愉快な武田軍ライフ
新月の夜の冷たい闇が躑躅ヶ崎館を包んでいた。
今日も今日とて、佐助は警備にあたっていた。
屋根の上から見下ろす庭は、どこもかしこも荒れている。
これは
を叱らないと、と心の中のTo do リストに書き加える。
ふと、気配がしたような気がして顔を上げた。
しかし、どこにも人の姿はない。
風に吹かれた木々がざわめくばかりである。
「……俺様も疲れちゃうっつーことか」
愚痴めいたつぶやきを吐き出して、
部下の忍に警備をまかせて自分は休むことにした。
長い休暇の後に夜間の警備はいくらなんでもつらい。
佐助が屋根の上から消した次の瞬間。
庭のひときわ高い木のてっぺんにひとつの影が現れた。
暗闇の中でその姿を見た人間は誰もいなかった。
愉快な武田軍ライフ
は机に山積みの書類を見て、うんざりとため息をついた。
「
、俺が教えてやってもいいぜ?
その書類以外のlecturerも込みで、な」
「
いりません」
政宗の申し出を断固拒否しつつ、
とりあえず一番上の書類から目を通すことにした。
この書類は全てあの佐助様の仕事の一部で、
「お庭が荒れてるぞっ★」というお叱りとともに降って湧いたものだった。
小十郎はというと、
「もうすぐ出立します」という手紙だけが届いたが、
本人はまだ到着していない。
そのせいで幸村がお館様と殴り愛をしている間、
政宗は慶次と馴れ合うことも無く
のところにやってくる。
友達がいないのかと聞いてやりたいところだ。
そういえば、慶次の誤解はまだ解けていない。
書類のほうは武田軍の財政のことで、
食費がべらぼうなことになっていて度肝を抜かれた。
比較資料として
が来る前の分も用意され、
ご丁寧にしおりまではさんでくれている。
言いたいこと、わかるよね?
そんな言葉を微笑みつつ言う佐助が目に浮かんだ。
や、これは別に私のせいじゃないんですよ。
だって他所の人が居座るのが悪いんじゃないですか。
そうでしょう?
幻聴に心の中で言い返してみたが、
返事があるはずが無かった。
顔をあげると、
がまったく無視していたので政宗は刀の手入れをしていた。
真剣そのものである。
邪魔をしては悪いし、何よりこの書類は目に毒だ。
多少気を使って静かに縁側に出る障子をあけた。
外へ逃避するのだ。
そこには赤毛の見慣れない格好の男が立っていた。
「ぎゃあああああああああっ」
色気もへったくれも無い心のそこからの悲鳴をあげると、
部屋の中にいた政宗が
を後ろからつかんで部屋のなかに引っ張り込んだ。
別の意味で身の危険を感じてしまったが、
そこは武将伊達政宗、
刀を取って男との間に割って入ってくれた。
いつもそうなら格好良いのに。
「Hey!
北条の忍なんでこんなところにいるんだ?」
忍の方は無言で、背中から二本の脇差をとった。
本数では政宗の勝ちだな、と
はぼんやりと思ったが、
そんな場合ではないとすぐにわれに返った。
どうやってここを無事に切り抜けるか。
隣の間に逃げ込んでも、なんら事態は変わらない。
助けを呼ばなければ。
政宗と忍はにらみ合ったまま動かない。
は必死で考えて、そしてやっと思いついた。
「ああ、高いお椀が割れちゃう!!」
「なーにしてくれてんの!」
台詞を言い終えた瞬間に現れた佐助に、
初めて
は頼もしさを感じた。
「いや、うそなんですけど。
侵入者ですよ、佐助さん」
今回ばかりは佐助の圧力も怖くない。
なぜならば、奴の弱みがいま目の前にあるからだ。
そう思うと力が湧いてくる。
「あー……
ちゃんが殺っといてくれると思ったんだけどな。
って、そんなことも言ってらんないか」
心底めんどくさそうに、佐助は同業者をにらんだ。
「ほらほら、あんたもこんなとこでにらみ合っててもしゃーないでしょ。
庭先に出なよ」
言うが早いか、佐助の姿が庭に移動した。
背後を取られる形になった忍は、瞬時に庭に移動する。
取り残された政宗は、「Shit!」という罵声と共にどたどたと庭に走り出た。
ちょっと格好悪い。
「お前は小田原で俺が息の根止めてやったはずだろ?
しつこい男は嫌われるぜ!」
そっくりそのままお前に返してやるよ、その言葉。
は心の中で毒をはきつつ、こっそりと戦いの様子を眺めていた。
忍の方はあわてるでもなく、再び脇差を構える。
「へえ、あんたあの風魔小太郎なの?
あれって単なる伝説だと思ってた。
でもさ、亡き北条に忠義を果たすって柄じゃ……」
「北条は終わってはおらぬ!!!」
きえええ、という絵に描いたような掛け声とともに、
草むらから一人の老人が飛び出してきた。
今の緊迫した空気が一瞬にして和やかになってしまった。
グッジョブ、老人。
は自分が政宗に毒されているという事実に、
まったく気づいていない。
「What!?
なんで氏政のじーさんがここにいるんだ!?」
政宗は、切りかかるでもなくそう叫んだ。
自分が制圧したはずの小田原から、老人と忍が抜け出してきている。
どうやらその事実に政宗は適応できていないらしい。
佐助の冷たい視線が今、政宗に向けられている。
もし自分があの場所に立てといわれても、
断固拒否である。
「ワシだって影武者の一人や二人おるわい!
氏康様のご加護がある限り、北条は滅びたりせぬ!
貴様らを殺して小田原を取り戻すのじゃ!
助太刀くだされご先祖様!!!」
この老人、ここまで侵入した上に暗殺まで企てた割りに、
自分が誰であるかを隠すつもりはないらしい。
「
ちゃん
ちゃん、
今なにやってんのこれ?」
こそ、と隠れている
の後ろに、
隠し切れないほどの図体をちんまりさせて慶次が様子を見ていた。
「よくわかりません」
本当によくわからない。
「……あのじいさん、結構がんばるねぇ」
粋だねえ、などと慶次は関心しているが、そんなことはどうでもいい。
彼の登場で
はほっと胸をなでおろした。
もし自分のところにとばっちりがきても、
彼を突き出せばなんとかなりそうだ。
佐助の方は、老人の出現で本当にやる気をなくしたらしく、
手裏剣をくるくる回したり、あくびをしたり、
今にも「早く終わらしてくんない?」とでも言いたそうな気配だ。
「最強の忍、風魔小太郎がいる限り!
北条は不滅じゃぁあああっ!!」
その掛け声に、小太郎が動いた。
すばやい一撃を政宗がかろうじて防ぐ。
金属と金属がぶつかり合う激しい音が庭に響いた。
小太郎は本気で殺すつもりなようだ。
再び緊迫した空気が庭に戻ってきた。
「最強は武田軍でござるぅぅぁぁぁああっ!!!」
ツッコミどころを間違えた叫び声とともに幸村が滑り込んできた。
絵に描いたよう砂埃を巻き上げて、幸村が小太郎の真横に止まる。
手には愛用の槍。
お館様との鍛錬はちょうど終わったところのようだ。
「何を言うか!
だから、最強の忍と言うておろうが!
別におぬしの軍をけなしておらんわ!」
闖入者に律儀に突っ込み返した老人だったが、
それにも幸村は全力で反対する。
「最強の忍は佐助でござる!」
うまく会話がかみ合わない。
「旦那ぁ」とほろり、とした風を装って佐助があくびした。
横から眺めている分にはこのいざこざ、少し面白いかもしれない。
「お館様に、
殿。
二人がおられる限り武田軍は無敵にござる!」
同意を求めるかのように、幸村がこちらをみた。
「最終的には
はうちに来るがな!」
にやり、と政宗は笑った。
その薄ら笑いがよほど気持ち悪かったのか、小太郎が距離をとった。
同意を求めるかのように、政宗もこちらをみた。
否定しなければいけない。
しかし、なんだか嫌な予感がする。
氏政がつられてこちらを見る。
小太郎がこちらを見る。
小太郎が脇差を構えた。
ほら、あんたらが見るからこっちにとばっちりがきたじゃないか!!!!
佐助の姿はもはやなかった。
あんたらで解決してくれ、という無言のメッセージである。
小太郎は脇差を構えて
に突進してくる。
なんとなく、こんな風景は前から何度か見たような気がした。
いや、本当に見て、そしてなんとか潜り抜けてきたのだが。
しかし、小太郎の動きに隙も見られなければ、
カウンターを狙えそうな、一発逆転の要素も無い。
もうだめか、と思って
が後ずさりしたそのとき。
ぐに
何か踏んだ。
「いってぇ!?」
そして、慶次の悲鳴。
踏んだのは慶次だったらしい。
はその後ろ向きに倒れた。
小太郎の攻撃が頭上を掠める。
前に突き出された脇差が、
続いてまっすぐに伸ばされた腕が、頭上を通り過ぎる。
次は小太郎の頭だ。
受身を取るべく体勢をととのえたが、
踏まれた慶次がよけたせいでその上にしりもちをついてしまった。
そのまま、勢いで足を振り上げる。
つま先やたらに硬い感触のものがぶつかり、
それはすぐに痛みに変わった。
ものすごく痛い。
爪が割れてしまいそうだ。
つま先を押さえてひとしきり悶絶した後、
顔を上げると小太郎が仰向けに倒れていた。
顎の辺りが真っ赤になっている。
どうやら
のつま先は彼の顎にクリーンヒットしたらしい。
そして、
背中を抑えて転がりまわる慶次が後ろにいた。
そういえば彼のおかげでつま先以外は痛くない。
「そんな……
最強の忍が一撃で……!」
がっくり、と氏政が両膝を地面についた。
こんなとき抜け殻のようなという表現がよく使われるが、
彼の体からは大事なものが抜け出しそうな勢いである。
「おいおっさん……城は返してやってもいいぜ?
ただし、条件付でな」
途中から出番無しだった政宗が、やっとここで動いた。
最初の格好良さが嘘のように掻き消えている。
「じょ、条件とな!?」
「そう……家臣に下るならな。
謀反を起こせば攻め取るが、
どっかのクソ野郎が攻めてきたときには守ってやるぜ?
なあ、
?」
輝く笑顔で政宗がこちらを見たので、
は全力で視線をそらせた。
しかし、これで騒ぎが収まるならばと無言のまま堪える。
「あの風魔を倒したおなごも…?」
「Of course.」
違う。
は氏政に声をかけようとしたが、彼は誰の話も聞いていなかった。
氏政は顔芸かと思うくらいわかりやすく迷った後、
「それしか道はなさそうじゃ……」とがっくりうなだれた。
やっと
に否定するターンが回ってきた。
「それはちが……ひぃっ!?」
そう思ったのもつかの間、ぬう、と小太郎が蘇生して立ち上がった。
少しだけ、悔しそうである。
「わかるぞ。
そなたも
殿の力に感服したのであろう。
某もそなたと同じ志を持っておるのだ。
共に己の技を磨こうではないか!」
がし、とその小太郎の肩をつかんだのは幸村だった。
何がわかってるのか。
小太郎はさっきから一言もしゃべってないのに。
小太郎は口を引き結んで力強くうなずいた。
そういえば、
の常識はここでは通用しなかったのでした。
しゃべらない忍、風魔小太郎を仲間に迎え、
より崩壊の危機にさらされた躑躅ヶ崎館に皆様のご支援を。
そして最強の名前を冠した刺客(二人に増量)に狙われ続ける、
哀れな農民に愛の手を。
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