悪夢呼ばい
は義輝の背中を眺めていた。
その背中からは刀が生えている。
仁王立ちしていた義輝の体が前のめりに倒れていく。
その向こうに誰かが居る。
嫌だ。
彼が義輝の体を刀で刺しつらぬいた張本人であろう。
にぃ、と笑う形に歪んだ口元だけがはっきりと見える。
嫌だ!
はそこで目が覚めた。
最近妙な夢ばかり見る。
にとって、義輝は兄である。
実の兄弟ではないが、遠縁ながらも血のつながりはある。
義輝の方でも
を可愛がってくれており、
暇があるときであれば今でも相手をしてくれる。
その義輝が死ぬ夢を見るなんて。
馬鹿げている。
そう
は結論付けている。
彼が余人に腹を刺し貫かれるというような事態は考えられないが、
そんな夢を見ることに対しては恐怖を覚える。
は最近繰り返し見る夢に立ち向かうことを決めた。
尊敬する兄のような義輝のため、
そして己の不安を払拭するため、
一つの結論を導き出したのである。
義輝にはすでに相談しており、苦笑まじりではあったが許可が下りた。
今日はその手伝いをしてくれる人間に引き合わせてくれるらしく、
珍しく面会の刻限を指定された。
支度をして城に向かうと、義輝が待つ部屋に通された。
何か手紙でもしたためているのか、
くしゃくしゃに丸められた紙が無数に散らばる中に義輝は居た。
「ん、
か。
もうそんな時間か」
義輝はそう言って筆をおいた。
「お忘れでしたか?」
「いや、集中しすぎていたようだ。
客人は既に来ているようだから、そちらに向かうとしよう」
自信に満ちた笑みを浮かべ、義輝は歩く。
はその後ろをついて歩いた。
彼が向かったのは謁見の間ではなく、
庭がよく見える部屋だった。
部屋に入ると、先に座っていた客人は軽く会釈するだけで、
平伏するようなことは無かった。
「久秀よ、待たせたな」
「いや、あまり見られぬ庭ゆえ堪能できたよ」
義輝よりも年はかなり上だろうか。
余裕のある笑みを浮かべたその客人は
を見て居住まいを正した。
義輝は上座に座り、
はその隣に座る。
「一人の兄としての頼み、とは如何なることかな?
私で事足りることであれば良いが」
どうやら義輝は彼に詳細を伝えては居ないらしい。
「これは私が妹のように可愛がっている娘で、
という。
この
の嫁入り先を探している。
ところが、一つ条件を出されてな」
「条件と?」
客人はちら、と
を見た。
「ああ。
日の本一の武人に嫁ぎたいと。
そして、己の目でそれを確認したいというのだ。
賢き友にはその手伝いをお願いしたい」
「適任とは言えますまい」
客人がそう言うと、二人は笑った。
だけが取り残される。
「そう言うてくれるな。
このような私事を頼むことができる友は他には居ない。
その代わりと言っては何だが、
嫁ぎ先が決まった暁には友にだけ先に面白きことを教えてやろう。
きっと、気に入るはずだ」
「面白きこと、か」
「引き受けてはくれまいか」
「例の刀を一振りつけてもらえないかな?」
「……耳聡いな。
だが、こちらも可愛い妹の頼みだ。
良かろう」
「ならば、お引き受けしましょう」
それで話は成ったようだった。
「
よ。
これは松永久秀だ。
道中は私の代わりと思って頼ると良い」
松永久秀と呼ばれた客人は、
そこで初めて
に向けて会釈した。
義輝が家臣ではなく友として呼んだのであれば、
それなりに納得できない態度でもないが、
やはりもやもやと微妙な気持ちになる。
「お初にお目にかかる」
も「よろしくお願いします」と頭を下げた。
「
は私が手ずから武芸を仕込んである。
おおよそのことは己で対処できるだろう」
「あの名刀を手に入れられるならば、
安全くらいは保障させていただくよ」
「安心だな」
そう言って、二人は笑う。
薄ら寒い笑いであるが、
は黙ってその様子を眺めていた。
「身辺の整理と準備に十日ほどいただきたい。
それでもよろしいかな?」
不意に久秀が話をふってきたので、
は慌てて「はい」と返事をした。
斯くして、
は久秀と旅に出ることになった。
最初は馬に乗っての移動を考えていたが、
彼が雇っている忍びの風魔の力で自力で移動することは殆どない。
「卿の年齢を考えて、
結婚相手としておかしくない人間を何人か探しておいた。
これから順繰りに回っていくから、
気に入った相手がいれば教えて欲しい」
途中の休憩で、久秀は笑みを浮かべながら言った。
「日の本一の武人を探しているんですけれど」
「それが二目と見れぬ醜男であったらどうするのだね」
「……」
の沈黙を見て、久秀は声をあげて笑った。
「まあ、一人を除いて殆ど心配は無い。
私も報酬に見合うだけの仕事はするつもりだし、
まあ楽しみにしてくれたまえ」
早速性格の悪さが露呈しているが、
彼はあまり気にしていないらしい。
旅籠の一人部屋で横になりながら、
こんなことならば先に義輝から幾人か名前を挙げてもらうのだった、
と何の準備もなく出立したことを後悔した。
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