junkie
ジャギはカウンターで一人で酒を飲んでいた。
いつも連れている仲間は生憎つかまらず、
かといって道場に戻る気にもならず行きつけの店に一人で来たのだった。
カウンターの中には屈強な見た目のマスターと、
アルバイトの
ケイカがいる。
一人でも出向こうと考えたのは、この
ケイカの存在による所が大きい。
いつも愛想がよく、
ジャギや仲間達の顔も覚えてくれて、
「いらっしゃい」とただの客とは違う声で言ってくれる。
大抵ジャギの方では「おう」とか「よう」とか程度にしか返さないが、
それでも嬉しいものは嬉しいのである。
それが今日はカウンターの中で、
小さな箱に夢中でジャギが店に入っても声を掛けてくれなかった。
いかついマスターが「いらっしゃいませ」と言ってくれたが、
別に彼の挨拶が聞きたくて来たわけではない。
カウンターの席につくと、
いつもであれば
ケイカが出してくれる水をマスターが用意してくれた。
さすがにそのまま帰るのも何だったので、
いつもと同じ物を注文して箱に夢中の
ケイカを眺める。
「頼んでいた好物がさっき届いたもんで、すいません」
マスターも
ケイカ目当てと知っているのか、
そんなことを言って注文した酒と、
サービスなのかミックスナッツを出してくれた。
「あれ、何なんだ?」
「チョコレートですよ」
嗜好品は飲食店でも入手しづらくなってねえ、
とマスターがため息と共に言った。
チョコレート。
ジャギは好んで食べたりはしないが、
甘いものが好きな女性には嬉しいものなのかもしれない。
ただし、彼女の喜びようは多少奇異に見えるが。
そんな視線を知ってかしらずか、
ケイカはそろそろと箱の中から一粒つまみ上げ、口に運んだ。
目を閉じ、口の中でゆっくり溶かしているらしい。
「――……おいしーい!」
ケイカはうっとりと微笑んだ。
「何食ってるんだよ?」
とジャギが問いかけると、
「チョコレート」
と、
ケイカはジャギに中身が見えるように箱を傾けてくれた。
おそらく九つ入りだったのだろう。
一つだけ空になった紙のカップと、
それぞれ微妙に違う飾りがついたチョコが八つ並んでいる。
「一つくれよ」
「嫌です。
たとえお金を積まれたって、嫌です。
苦労して手に入れてもらったんですから」
ケイカは至極嫌そうな顔をして、箱を閉じた。
「残り八つもあるじゃねえか」
「全部味が違うんです」
ご丁寧にかけられていたらしいリボンまで元通りにして、
ケイカは箱を紙袋の中に戻した。
何事にもおおらかな
ケイカが初めて見せた強い意志だった。
そこまで愛されているチョコレートが多少憎い。
「それはそうと、ジャギさんいついらしてたんですか?」
チョコレートに完全に敗北している。
「ついさっきだよ」とジャギは答えて、
やっぱり
ケイカの手の中にあるチョコレートが憎くなった。
それから暫くして、
何やら貴重品を運んでいる車が襲われているのに出くわした。
助ける振りをして、代わりに奪ってやろう。
そういう目的で仲間と共に賊を追い払った。
「ありがとうございます」
とぺこぺこと頭を下げる旅人は、
荷物を寄越せというと途端に渋い顔をした。
「……そうだ、珍しいものがあるんです。
それで手を打ってもらえないでしょうか」
「何だよ、それは」
「チョコレートです」
男は助手席においていた、保冷バッグから小さな箱を出してきた。
それは
ケイカが持っていたのと同じデザインで、
おそらく中身も同じ物と思われた。
「お菓子の類は最近特に入手が難しいですからね。
甘いものが好きな女性の気を引くには最適ですよ。
今日運んでいる荷物は加工前の素材ですので、
転売しようにも相手が少ないですし……」
と、男はチョコレートで手を打つ利点を滔々と語り始めた。
「……うるせぇな。
ま、でも、確かに加工前じゃあ面倒だな。
これで手を打ってやるよ」
ジャギがそう言ってチョコレートの箱を取ると、
男は嬉しそうに「ありがとうございます」と、
仲間は驚いたように口々に何やら言った。
「で、こっからは相談なんだが……
お前はこれ、頼めば手に入れてきてくれんのか?」
ジャギがとんとん、と指で箱を叩くと、
男は商売の糸口と思ったのか「勿論で」と答えた。
「あ、いらっしゃい」
ケイカがやはり親しみを込めた笑みを浮かべて、迎えてくれた。
マスターはジャギをちらりと見て、軽く会釈して作業を続ける。
「よう」と短く返事をして、ジャギはカウンターの席に座った。
今日も一人である。
しかし、今日は最初から一人で来るつもりで来た。
だから仲間とは連絡を取っていない。
「今日は何にします?」
ケイカがいつもと同じ調子で言う。
「その前に、今日はプレゼントがある」
ジャギが箱を
ケイカの前に置くと、
一瞬驚いて、そしてみるみる嬉しそうな顔に変わった。
「え、本当に、チョコレートですか?
開けていいんですか?」
「おう」
ジャギが言うと、
ケイカは嬉しそうにリボンを解いて箱を開けた。
中身は前と同じチョコレートが九粒。
「わあ……ありがとうございます」
先日はチョコレートに向けられていた笑みを、
今度はジャギに向けてくれた。
勝った――……訳ではないが、並んだ。
ケイカが愛してやまないチョコレートに。
「あんまり甘やかしちゃいけませんよ」
マスターが横から口を挟む。
「別に良いんだよ、俺は食わねえし」
「そうそう」
ケイカが横から更に口をはさんで、うっとりと箱を見つめた。
マスターはやれやれといった風に肩をすくめ、
それ以上何も言わなかった。
「あ、ジャギさん、いらっしゃい」
ケイカがにこにこと迎えてくれる。
今まで仲間と一括りに「いらっしゃい」だった挨拶が、名指しになった。
優越感を感じつつ「おう」と短く返事をしてテーブル席につく。
「何かあったんすか?」と仲間から言われたが、
「何でもねぇよ」と答えておいた。
ケイカはいわばチョコレート・ジャンキーであるが、
自分もよほど
ケイカに入れ込んでいる。
阿呆くせえとジャギは思ったが、
目が合って、
ケイカが笑みを浮かべてくれると、
やっぱりにやにやしてしまうのだった。
戻