sleepyhead
トキさん、トキさん。
名を呼ばれている。
目を開けることができない。
トキさん、トキさん。
心地よい声だ。
柔らかで、包み込むような。
ああ、このままずっとこうしていたい。
「トキさん、いい加減起きてくださいよ」
怒りを隠そうともしないで、
は布団をひっぺがした。
思えば、修行をしているときも、
その後医者の真似事を始めてからも、
体力が許す限り朝早くから動いていた。
なので、こうして誰かに起されることなど皆無だった。
「……今起きるよ」
声の勢いとは裏腹に泣きそうな顔が、
だんだんとむすっと不機嫌そうな顔に変わる。
「動かないともっと衰弱するからって、
無理に働き続けてたのはどこの誰ですか!」
まったくもう、と
は布団を畳んでベッドの隅へ置いた。
もう一度かぶるためには、一度起き上がらなければならない。
別段苦しいわけではない。
体調はいつもどおりである。
のそのそとトキが起き上がる間に、
は食事を載せたトレイを運んできて、
テーブルの上に置いた。
「頂きます」
パンと、肉と野菜が入ったスープが並んでいる。
そういえば、最近治療費の代わりにと、
食料を持ってくる人が増えた。
治療の途中で動けない人も多いので、
ありがたく頂戴して配分することにしている。
トキがもそもそとパンをかじっている間に、
はグラスに水を注ぎ、
トキの顔色が悪くないことを確認し、
そうしてやっと向かいの席に落ち着いた。
「顔洗う用意もできてますからね。
着替えもそこへ置いてます」
「ありがとう」
素直に謝辞を述べる。
はこのご時勢に珍しい、
他人の世話を焼きたがる娘である。
最初に出会ったときも、血縁でもない子どもをつれていた。
道ばたに捨てられていたという。
その子は、手当ての甲斐なく死んでしまったが、
はそのまま居残って、
トキの身の回りの世話なんかをしてくれている。
それ以外にも、
ここに助けを求めにくる、
病に侵された人々の世話も進んでしてくれている。
付き添いの泊まる場所を案内してやったり、
手伝うと申し出てくれた人々をとりまとめて、
食事や洗濯なんかもしてくれている。
トキ一人ではできなかったことである。
ありがたいと思う。
くるくるとよく働く
を見て、
明るい気持ちになるのはトキだけでは無いらしい。
街中を歩いていると、
に話しかける人も少なくない。
ありがたいと思うと同時に、
すこし嫉ましい気持ちになる。
どんなに頑張って人を助けても、
少し寝坊しただけで『いい加減起きてくださいよ』などといわれる。
だから、寝坊しているのだ。
寝坊をすると、
がいつもよりも世話を焼いてくれる。
こうして朝食を摂るあいだ、
前に座って待っていてくれる。
こうしている間だけ、トキは
を独占できるのだ。
「お礼はいいです。
それより、体調が悪くない日は寝坊しないでいてもらえたら」
酷い言いようである。
「私も人間だ。
寝坊ぐらいさせてほしい」
「駄目です」
トキの真剣な申し出は、
勢い良く却下された。
「死んじゃうんじゃないかって、
すごく不安になるんですから」
は辛そうに眉根を寄せている。
起きたときに見た、泣きそうな顔を思い出す。
そんなに不安にさせていたなんて。
悪いな、と思う反面、少し嬉しい。
それほど心配されているなんて。
先ほどから抱いていた、
他人を嫉む心が溶けていく。
「……まだ死にはすまい」
そう、死ぬわけにはいかないのだ。
トキには己で決めた使命がある。
兄を止め、弟を育て、そして、己の夢をかなえるため。
「トキさんにはわかっても、私には分かりませんから」
だから元気なら早く起きてくださいよね、
と
はぷんすか怒っている。
表情の切り替わるのが早い。
困ったことに、トキは幸せを感じている。
終わりが見える命ではあるが、
のんびりご飯を食べて、
のんびり
を独占していられる今の時間が、愛しい。
「努力はしよう」
「お願いしますよ」
ぷんすか怒りながらも、
はのんびり食事するトキを急かすことなく待ってくれている。
平和で、幸せだ。
これだから、寝坊することがやめられない。
ほとぼりが冷めるまで、しばらく時間がかかりそうである。
時間をおいて、また寝坊しよう。
そうして、ゆっくり
と話をするのだ。
トキはそう心に決めて、
まだ半分ほどあるパンをゆっくりとかじった。
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