信頼する人


「誰だ貴様はっ!」

刑部の部屋の前に仁王立ちしている女に向かって、三成は叫んだ。

「はぁ?
 ……ああ、あんたが三成ね?
 はっはーん……ふーん、へーえ」

じろじろと三成を眺めて、女はニヤついている。
斬る、と刀の柄に手をかけたところで、障子が開いた。

「……主はもう少し静かにおれんのか」

三成は自分に言われたものかと思ったが、
刑部の視線は女に向いている。

「私はうるさくしてない。
 うるさいのは、あっち」

指で指された。
刑部は三成を見て、ため息をついた。
何だというのだ。





「久しぶりだね、君。
 君の助力があれば、大谷君もきっと仕事が捗るよ」

半兵衛は心からの笑みを浮かべながら言った。
彼女は以前からこっそりと刑部の体調の相談を半兵衛にしており、
それが刑部本人にバレないという手際のよさを見せ付けてくれた。
三成の突進を援護しつつ雑用を処理する刑部にとって、
彼女のような存在はきっと役に立つだろう。

「賢人よ、あまり甘やかしてくれるな」

刑部本人はあまり乗り気ではないらしいが。

「三成君。
 彼女はそういった目的でわざわざ来てくれているのだから、
 そうあからさまに疑わないであげてくれないかな?」

半兵衛に直接釘を刺されたせいか、三成は目に見えて落ち込んだ。

「そうそう。
 家のことを私任せにしてた吉継を恨んでね」

「家?」

「ああ、私大谷の妻です。
 人前に出たこと無かったですけど」

どうも、と言ったを見て、
三成は言葉を失った。
半兵衛はそういえば説明してなかったな、
とそこで漸く思い至った。





女っ気の無い豊臣軍であるが、
ある日突然刑部の副官に女性がついた。
刑部は勿論のこと、
三成や半兵衛も彼女の存在を当然のごとく受け入れ、
左近には一言の説明も無い。

よくあることでは有るが、
仲間に対してその仕打ちは酷い。

「三成様ーっ!
 最近刑部さんが連れてる女の人、綺麗っすね。
 隅におけないなー。
 どちらさんなんっすか?」

ということで、聞いてみた。

「左近!
 そんな無駄口を叩く暇があるのなら、
 先日渡した兵法書は読み進んだということで良いな?」

とんだ薮蛇だった。





「吉継様、こちらの巻物は片付けてよろしいですか?」

「ああ、頼む」

刑部が振り返ると、
は「よいしょ」と山のような巻物を抱えるところだった。

「……主はいつまでたってもその様子よな」

「いやあ、持ち上がるから大丈夫」

「頼んだ我が阿呆だったわ。
 ほれ、半分乗せやれ」

輿を下ろしてやると、は少しふてくされた様子で1/3ほど乗せた。

「強情よな」

「あなたよりマシです」

その言葉に、返す言葉は無い。
病を得たのに無理をおして戦に出ているのは刑部の我侭であり、
は反対しているものの、どうせならと手伝いに来てくれている。

「主も早う次の夫を探せと言うておろうが」

「私の夫は吉継様なんですけれど」

「この病に侵された身であれば、そう長生きもせんであろ」
 三成などどうだ」

「だから、私の夫は吉継様なんですけれど」

並んで廊下を歩く。
歩くといっても、刑部は輿で浮いているのだが。
は隣でため息をついた。

「最後までお傍にと心に決めております。
 邪魔ではないと半兵衛様にもお墨付きをいただきました。
 それでも駄目なのですか」

「主の寿命は我より随分長いはずだが」

「死んだ後の心配なんかしないでくださいよ。
 私が勝手にしますから、
 とにかく今は傍においてくださいませ」

内容は殊勝なものだが、口調は殊勝ではない。
怒っている。

「……強情よな」

「分かってるなら何度も言わないでください」

ぴしゃり、と言われた。

確かに助かっている。
彼女が来て以来こまごまとした仕事がはかどる。
半兵衛がお墨付きを出す程度に彼女は有能なのである。

己の身が健康であったならば、
抱き寄せて口でも吸ってやりたいくらいには好いている。
しかし、れが出来ぬ身であるからには、
彼女が幸せに生きる道に押しやりたいと思うのが人情だろう。

「ああ、これが終わったら次は包帯取り替えますからね。
 今やるはずだった仕事は後回しです」

「主は忙しそうよな」

「吉継様のためですから」

「人前で言うことでも無かろう」

「言わせてるんでしょう、吉継様が」

吉継はひひひ、といつもの通り笑った。

「いちいち確認してくれなくても、
 ちゃんと最後までご一緒する覚悟なんですから。
 疑うんですか。
 怒りますよ」

「怒りますよ」と言う割に、はすでに怒っている。

吉継にとってはその会話自体が幸せである。
言ったところで理解は得られなさそうなので、
「既に怒っておる」と指摘しておいた。
「怒ってません」とぷんすか怒りながら返事が来ることを、
期待しているのは勿論のことである。