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トキは私欲の無い人だ。
不治の病を患っているというのに、
他人の治療に多くの時間を使い、
合間に体力を落とさないためのトレーニングをしている。
物凄く強いが、それを伝えると「昔取った杵柄というやつだ」と微笑む。

聖人のようなその微笑みに心を奪われた。

はトキの治療を受ける人々の世話をしている。
昔は治療を受ける側であったが、
完治した今は労働で対価を支払っている。
支払っているということにして、かなり長い間居残っている。

その中で、彼が不治の病を得ているという話を聞いた。
残された命は短いのだ、とも。

「私には、どうしても叶えたい夢があるのだ」

そう言って、いつもより少しだけ厳しい顔をした彼を見て、
どうしてもその助けになりたいと思ったものである。

トキには一分、一秒でも長く生きていてもらいたい。
彼がの想いに応えてくれることなど無いと分かっているから、
それでもその一分、一秒を共有したい。
彼は底抜けに優しいから、その程度の願いならば許してくれるだろう。

はその優しさに縋って村に居残っていたし、
食事を共にしてみたり、
他に誰も居ないことを良いことに身の回りの世話をしてみたりした。

トキはこまごまとした雑用をに押し付けることを最初は遠慮したが、
「その時間で一人でも多くの人を助けてください」と伝えた。
トキは苦笑いを浮かべながら「分かった」と言った。

この頃の記憶は、毎日ほとんど変わらない。
噂を聞いて日増しに増える患者をどうすれば効率的に治療してやれるのか。
そればかり考えていたし、
トキともそんな話ばかりしていた。

好きです、とはずっと言えなかった。

トキの有限の時間を自分のために削り取るのは憚られたし、
何より優しいトキに断りの言葉を考えさせるのも、
酷く愚かしいことのように思えたからである。
愛していたが、敬愛もしていた。
好きだと言うのは酷く邪な気がしていた。

残りの寿命も気になるが、それ以外にも不安は尽きない。
彼は夢があると言った。
そのためには未だ死なないとも言った。
ということは、夢を叶えるためには死んでも良いということである。
その夢の中身を教えてもらえていないが、
死期を早めるならばそんな夢は手の届かない遠くにあってほしい。
トキには悪いがそう思っていた。

一度、トキは拳王に捕えられた。
もその姿を見た。
しかし、誰一人としてその間に割って入れるような人間は居なかった。
どうやら旧知の間柄であったらしく、
トキは然程抵抗することなく連行された。

その後、トキによく似た別人が現れた。
我こそがトキである、と。
は雑用を引き受けながら、
できる限りの人間を村から脱出させた。
その偽者のトキは患者を殺そうとしていたからである。

拳王に捕えられた上、偽者まで現れた。
トキは死んでしまったのだろうか。
そんな疑念のせいで胸が張り裂けそうだった。

その偽者がケンシロウという男に倒され、
村には平穏が戻ってきた。
平穏は戻ってきたが、活気は戻らなかった。

戻ってきたトキが偽者であると感じた仲間と共に患者を外へ逃がしたし、
そういう人間から実験台にされていった。
村には少数の仲間と、その他大勢が残され、
騙されていたとはいえ、
非道な行為の片棒を担いだことに苦しんでいる人間の方が多かった。

そこへトキが戻った。
村を出たときよりは多少頬の肉が削げただろうか。
彼を連れ戻してくれたのはケンシロウである。
次に村に来てくれたときには、
これ以上無いほどの歓迎をしなければならないな、と思った。

不在の間、トキの部屋は彼が戻るものと信じて残していた。
はすぐに使えるように大急ぎで準備をした。

「お待ちしてました」

がそう言うと、
トキは申し訳なさそうな笑みを浮かべながら、

「思ったよりも時間がかかってしまったかな」

と言った。

「死んでしまったのかと」

と恨み言を言うと、

「私には夢がある。
 まだ死ぬ訳にはいかない」

トキはそう言って微笑んだ。
は曖昧な笑みを浮かべるしかなかった。

トキのその言葉はの心を非常に不安にさせたが、
彼が言うその“夢”とやらが彼を生かしているのならば、
その“夢”の存在も丸ごと受け入れるしかないとも思った。

用ができたから少し出かけるよ、
と軽い口調で村を出たのは数日前のことである。
トキの治療を待っている人々は、
彼の柔和な表情には不釣合いなほどの真剣な視線に、
誰も引き止めたりはしなかった。

は悟っていた。
彼は夢を叶えるための旅に出たのだと。
このまま帰ってこないかもしれない。

「皆待ってるんです。
 きっと帰ってきてくださいね」

と言うと、

「ああ、最善は尽くすよ」

と言っていた。
叶えられないかもしれない、と言われているのだと理解した。

不安を抱えたまま、時間は過ぎた。
トキが帰ってこないかと、
空いた時間に物見の櫓から遠くを眺めるのが習慣になりつつある。
その日は暫く遠くを眺め、変化が無いので諦め、
食事の準備に取り掛かったときのことである。

「トキ様が戻られたぞ!」

誰かがそう叫びながら走り去った。
は慌てて火を止め、鍋に蓋をして、
誰かが走り去ったのと逆の方向へと走った。

街の入り口辺りに人だかりができていた。
その人だかりの向こうに、頭一つ飛び出している人影が見える。
は人ごみを掻き分けて、
その人影の前に飛び出した。

「……か」

トキだった。
トキだったが、以前のトキとは違っていた。
ケンシロウの肩を借りて、今は立っているのもやっとのようだ。

「すまないが、トキの部屋へ案内してもらいたい」

そうケンシロウに言われて、は慌てて部屋へと案内した。