ久秀が笑っている。

「これで卿は私のものだ」

何が悪かったのか。
彼がに興味を持ったのは、が旅に出たいと言ったからである。
それ以前に面識は無かった。
彼が義輝を殺した刀は、の旅を見届けた報酬である。
ならば。

全てが悪いのか。

は悲鳴を上げた。
久秀の笑みがこの上なく恐ろしい物に見え、
義輝が血の海に倒れている現実が嘘であるように思え、
はただひたすらに絶叫した。