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アミバは、一人の女を前にして立ち尽くしていた。
どうということは無い女だ。
木偶の一人である。
新しい秘孔を試す、丁度良い機会である。

しかし、突けぬ。

女の名前はという。
今は台の上に寝かされている。
死体よろしく、手を胸の上で組んでいる。

新しい秘孔は、突けば筋肉が壊死していくはずである。
は瞬く間にぐずぐずの肉塊に変化するだろう。
苦しみながら息絶えるだろう。
それを確認するための木偶である。

穏やかな寝顔に、特筆すべき点は無い。
規則的な寝息を立てている。
その顔をこうして眺めていたいと思っていたのは、
どれくらい昔のことだろうか。
正確な月日は考えたくない。

「トキ様、どうかなさいましたか?」

アミバをトキと信じて疑わない馬鹿な兵士が言う。

「いや、すこし眩暈がしたのだ。
 最近無理をしすぎたようだ」

微笑んでやると、兵士は困ったように微笑んだ。

「実験は明日に延期されますか?」

「いや、良い。
 少し休めば問題ないだろう。
 この後の診療に必要だから、
 倉庫から包帯を持ってきておいてくれないか?」

兵士が「わかりました」と笑みを作る。
アミバも笑みを浮かべて見送った。

部屋の中には、眠るとアミバの二人だけになる。
は目覚めない。
アミバが秘孔を突いたからである。

昔のは、南斗の道場で働いていた。
拳士ではない。
アミバは顔を合わせる機会も多かった。

今のは、その当時と変わらず美しい。
違いはその頬に走る傷痕だけである。
それはアミバの知らぬの一生の断片であり、
懸命に生き延びてきた証でもあり、
傷痕も含めて変わらず美しいと思う。

おそるおそるその傷痕に触れてみる。
肉が少し盛り、蚯蚓腫れになっている。
この傷痕をつけたのは誰だろうか。
そして、はどうやってその場を乗り越えたのか。

昔はてきぱきと働く姿を遠くからみていた。
拳士の一人であったアミバとは違い、
はいつも忙しそうにしていたし、
周りにからかわれるのも嫌だった。

それでも機会があれば言葉を交わした。
用件が終わった後に少し雑談をして、
笑いがこぼれたときにはアミバも自然と顔が緩んだ。

そのは、レイに想いを寄せていた。

どうやってそれを知ったのか。
アミバはから直接それを聞いたわけではないし、
誰かからそれを伝え聞いたというわけでもない。
ただ、アミバはを見ていたから気がついた。

レイと話すときだけ、すこし照れたような顔をする。
簡単に顔を笑みで彩る。
わずかばかり目で追い、戒めるように視線を戻す。

嫉妬に狂ったという記憶は無い。
ただ、なんとなく、ああやっぱりと思った。
理由は覚えていないが、
そうやってレイを目で追うを、
同じようにアミバは目で追っていた。

レイは妹のアイリを探してシュウと袂を分かったらしい。
六聖拳伝承者様がとんだ転落人生である。
そんな奴に興味は無い。

それよりも目の前に居るである。
この傷はどうしたのか。
何故木偶として運ばれてくるのか。

そんなことを考えても意味は無い。
さっさと本来の目的を達成せねばならない。
アミバは秘孔に手を添えて、
それでもやはり突くことができなかった。

が今にも目を覚ますのではないか。
そうしてアミバを思い出すのではないかと期待してみたが、
気がつく可能性は限りなく低かった。
そもそも、アミバはとそれほど親しくは無かった。

「アミバ様、包帯はどちらへ?」

兵士が戻ってきた。
アミバははたとそこで我に返った。

「……そちらの部屋へ」

「分かりました」と兵士が隣の部屋へ歩いて行く。
アミバはを見下ろした。
胸の上で手を組み、すやすやと眠っている。
その強制的な眠りを解除する秘孔を突いて、運ぶように命じる。

今日は、体調が悪かったのだ。
気分が乗らない日くらい、いくら天才でもある。
そう、今日は、たまたま気分が乗らなかったのだ。

目が覚めたに会いたい、と少し思った。
もしがアミバを“トキ”ではなく“アミバ”と呼んだら。
木偶として殺すことなどできないような気もしたし、
正体を知る危険人物として殺してしまうような気もした。
どうなるかは分からないが、昔と同じように胸は痛かった。