箱庭の姫君


元就様に出会ったのは海の上だった。

私は漁を手伝っていた。
海女として海に潜っていた。

その日は何故かどこにも雲丹も貝も見つからなくて、
普段はあまり行かない穴場に向かったのだった。
その穴場には沢山得物がいて、
私は嬉しくなって無心で漁をしていた。

ふと気がつくと、私の船の周りに別の船がつけていた。
仲間の船にしてはおかしな動きをしている。
不審ではあるが、息が続かなくなるので海面から顔を出した。

そこに元就様はいらした。

「女、名前は何と言う」

 えらく横柄な口を利く人だな、というのが初対面での印象である。

と言います」

私は誰だこいつ、と思いながらも特に警戒していなかった。
だってここは四国を統一した長宗我部元親の縄張りである。
変な人間はいないはずだ。

「当たりだ。
 捕らえよ」

わらわら、と元就様の周りに居た人が私に向かって縄を投げたり、
海に飛び込んで追いかけてきた。
逃げる暇もなく、捕らえられた。
目隠しをされ、どこか分らないところに連れて行かれた。

どこをどう進んだのか、私の方向感覚ではどうにもならないだけ進んで、
目隠しを外したところに見えたのは手入れが行き届いた庭がついた離れだった。
紅葉や桜、梅、金木犀、季節の彩りを添える植物が配置された庭であったが、
その木々の向こうに隠れている人間の気配を感じずにはいられなかった。

よ、お前が捕らえられた理由はわかるか?」

「いいえ」

私は首を横に振った。

「お前はあの長宗我部元親の筒井筒であろう。
 一人でうろうろしているとは無用心であったな。
 お前には交渉の切り札としてここで暫く生活してもらう。
 無駄に暴れて、我に手間をかけさせてくれるなよ」

冷たい双眸が私を見下ろしていた。
怖ろしくなって、その時は大人しく頷いて見せた。
この人には感情が無いのだろうか。

それから暫く、私はそこで何不自由無く暮らした。
食事は女中さんが来て用意してくれるし、
衣だってそれなりの物が用意されていた。

ただ一つ寂しいのは、女中さん以外の人間と話すことが出来ないことである。
その女中さんも食事が終われば帰ってゆく。
狭い離れを探索し終え、庭の木々の様子もつぶさに観察し、
何もする事が無くなった私は軽い気持ちで庭の生垣の間から外に出た。

「逃げたぞ、捕らえろ、捕らえろ!」

悲鳴に似た声がして、すぐさま私は捕らえられた。

離れの部屋の中で、私は縄でぐるぐる巻きにされて寝転がっていた。
圧迫されすぎて、指がびりびり痺れる。
私が何をしたというのだろう。
ただちょっと、外の様子を見たかっただけなのに。

隣には私を捉えた兵士が座っている。
彼は少し震えている。

す、と襖が開いて、元就様が現れた。
眉間に深く刻まれた皺が、彼が不機嫌であることを物語っている。

「貴様…手をかけさせてくれるなと言ったであろう。
 お前、この者の足の腱を切れ。
 何、両脚でなくとも良い」

「は…ははっ!!」

男は恐々と刀を抜き、私の右足の腱を斬った。
あまりの痛みに悲鳴をあげると、元就様は此方を睨んだ。

「喚くな」

ぞっとするほど冷たい声だった。
私は歯を食いしばって耐えた。
失血しすぎないように、傷口はぐるぐると包帯で縛られた。

こうして、私は片足が不自由になった。
醜い傷跡が脚にくっきりと残っている。
随分動きにくくなった。

それを配慮してなのか、一人の小さな女の子が世話役についてくれた。
話し相手やちょっとした用を頼むことしか出来なかったが、
そこに人が居てくれるだけで充分だった。

好きなお花は?
好きな食べ物は?
ご家族はどんなご様子?

そういった質問をした。
女の子は真面目に一つずつ答えてくれた。
名前をお嘉代という。
私はお嘉代が大好きだった。

すごろくをしたり、本を読んだりして時間を過ごした。
何もしないというのは、存外退屈なものだ。
働いている間は休みたいと強く願うが、
こうしていつ終わるとも分らない暇は苦痛ですらある。

そんな私を気遣ってか、お嘉代は色々話してくれる。
今毛利軍は戦を仕掛けようとしているだとか、
今年は豊作になりそうだとか、
彼女は頑張って、色々な話を持ってきてくれる。
中にはよく判らない話もあったが、私はとても嬉しかった。

ある日、元就様が離れにいらっしゃるということになった。
朝からお嘉代と二人で掃除をし、元就様が来るのを待った。

元就様はただ、様子を見にいらしたのだそうだ。
私が逃げるなどという馬鹿な行為に出ないかどうか。
お嘉代を外して、二・三の質問を受けた。
私は正直に答えた。

そのとき、ごんという鈍い音がして、お嘉代が泣き始めた。
転んだのだろう。
いつもとは違う空気で緊張してしまったのかもしれない。

「黙れ、目障りだ」

元就様はお怒りになった。
しかし、その様子が怖ろしいのだろう、お嘉代が泣き止む気配は無い。
可愛そうに、と私が傍に寄ろうとした瞬間。

「黙れ、と言ったろうが」

元就様は無駄の無い動きでお嘉代に近寄り、一刀両断した。
離れに二度目の鮮血が飛び散った。
短くなったお嘉代の身体は、ごとりと重そうな音をたてて床に落ちた。

「片付けには人を寄越す」

そう言って、道端の石ころを見るようにお嘉代だった肉片に一瞥をくれ、
元就様はずんずんと歩いていってしまわれた。
私はその場で呆然として、動くことが出来なかった。

離れに血の臭いが染み付いた気がした。
自分の血、お嘉代の血。
赤い赤い、血。

お嘉代の代わりに、お万という娘が来た。
お嘉代と違って、お万は口数が少なかった。
私はまた退屈な日々に戻った。
庭に植えられた植物と、お膳に上るお野菜の種類で季節の移ろいを味わった。

そう、私は季節が移ろうほどこの離れに閉じ込められていた。
この脚ではもう海女なんぞは出来ないし、
出てくる食事は申し分無いので嬉しいと言えば嬉しいが。

そういえば、お嘉代はもうすぐ長宗我部軍との和睦交渉が始まると言っていたっけ。
あれはどうなったのかしら、と思い始めた頃だった。
元就様が大変お怒りの様子で離れにいらした。
その時の訪問は急に決まったので、前ほど掃除することが出来なかった。

「人質の価値を持たぬ人質など、ただの無駄飯食らいよ。
 此処で死ね」

元就様はわっかになった刀を此方に向けられた。
私は目を瞑った。

「命乞いをせぬか」

「はい」

「死にたいのか」

「いいえ」

「どっちなのだ」

「どちらもです」

元就は首を傾げた。

「私はどうせここを出てもまともな生活は出来ません。
 でしたら、今ここで死のうがどこで死のうがあまり変わりはありません。
 それに…ここでは生きているという表現が使えるのかどうか怪しいです」

そう答えた。
元就様はその答えに満足されたのか、興味を持たれたのか、
殺されるような事にはならなかった。
それ以来離れにいらっしゃるようになった。