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トキはベッドに横になりながら、
の泣きそうな顔を思い出した。
そうして生きて帰れた喜びと、
彼女を必要以上に慕う気持ちを噛み締めた。

それほど心配してくれていたのだな、と嬉しく思った。
その直後から罪悪感がその喜びを侵食していく。

トキはラオウに負けた。
夢は潰えた。
残り僅かな寿命を縮めてまで挑んだというのに、
ラオウの背中は随分と遠かった。

死を覚悟していたのに無様にも生き残ってしまうと、
逆にその短い生にしがみつきたくなるらしい。
そして、その短い生を愛する人と共有したい、
には傍に居てもらいたいと強く思った。

にそれを願うのは我侭だろう、と理性が叫ぶ。
彼女はこの村でトキが治療を開始した当初からずっと残ってくれている。
おかげで家事なんかに悩まされることは無かったし、
彼女からの全幅の信頼は程よい緊張感となる。

もし健康であれば、抱きしめていた。
しかし、もし健康であったならばラオウは己を殺しただろうから、
抱きしめることも出来なかっただろう。
健康であれば北斗神拳で人を癒すことを行動に移せたか怪しいものだし、
そうなればに出会うことも無かっただろう。
因果なものである。

暫くしてが部屋に戻ってきた。
リンとバットを受け入れる準備はすぐにできたようで、
可愛らしい子達ですね、と微笑んだ。
彼女の無私の精神には敬服する。
聖母のような、慈愛の権化である。
彼女が好きだと思う自分が、酷く邪な存在に思える。

そんな女性であると知っているからこそ、
傍に居てくれなどと言ってはいけない。
彼女は底抜けに優しいからである。
分別のある人間であれば、
この場面で彼女に事実を伝え、一人にしてくれと言うべきだろう。

しかし、トキはそれが出来なかった。

傍に居てほしい。
触れたい。
一人にしないで。

はその気持ちを知ってか知らずか、
額にのせていたタオルを絞りなおした。

「夢は叶いましたか」

「いや……叶わなかったよ」

そう。
ずっと追いかけてきたラオウはひたすらに遠かった。
偉大なる兄、ラオウ。
彼を止める役目を心優しいケンシロウに託さねばならないのが心苦しい。

「そうですか……。
 でも、生きて戻って来ていただいたので嬉しいです」

予想していたのか、の声に驚きは無い。
まあ、ボロボロになって戻ってきた時点で、
そして晴れやかとは言い難い表情である自覚もあるので、
彼女でなくても察っすることができる結末ではある。

「しかし、私の命は燃え尽きる寸前なのだ。
 治療の対価だと言ってくれるのに甘え続けたばかりに、
 には随分長く残ってもらってしまった。
 それももう、終わりで良い」

トキは深いため息とともに、言葉を吐き出した。
目を瞑る。
彼女の顔を見ることができなかった。
がここを離れるのを楽しみにしていたのだと、
ほんの僅かな反応でも見るのが怖かった。

「そうだな、ケンシロウに私から頼んでおこう。
 を安全な街へ連れて行ってほしい、と」

「……嫌です」

予想外の返事に、トキはまぶたを持ち上げた。
は泣きそうどころか、泣いていた。

「トキ様さえよければ、私はここに残りたいです」

の細い、小さな手がトキの手を取った。

「失礼ですけれど、寿命を縮めてまで挑まれたのでしょう」

「……そうだな」

「私が近くに居るのは不快ですか」

「いいや」

「でしたら、最期まで傍に居させてください」

の涙を拭ってやりたいが、今はその体力が無い。
少し休めば多少回復するかもしれないが、
今でなければ意味が無い。
酷くもどかしい。

「ずっと、好きだったんです。
 好き好んで残りたいだけなんです。
 ここにずっと居たんですから、他の誰よりお世話できるはずです。
 お願いです、ここに残らせて」

の涙がほたほたとトキの手に落ちた。

ここは断るべきだろう。
それは理解している。
しかし、好きだと言われて舞い上がっている自覚もあるし、
彼女の手を振りほどく気にまるでならない。

「……お願いできるかな?」

トキは自分のことをなんと卑怯な男だろうと思いながら、問うた。

「勿論です」

が頷く。

「幸せにしてやれるとは到底思えないから隠し通すつもりだったが、
 私はのことが好きだ。
 ……先に言われてしまって、不恰好この上無いな」

トキが苦笑すると、は首を横に振った。
 
「だから、お願いがある。
 私のために笑って欲しい。
 笑ってもらえるように、私も残りの力を尽くすから」

とはよく話をしてきた。
治療の話であり、雑談であり、それこそ種々雑多な内容で。
それでも、彼女に対する想いを言葉にするのは初めてだ。
緊張する。

は口元だけ無理矢理に笑みを貼り付けて、
トキの手の甲に唇を押し当てた。
抱き寄せて己の唇を重ねたかったが、
そんな体力はどこにも無かった。





刹活孔の副作用は重く、
トキが起きて活動できる時間は日に日に短くなっていった。
後悔は無い。
戦うことは出来ずとも、人を助けることはまだできる。
それに、が傍に居てくれる。

彼女の時間を食いつぶしている自覚はあったが、
このまま穏やかに彼女に看取ってもらえるのではないか、
と拳士にあるまじき最期を思い描けるほどに幸せで、
穏やかな時間が流れている。

「トキ様、今日は顔色が悪いですよ」

「ならば暫く一緒に休もう」

額に手を当てて顔を覗き込んでいたの手を引いて、
ベッドに引っ張りこむ。
抱きしめる。
こうしていられるのは人生の最後の、ごくわずかな一部分である。
ほんの一瞬だから、というのを我侭を言う大義名分としている。
そんな理由でもなければ、自分のためだけの行動はできない。
習い性になっている。

ずっと自分のしたいようにしてきたと思っていたが、
結局どれも他人のためであって自分のためではなかった。
もう兄を越えるために稽古を積む必要は無い。
愛する人の幸せのために己の気持ちを仕舞いこむ必要も無い。
人はトキをまるで聖人か何かのように言うが、ただの人である。

トキは晴れやかな気持ちでを抱きしめて、
もう何度目か分からないが愛していると告げた。
後何度伝えることができるだろうかという疑問が一瞬浮かんだが、
考えないことにして、を強く抱きしめた。