Asura


シュウは頬杖をついて、が書類を読み上げる声を聞いていた。
心地よい高さのなめらかな声で、
よどみなく、音楽のように流れていく。

「……シュウ様、聞いてます?」

内容ではなく、の声を聞いていたことがばれた。
が人を疑うような目つきで、
事実シュウを疑いながら表情をうかがっている。

「うーん……すまない」

「お疲れなのは分かります。
 急ぎのは先に終わらせたので、残りは明日へまわしますか?」

かさかさ、と書類をめくる音がする。
中身を確認してくれているのだろう。

「それも明日の仕事を増やすだけだろう。
 そうだな、残りの半分だけは処理しておこう」

「そうしていただけると助かります」

語尾が、ふわりと柔らかくなった。
きっと微笑んでいるのだろう。
お茶を飲んで、は再度書類の冒頭から読み上げてくれた。

シュウが視覚を失って、しばらく経つ。
にはその初期から身の回りの雑事をお願いしている。
書類の音読から、家事まで、色々こなしてくれている。

「それは……そのままにしておいてくれ。
 それ以上付け加えることは無い」

「わかりました」

彼女の笑顔を感じるだけで、自分の苦労など報われた気になる。
サウザーは最近、身内にも厳しくなった。
恐怖政治と表現しても批判は受けないだろうと思う程度に。
どうにかして、それを止めたいと思う。

自分にしかできないのだから、皆のために頑張るのは当然だろう。
それに、シュウには皆のためという目的以外にも、
頑張れる理由があった。

このささやかな幸せを、守るために。

「いつもありがとう」

「いいえ、シュウ様のことを思えば、軽いものです。
 無駄に人が死ななくて良いようになればそれで」

新しいお茶用意しますね、とは少し照れた様子で席を立つ。
サウザーはシュウの苦言に耳を貸す気配は無いが、
この程度の苦労ならば、耐えてみせる。
シュウはそう思いながら、
がぱたぱたと動き回る音に耳を澄ませていた。





他の勢力への情報の漏洩を理由に、
サウザーの目の前に二人の男が引っ立てられていた。
それを聞いて、シュウはその場に急いで向かった。
嫌な予感がした。

「殺すほどの理由がおありですか?」

二人の男と、サウザーの間に割って入った女が居た。

「ほう?
 貴様、この俺に歯向かうつもりか?」

「歯向かうも何も、
 彼らには死なねばならない理由は無いと、意見しているだけです」

「ある。
 退け、邪魔だ」

サウザーは不機嫌そうに吐き捨てた。

「お待ちください」

「確か、シュウのところの女だな?
 シュウのことを思うなら、さっさと下がれ」

「サウザー様」

「くどい」

その辺りで、シュウはその場に駆けつけた。
が、サウザーの前に立っている。
サウザーが無造作に肘を引いた。

「サウザーやめろ!」

シュウは叫んだ。






シュウは、目の前の棺に納められたをぼんやりと見下ろしていた。
葬儀は終わった。
明日は荼毘に付して、そうして墓に入れる。

優しさとは何なのだろうか。
思いやりとは何なのだろうか。
は人を思いやったがために、死んでしまった。
彼女が助けようとした男達も殺された。
彼女の命は無駄になった。

仁星とは何のためにあるのだろうか。
優しさとは何なのだろうか。
思いやりとは何なのだろうか。
そんなものでは人の命は救えないという現実が、
目の前につきつけられている。

これほど他人に対して怒りを覚えたことは無い。
これほど殺意を持ったことも無い。

は胸の上で両手を組んでいる。
化粧をしているから頬はうっすらと赤みを帯びているし、
唇もつやつやと赤い。
それでもその両手の下には穴がある。
そこからを、たらしめている何かが抜け出てしまった。
だからもうシュウの目の前にあるのは、
以前であった何かでしかない。

サウザー!!

怒りが留めようも無く、心の底から湧いて出てくる。
同じくらい、目から涙があふれ、零れ落ちる。

殺してやる。
絶対に、殺してやる。
己の命など、もうどうでも良い。
何がなんでも、サウザーを殺す。
サウザーに従う者どもを殺す。

たとえ味方が全滅しようとも、
己の体が傷つこうとも。
勝ち目が無かろうとも。
絶対に。

まるで阿修羅だ。

憤怒の形相で、
勝ち目の無い争いを続ける。
今の自分は、阿修羅そのものである。

シュウは笑みを浮かべた。
誰かを殺すという、強い意志をやっと手に入れた。
優しすぎるのだと、どれほど言われてきたことか。

「阿修羅となって戦おう……のために」

試合ではなく、殺し合い。
そう、これからは殺し合いをしなければならない。
一心不乱に。

シュウはの額に口付けて、棺の蓋を閉じた。