fall


ジャギは思い切りボールを蹴り上げた。
真っ青な空に向かって、まっすぐにボールは吸い込まれていく。

ジャギが居るのは、北斗の道場にある広場だった。
それ以外の呼称を思いつかない。
庭園と呼ぶには簡素にすぎたし、
だからといってそこで稽古をするわけでもない。
昔はラオウがケンシロウに稽古をつけていたような気もするが、
ジャギにとってはどうでも良いことだった。

「ジャギ様。
 トキ様が探しておいででしたよ?」

困ったような顔で、が廊下からこちらを見ている。
ジャギと年の近いは、事務処理のために雇われているらしい。
リュウケンの古い知人の娘だそうだ。
詳しくは知らない。
日焼けを気にしているらしく、
が日のあたる場所に無防備に出てくることは無い。

「トキがぁ?」

米粒のように小さくなったボールが、
重力にしたがって落下してくる。
徐々に元の大きさが分かる程度に近付いて、
そして地面にぶつかった。
ボールは跳ねて、ジャギの頭を軽々と越えた。

「何だって?」

「トキ様が、稽古に参加しないかって」

道場には、伝承者候補の四人以外にも、
稽古に参加している人間が居る。
彼らが何を思って励んでいるのかジャギにはさっぱり理解できないが、
その相手をして、指導してやるトキの心情も理解しかねる。

「俺はいい。
 兄者だけの方が喜ばれるだろ」

最有力伝承者候補の、トキ。
人に好かれ、また、トキも人と交わるのが好きだ。
ラオウのようにあからさまにジャギを馬鹿にするでもないし、
伝承者がトキならば仕方がない、という諦めがジャギの中にはある。

「何言ってるんですか。
 また無断で外出するおつもりでしょう!」

は怒っているが、
日向まで出てくることは無いとジャギは知っている。
だから何も怖くない。

「悪いかよ?」

「悪いです。
 ジャギ様をお連れするって、約束しちゃったんですから」

ジャギと言葉を交わす人間は、
道場内では随分と限られている。
リュウケン、ラオウ、トキ、ケンシロウ。
そして、のたった五人だけである。

「……しゃーねぇなあ」

ボールは何度も地面にぶつかり、そして転がった。
誰の忘れ物か知らないが、塀の外へ蹴り出さなかっただけ感謝してもらいたい。
ジャギがの隣をすり抜けると、
「急いでくださいね」と注文までつけてきた。

と会話をしていると、
自分が落ちこぼれていることを忘れそうになる。
ラオウやトキとは天と地ほどの差があることをジャギは自覚しているが、
はそれを理解していない。

その差を埋めるためには、拳の速さを補うためにはどうすれば良いか。
銃に頼るしかないだろうとジャギは考えている。
リュウケンはそれを強く否定して、
ジャギが銃やナイフなんかを持っていると表情が険しくなる。

そうまでしても埋まらない差を、は知らない。

銃を買うと「新しい銃ですね」などと、言う。
装飾ばかりで威力の無い銃を見せたときには、
「これは可愛い」と笑っていた。

道場につくと、トキが居並ぶ門下生に指導をしていた。
ジャギの姿を見つけて、笑みを浮かべる。
トキは人格者と言われている。
人殺しの拳を、人を生かす拳にしようとしている。
完全な敗北を認めざるを得ないこの場に、
に言われると来てしまう自分が馬鹿なのだとジャギは自覚している。





核の炎が世界を焼き、トキは病を得て伝承者候補から外れた。
ジャギは、リュウケンがラオウに対して批判的であることを知っている。
ならば、俺が。

俺が伝承者に!

「伝承者がケンシロウに決まったって!」

悪友の一人が駆けてきた。
悪い夢を見ているような気がした。

ジャギはバイクを飛ばして道場へ向かった。
しばらく帰っていない。
何がどうなって、伝承者がケンシロウに決まったのか。
ラオウでもなく、ジャギでもなく、何故。

スタンドを立てるのももどかしく、
バイクを乗り捨てるようにして敷地の中へ入った。
あれほどわらわらと居た弟子の姿は無く、
道場の中はしんと静まり返っている。

「あら、ジャギ様」

それなのに、は変わらずそこに立っていた。

「この大変なときにどこへ行ってたんですか」

怒っている。
以前とまったく変わりない。
それが逆に理解できない。

「……伝承者が」

ジャギがようやくそれだけ口に出すと、
はようやく「ああ」と気がついたようだった。

「ケンシロウ様にと、リュウケン様が」

ごく軽い調子で言う。

「ケンシロウは」

「確か、奥で一人でトレーニングをされていたかと」

その答えを聞いて、ジャギは猛然と走り始めた。
許さない。
ケンシロウがジャギを越えることなど、ありえない。
が後ろから追いかけてくる気配がしたが、
すぐに引き離した。

ケンシロウはすぐに見つかった。
そして、ジャギは思い知るのだった。

弟に追い抜かされたことを。

甘ちゃんのケンシロウは、ジャギにとどめを刺さなかった。
ジャギは破裂しそうな頭を押さえながら、無様に逃げた。
途中、リュウケンが立っていた。
「すまぬ」と短く言ったきり、黙っていた。

ジャギは、廊下から広場に降りた。
いつの日か、ボールを蹴り上げた広場である。
今は日も暮れ、星も見えないただの黒い空が頭上を覆っている。

ケンシロウがとどめを刺さなかったので、
ジャギには生き残る道が残されていた。
とりあえず、頭部を何かで圧迫しておけば破裂するほどでもない。
急いで道具を用意しなければ。

「ジャギ様!」

の声がした。
息が荒い。
ジャギを追いかけて、探して、走り回ったのだろう。
そのが階段を下りてくる。

「来るんじゃねぇ!」

足音が止まる。
きっと、はジャギを見て恐怖するだろう。
今にも崩れそうな頭。
でなくとも、悲鳴をあげるほど醜いはずだ。

にだけは、そのままでいて欲しかった。

ジャギはそのまま塀を飛び越えて、道場の敷地を出た。
誰もがジャギの力を認める、塀の外側へ。
は追いかけてこなかった。
それでよかった。

ともかく、ここに残ればリュウケンも居るし、
トキもラオウも、ケンシロウも居る。
外の世界とは隔絶されているから、
が危険に晒されることも無い。

それよりも己のことである。
苦しい修行に耐え抜いた結果がこれである。
この憎しみを糧に、ケンシロウに復讐するのだ。
あの日蹴り上げたボールのように、
落下の勢いを反発の力に変えて、それに地面を蹴り上げる力を加えて。

ふと、その発想に違和感を感じた。
ジャギは己がボールのように、
天高く飛び上がったことがないことを思い出した。
ただ、地面に転がっているだけ。
超人的なラオウとトキの背中を追いかけるのは、
停滞よりも後退のように感じられていたことを思い出す。
ただ、落下しているだけ。

ジャギは自分が乗り捨てたバイクを起しながら、歯噛みした。
この苦しみは、全て、ケンシロウに返してやる。

それが終わったら、醜くても、に会える気がする。
曲がりなりにも伝承者を倒した男になれるのだから。
「何やってるんですか、もう」と怒ってくれればそれで良い。
アクセルを全開にして、ジャギは猛然と、再起のために逃げ出した。