奪い合い
「天海様ぁ!
やっと天海様付きの侍女が見つかったよ!」
金吾は背中の鍋でくるくると器用に回った。
「そうですか。
何かと不自由でしたので助かります」
天海は頷いて笑みを浮かべて見せた。
とはいえ顔の下半分は隠しているので、
金吾に見えるのは目元だけである。
それでも彼はうんうん、と頷いていた。
「と言っても、僕の幼馴染なんだけどね?
優しい子だからいじめないであげてね」
それほど自分の人望は無いのかと思うと、少し笑える。
彼は頼れる伝手を全て頼り、
きっとその幼馴染は断りきれなかったのだろう。
何せ金吾はあまりに情けなく、
なんとなく助力してやらねばならないな、という気にさせるのが上手い。
人によっては従順な駒にしか見えないかもしれないが。
「分かりました。
可愛がって差し上げましょう」
これほど穏やかな意味でこの言葉を口にするとは思わなかった。
以前であればそれはいたぶると同義であり、
最終的に死に至るような扱いであったというのに、
今は本来の意味で優しく接してやろうという気になる。
「ありがとう」
彼は嘘をついてもすぐに顔に出るので、
きっと心の底からの謝辞なのだと思われる。
天海は「どういたしまして」と返事をした。
それから数日後、
金吾の幼馴染である天海の侍女との顔合わせがあった。
「お初にお目にかかります。
と申します」
はきはきとした口調である。
きりりとした目元が少し帰蝶を思い出させる。
「よろしくお願いしますね、
さん」
天海は雑念を脇に置いて、そう言った。
はできる女という訳ではなかったが、
言われた事はきっちりとやり遂げる女ではあった。
金吾の斡旋による侍女に能力を求める気はさらさら無かったので、
そこは全く問題ではない。
ただ、彼女はどうやら天海を疑っているようだった。
本当に金吾を助けるために働いているのか、と。
そのこと自体も別に構わないのだが、
それが表情や行動の端々に表れている。
「よほど金吾さんが大事なのですね」
と言うと、
「昔っからああいう風なのです。
育ちが良いから仕方無いのかもしれませんけれど」
そう言って困ったような顔で笑った。
金吾だからしょうがない、と。
それからも
は天海を疑う姿勢は崩さなかったが、
それも時間とともにゆっくりと緩んでいった。
打ち解けると
は意外に子どもで、
それでいて金吾に対しては姉のように振舞う。
金吾もそれを知っていて甘える。
彼らには猜疑心が無いのか、と疑うくらいに人が良い。
天海を天海として受け入れ、
仮面の下を疑うこともせず、
大して意味の無い会話を楽しんでいる。
天海は
に加勢して金吾を叱ってみたり、
逆に金吾について
に甘えてみたりした。
どちらにも加勢しないときは、
仲の良い弟妹を見守る兄のような気分になった。
(……公も、こうして我らを眺めておいでだったのでしょうか)
ふと、昔の記憶がよみがえった。
信長と、自分と、乱丸と、帰蝶。
昔は利家も居た。
今の自分たちと違い、いささか物騒な会話が多かったものの、
似たような雰囲気であったのではなかろうか。
当時は信長をこの手で屠るという願いに身を焦がしてばかりいたが、
今ならば少しだけ心中を察することができるのではないかと思う。
「
ちゃん、魚が良い頃合だよ!」
今日は取れたての海の幸を使った鍋である。
が魚をさばいてくれた。
彼女が食事の支度をしているところに金吾と共に乱入し、
持参した具材を調理してもらって鍋にした、
という表現の方が的確である。
「おつきの料理人がいらっしゃるのに」
は不服そうな言葉を口にしてはいるが、
きびきびと金吾に頃合の具をよそっている。
「だって、
ちゃんにも食べてもらいたいと思ったんだ。
天海様からのお礼も込みでね!」
「金吾さん。
私をダシにするのは止めてください」
「天海様を鍋に入れたりしないよ!」
ぷ、と
が笑った。
天海はこの生ぬるい状況に死にそうなほど退屈すると同時に、
涙が出そうなほどの喜びを感じつつ、
昔の悪癖がずるりと鎌首をもたげるのも感じていた。
加えて、初めて他人に嫉妬した。
はどこまで親しくなっても金吾の幼馴染である。
金吾に頼られることを良しとし、
己が金吾の世話をすることに有る程度喜びを感じ、
二人で楽しくおままごとをしている。
その
は天海の侍女であるにもかかわらず、である。
金吾を殺してしまおうか、と思う。
そうして
を手に入れる。
きっと彼女は天海を嫌うだろうけれども、
それは帰蝶が光秀を見る目とはまた異なり、
恐怖を孕んだ蟲惑的な表情であるに違いない。
しかし。
(今のままの状態に幸せも感じているのです……)
「天海様もどうぞ」と
が天海の前に器を置いた。
適当によそっていたように見えたが、
さすがは金吾の幼馴染である。
見栄えのするように盛られている。
「いただきまーす!」
金吾はがつがつと食べ始めた。
あまり食べると肥えるからやめるようにと言うのだが、
どうにも隠れて何かしら口に入れているようで、
一向に痩せる気配は無い。
「私も一応僧ですので、頂くことはできません」
「天海様のおわんにはお野菜だけにしたのですが、
やはり駄目ですか?」
「駄目ですね。
お気持ちだけ頂いておきましょう。
私の分もさあ、召し上がれ」
の前におわんをおしやった。
暫くの問答の末、
は食べ始めた。
「次は別にご用意しますからね」
「
ちゃん、僕はそっちの白菜が食べたいな!」
天海を気遣う
の言葉は、
金吾の能天気な声にさえぎられた。
「金吾さん。
明日は食べた分だけ手合わせですよ」
「えっ!?
でも、天海様の分も食べなきゃ残っちゃうよ!」
「不可抗力ですし、仕方ありませんよ天海様」
「そうそう。
食材の一片たりとも無駄にはしない男だよ、僕は!」
金吾はそう言って、空になったおわんを
に突き出した。
はにこにことよそっている。
くどいようだが、彼女は天海の侍女である。
(……無性に金吾さんに当たりたくなりますね)
天海はそんなことを考えながら、
顔をかきむしりたくなるほど退屈で穏やかな時間を、
唯一晒した目元に笑みを浮かべながら過ごしていた。
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