最高の食事


サウザーは一人で食事をしていた。
最近は気に入ったシェフを家に呼びつけているので、
下手に外食するよりは美味い食事が出てくる

味にうるさい方なので、
一番美味しく感じた食事の記憶は鮮明に残っている。
それはまだお師さんが生きていたころの話である。

その日、サウザーとは公園で遊んでいた。
オウガイは近くのビルに用事があるとかで、
それが終わるまで待っていなさいと言われたのだった。
おやつと水筒を渡されていた。
小さいに持たせるのは可哀相で、
二人分の荷物をつめた鞄をサウザーが持っていた。

無用心にも思えるが、南斗の関係者が多い地区であり、
多少心得のある大人でも既にサウザーの相手ではなかったので、
安全上の問題もあまり無かった。

当時はまだ、は随分幼かった。
最初は突然増えた家族に戸惑ったものだが、
家族から引き離されたらしいを見ていると、
自分が守ってやらねば、という気持ちになった。

そう思い定めてから一緒に遊んだりしてやると、
は笑顔を見せてくれるようになった。
の面倒を見ていると、お師さんからも褒められた。
それも嬉しかった。

そういう風であったので、
サウザーは我慢強くお師さんの迎えを待っていた。
「もうすぐ来るから」とをなだめながら。

しかし、お師さんはなかなか来ない。

他に遊んでいた子どもが居ないわけではなかった。
ボールで遊んでいる同年代の少年らが羨ましくないわけではなかったが、
を放って遊ぶという選択肢を選ぶことはできなかった。

「ねえサウザー、お父さんまだ?」

は曇りのないまっすぐな目で、サウザーを見る。

「まだだ。
 もうちょっと待とう」

が頬をふくらませる。

「……やだ」

確かに、さすがに飽きた。
もうどれくらい公園で時間を潰しただろうか。

「迎えに行こうか」

そう提案すると、は笑顔になった。
オウガイが言っていたビルは、公園からすぐ近くである。
サウザーが手を出すと、はしがみつくようにしてその手を取った。

公園を出て、二人で手をつないで歩く。
お師さんが言っていた記憶を頼りに角を曲がって、
おそらく目的のビルの前に到着した。
しかし、このビルのどこに居るのか分からない。

思い返せば、受付で尋ねればよかったのだが、
当時はそんな知恵は回らなかった。

「お父さんは?」

が聞いたので、

「まだ忙しいみたいだな」

と答えた。
公園に戻るか、と先ほどと逆の道順で歩いた。
しかし、一向に公園は見えてこない。
闇雲に歩いて、ようやくサウザーは認めた。

迷子になった。

「公園は?」

と、が不安そうな顔でサウザーに聞く。

「大丈夫だ」

何の根拠もなく、
自分に言い聞かせるようにそう言っての手を強く握ると、
もサウザーの手を握り返した。
はそれ以上何も聞かなかった。

それから、サウザーはと二人でひたすらに歩いた。
周囲の景色が変わり始めたころ、
は疲労と不安で泣き始めた。
サウザーも泣きたかったが、
の前で泣くのはプライドが許さなかった。

「心配ない。
 俺がついてる」

ぎゅう、とサウザーはの手を強く握った。
早く家に帰りたかった。
お師さんに会いたかった。
が泣いているのは、嫌だった。

次第に日が傾き始めた。
の体力も限界が近いらしく、歩みが遅い。
それにあわせて歩くので、前に進んでいる気がしない。

さすがにサウザーの心が折れそうになったころ、
一人の大人が近付いてきた。
身のこなしが普通の人とは異なる。
サウザーはを背に隠した。

「サウザー君じゃないかな?
 こんなところでどうした」

最初は誰か覚えていなかったが、名前を聞いて思い出した。
お師さんの許へ時折訪れる、南斗の別の流派の伝承者だった。
彼はサウザーとを保護し、お師さんに連絡を取ってくれた。
は座るなり、サウザーにもたれて眠ってしまった。
よほど疲れていたのだろう。

オウガイが到着する頃には、とっぷりと日が暮れていた。
サウザーはお師さんを見るなり安堵して、しがみついた。

「待ってなさい、と言っただろう」

その言葉から怒られるのかと思ったが、

をちゃんと連れていてくれたのだな。
 よく頑張った」

と続けて頭を撫でてくれた。
褒められて嬉しいのと、
約束を守れなかったのが恥ずかしいのと、
サウザーはしばらく顔を見せられなかった。

帰宅して、お師さんが手早くカレーを作ってくれた。
眠そうな顔のと、
いつも通りのお師さんと、三人で食べた。
それが、サウザーが今まで生きてきて、一番美味しいと思った食事である。
市販のルーで作った、何の変哲もない、
パッケージの裏側に掲載されているとおりの普通のカレーである。

今は金を出せば何倍も豪華な、何倍も手の込んだカレーが食べられる。
そもそも、カレーを選択する必要も無い。
もっと豪華な料理を注文することもできる。

それなのに、思い出すのはあのカレーなのである。

一度気まぐれにカレーを注文すると、
ルーとライスが別々に盛られた状態で出てきた。
思っているカレーとは全く違うし、
味も手の込んだ味がしたが、あのときほどの感動は無かった。

今から考えると、単に腹を空かしていただけなのだろうと思う。
歩き回って、に気を使って、疲れきっていた。
だから美味しく感じたのだろう。

疲労していない状態で、
それほど飢えてもいない今は、
プロの料理人に作らせた料理を食べても別段取り立てて美味いと感じない。

「……お気に召しませんか?」

どうやら顔に出ていたらしい。
食後のコーヒーを運んできたは困ったような顔で尋ねた。

「いいや」

サウザーはそっけなく答えた。
の変節を腹立たしく思う気持ちはあるが、
お師さん――…にとってのお父さんを殺したのは自分だ。
落ち着いて考えると、に責められてしかるべき点もある。

が正面から詰ってくれれば、それで済むならば、
落ち着いた今ならば耐える心積もりができている。
しかし、はそんなことはしない。
だから、喧嘩をすることもできない。
そのせいで、関係を修復することもできていない。

元に戻ることができたならば、
サウザーとて無理にをこの家に縛りつけ続ける理由は無い。
に相応しい誰かを見つけて、
それを見送る席にはお師さんの代わりに自分が着く。

そんな未来を想像してみたが、到底受け入れられそうになかった。
がどんな立派な男を連れてきても、
サウザーは許せる気がしなかった。
矛盾していると理解してはいるのだが。

兄馬鹿に過ぎる、と思ったがそれも違うような気がした。
妙な違和感である。
サウザーは苛々した気分のまま、出されたコーヒーに口をつけた。