温泉へ行こう!


武田領内にある、とある温泉街である。
泉質の良い温泉はあるものの、
街道からは少し離れているためにそれほど発展もしていない。
そんな穴場のような温泉街の、宿の一室である。

「ねぇ、ちゃん」

「なんでしょうか、佐助さん」

「俺様さあ、てっきり二人で来ると思ってたんだけど」

佐助がそう言うのを見計らったかのように、
彼の背後で「わはははは!」という豪快な笑い声が上がった。
声の主は甲斐の虎、武田信玄その人である。
本当の意味での無礼講らしく、彼の周囲はどんちゃん騒ぎになっている。
別の意味で大虎になりつつある。

「まだまだでござるぅぁあああっ!!」

窓の外からは温泉よりも暑苦しい声が聞こえてくる。
甲斐の若虎、真田幸村である。

「おのれ真田幸村ぁっ!!」

それと同じくらい暑苦しい声はもう一人の虎、井伊直虎である。

「よりによってあの子まで誘うこと無いじゃない」

「丁度出掛けに来てくれたから」

が笑うと、佐助は更に渋面を作った。

湯治に行きたいと、が佐助に言ってきたのは一ヶ月ほど前だろうか。
そこから仕事を早回しでするのと部下に割り振るのとでこなし、
都合が付いたのがやっと今日である。
休みもとってさあ湯治(デザート付)と思っていたら、
旅支度を整えた幸村と信玄が門で待っていた。

殿の提案だ!
 某も日頃の疲れと傷を癒し、更なる高みを目指す!」

と、若虎は意気込んでいるし、
単に温泉が好きな信玄に至っては「早う支度せい」と少し怒り気味だった。
そこで責めるわけにもいかないので、
渋々耐えてを馬上に引っ張り上げたところで直虎が現れた。

「貴様ら、どこへ逃げるつもりだ!」

といつもの調子で喧嘩をふっかけてくる直虎に、

「湯治へ一緒に行きませんか?」

が提案し、
想定の斜め上の返答に混乱している直虎とその近侍を連行し、今に至る。
彼女の部下(女性ばかり)は湯巡りをしているらしく、
宴会の席にも直虎の近くにもあまり姿が見えない。

一応休暇をとっている佐助への配慮なのか、
今日に限って幸村は佐助に雑用を頼まない。
当然と言えば当然なのだが、ついいつもの癖で反応してしまいそうになる。

佐助はが注いでくれたお酒を飲みながら、
盛大にため息をついてみせた。
湯もも楽しめる休暇になる予定だったのに、と。

「あはは、勘介さんのおなか!」

のんきに笑っているを見ると恨めしくなる。

「酷くない?
 この休み取る為に一月ほど頑張ったのよ、俺」

あまり愚痴愚痴言うタイプでもないが、
やはり恨み言が口をついて出てきてしまう。
本当に楽しみにしていたのだ。
それなのに。
また「わはははは!」と戦場でもよく通る声が響いた。

「本当にそう思ってるの?」

じ、とが佐助を見る。
ヤバイ。
何かやらかしていただろうか。

「別に佐助さんが何かやらかしたわけじゃないのよ?」

まるで佐助の心を覗いたかのようにが言う。

「じゃあ、なんで?」

「だって佐助さん、
 普通にお休みとっても仕事のこと気にしてばかりだから」

「そう?」

「ええ、そう。
 だから気になるお仕事も連れてきたら良いかな、と思って」

嫌味なのだろうか。
しかし、邪気の無い笑顔を見るかぎりはそうとも思えない。

「佐助さん、いつもどこか上の空なんだもの。
 一緒にいる私のことも見てくれるけど、どこかに幸村様が居るんだもの。
 妬いちゃうわ」

「そうでもないよ?」

「そう思ってるのは佐助さんだけよ」

そうなのだろうか。
バレるほど顔には出していないつもりだったが。
でも、妬いてくれているというのは嬉しい状況でもある。

「何、寂しがらせちゃった?
 ごめんね」

そう言うと、は「いいの」と笑ってくれた。
の前でもそんなに仕事人間だったろうか?
こんなに彼女のことばかり考えているというのに。
それにしても、自分ばかりが想っているとばかり思っていたのが、
妬いて、しかも自分のことを考えて手を打ってくれていたのだ。

「そうと言ってくれてたら、俺様もっと頑張ったのにぃ」

と、にやつきながら手を取って言うと、
は「馬鹿」と笑いながら言った。