barrier 02
「最近は黒王号も随分大人しいじゃないか。
今までの分、きっちり働いてもらうからな!」
怒っているというよりは、
懲らしめてやるぞ、という顔をした同僚が言った。
確かにここ最近ずっと黒王号だけの世話をしてきたが、
最初は触らせてもくれなかったのが随分と慣れてくれたし、
少しだけではあるが時間の余裕もある。
他の同僚達は一人で何頭もの世話を任されているのに対し、
は一人で一頭である。
無駄に同僚達の機嫌を損ねても仕方無い。
「わかりました」
と、
は返事をした。
ラオウはもやもやとした気分を抱えて厩舎に向かっていた。
黒王が盗賊を蹴り殺した日から、
たびたび散歩に
も連れ出している。
それで良い雰囲気になるかというとそうでもなく、
はひたすら気性の激しい黒王を乗りこなすラオウを褒め、
そして黒王の体調を気にしている。
黒王が居るからこそ話もするし、散歩にも出かけるが、
黒王が居るせいで二人で会話というものができていない。
この散歩以外の適当な場所へ誘う。
名目は黒王の世話をきっちりこなしているから、
とかなんとか、何とでもなるだろう。
そうだ、そうしよう。
そう決めたところで厩舎に到着すると、
がひょっこりと少し奥の馬房から顔を出した。
「あ、拳王様!
そろそろ来られるかと思って黒王号、準備しておきました!」
が顔を出した馬房。
そこは黒王の馬房ではない。
黒王の元へ向かうと、
が言うとおりすぐにでも出発できる準備がしてある。
しかし、黒王の機嫌は悪い。
「……」
顔を撫でてやると、いつもよりやる気がなさそうに鼻息を吹く。
いつもと同じように散歩に出てみたが、
やはりどこか機嫌が悪いように思う。
が他の馬の世話もしているからだろうか。
それから二、三回ほど立て続けに黒王の機嫌は悪く、
その近くで
は他の馬の世話をしていた。
忙しそうに駆け回っている。
勿論彼女と話す暇など無い。
やはり駄目だ。
黒王がこんな状態なのは困る。
には黒王の世話だけをさせろ、
と注文をつけようかと思いつつ、
ラオウが厩舎に入ったときのことである。
「トロトロしてんじゃねぇぞ!!」
「すみません!」
そんな声が聞こえてきた。
何事かと思っていると、
「黒王、ごめんね」という声が聞こえ、
はばたばたとバケツを抱えて走っていった。
入れ違いに別の男が奥から出てきた。
ラオウの姿を見つけ、
「拳王様、遠駆けですか?」と媚びるように話しかけてくる。
今にも揉み手までしそうな勢いである。
その声は、先ほど
を叱り飛ばしていた声である。
無視して黒王の前に立つ。
黒王はやたらと勢いのある鼻息を吐いて、ラオウを睨みつけている。
ブラシはかけられているようだが、
念入りに、とはいかない様子である。
それが気に食わないのだろうか、黒王は機嫌が悪い。
「
も鈍いやつですみません。
すぐに鞍をご用意――…」
「黒王、やるか」
ラオウが問いかけると、黒王は嘶いた。
隣に立っていた男は慌てて耳を塞いだ。
良い気迫である。
ラオウが柵を外してやると、
黒王はのっしのっしと男に近付いていく。
「へ、あ、うぇ!?」
男は無様に慌てふためき、後ずさり、しりもちをついた。
黒王がその前に進む。
そして棹立ちになり――…
「うああああああああああっ!!!」
厩舎に悲鳴がこだました。
が駆けつけると、同僚が床でしりもちをついて呆けていた。
前に投げ出した足を挟むように、黒王が前脚をついている。
「
、黒王の準備だ」
そのすぐ横でラオウが仁王立ちでその可哀相な同僚を見下ろしている。
この状況ではどちらに恐れをなしてしりもちをついたのか、
いまいちよく分からない。
「はい、すみません!」
他の馬の世話をしていると、
時間が圧迫されて黒王の世話がどうしても以前に比べ手薄になる。
それでも黒王は他の人間には触られたく無いようなので、
時間を見つけてちまちまとしか関わってやれていない。
随分機嫌を損ねてしまった。
慌てて鞍を用意する。
ラオウは颯爽と黒王にまたがり、
そして
を馬上に引っ張り上げた。
「あの、今日は他の子の世話もあるので…」
「お前は黒王を常に万全の状態に整えろ。
その他はそこの男がやるだろう」
黒王は勝手に向きを変え、ラオウが腹を蹴るなり厩舎を飛び出した。
ラオウは適当な石に腰掛けて、
体を洗ってもらっている黒王を眺めていた。
洗っているのは
である。
ひと段落したのか、
が手綱を引いてやってくる。
疲れているようではあるが上機嫌である。
黒王もひとしきり構ってもらったせいか、機嫌が良い。
「暫く走らせてやる」
背を叩く。
黒王は多少不満があったようだが、
自由に走る誘惑には勝てなかったようで、
矢のような速さで駆けていった。
「すみませんでした、黒王号のお世話がおざなりに……」
「いや、仕方無いだろう」
黒王の機嫌が悪いのは困るが、
それ以上に
と話す機会が失われるのが困る。
だから別に叱責するつもりはないのだが、
は気にしているようでしゅんとしている。
褒美を出すような局面ではなくなってしまった。
座れと勧めると、瓊佳は近くの石にちょこんと座った。
「他の輩がどう言うかは知らんが、
俺も黒王も、
の働きには満足している。
何かあれば直接俺に相談しろ。
遠慮はいらん」
は「ありがとうございます」と、泣きそうな顔で言った。
そんな顔をするな。
笑って欲しい。
素直にそう言おうとした矢先のことである。
黒王が戻ってきた。
はすぐに立ち上がり、鞍の用意を始めたので、
結局ラオウは言葉を飲み込んだ。
また黒王のせいでタイミングを逃した。
しかし、今日のラオウは違った。
ここで諦めたりはしない、と決めていた。
多少不自然であろうとも。
厩舎に戻り、
が黒王を繋いでいる間に声をかけた。
その後であれば、彼女は仕事に戻ってしまう。
馬上では悲鳴を上げているので会話にならない。
最後のチャンスがこのタイミングであった。
「軍馬全体の話が聞きたい。
時間も時間だから夕食を採りながらでも良いか」
と。
結局馬の話しかしていない。
「はい、私でよろしければ!」
と、
はすんなりと快諾してくれた。
多少話題や切り出すタイミングに悩んだ自分が馬鹿らしい。
「あ、でも、先に黒王号にブラシかけさせてください」
「構わん」
「急いでかけますから!」
どうせそう時間もかからないだろうし。
――…と思ったが甘かった。
「こら、黒王、じっとして!」
黒王は珍しいくらいに落ち着きが無い。
が急いでいることが伝わっているのだろうか?
ラオウは柵越しにそれを眺めながら、
「無駄な抵抗だぞ」と声をかけた。
この後
と食卓を囲むのはラオウである。
別に遅くなってくれても、ラオウは一向に構わない。
どちらかというと好都合だ
黒王は癇癪でも起しているのか、というくらいに落ち着きが無く、
は脚立の上でよたよたと体勢を崩した。
そんな様子もひっくるめてニヤニヤと見守れるほど、
その日のラオウには余裕があった。
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